ペドロ・ゴメス (イエズス会士)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペドロ・ゴメス
Pedro Gómez
イエズス会司祭
教会 カトリック教会
イエズス会
聖職
司祭叙階 1559年
個人情報
出生 1535年(1533年説あり)
スペイン帝国
アンテケーラ
死去 1600年2月21日
豊臣政権
肥前国
長崎
(現・日本の旗 日本 長崎市)
専門職 哲学、神学
テンプレートを表示

ペドロ・ゴメス(Pedro Gómez, 1535年 - 1600年2月21日[1])は、スペイン出身のイエズス会宣教師桃山時代日本イエズス会の最高責任者(日本準管区長)を務めた[2]コレジオの教科書『講義要綱』を著し、アリストテレス宇宙論霊魂論神学を日本に伝えた。

生涯[編集]

1535年(一説には1533年[3])、スペインのアンテケーラに生まれた[4]。一説にはコンベルソだったともいう[5]。1553年、アルカラ・デ・エナーレスイエズス会に入り、1555年から1563年までコインブラ大学ポルトガルにおけるイエズス会の拠点)で哲学や神学を講義した[4][6]。1559年、司祭叙階され、1570年、ポルトガル領アソーレス諸島テルセイラ島に移り、同地のコレジオで講義した[6]

1579年、東洋布教を志してリスボンを出港し、ゴアを経由して1581年から1583年までマカオに滞在した[7]。マカオでは、ミケーレ・ルッジェーリによる中国語版カテキズムの編纂を手伝った[7]。1582年、マカオから日本に渡航するが台風で難破し失敗した[7]

1583年(天正11年)、日本への再渡航に成功すると、豊後地区の上長に任命された[7]。以降、府内コレジオで哲学や神学を講義したり[7]大友義統[8]熊谷元直[9]ペトロ岐部[8]ら多くの人々に洗礼を授けたりした。1586年からは、豊薩合戦バテレン追放令の影響で各地を転々とした[7][10]

1590年、ガスパール・コエリョの後任として日本準管区長に任命され[4]ルイス・フロイス[11]フランチェスコ・パシオ[12]を秘書とした。1592年に文禄の役が起こると、グレゴリオ・デ・セスペデス小西行長従軍司祭として朝鮮に派遣した[13]。巡察師ヴァリニャーノは、ゴメスの統治能力に疑問を抱いていたが、哲学や神学の学識は評価し、良好な関係にあった[4]。ゴメスはヴァリニャーノの「適応主義」に従い、1593年頃に『講義要綱』を著した[4]。一方でヴァリニャーノと異なり、マニラから来日したスペイン系托鉢修道会宣教師を援助した[1]

1598年、長崎に落ち着き[7]、1600年2月21日(慶長5年1月7日)、同地で没した[1]。葬儀のミサでは原マルティノが追悼説教を担当した[14]。日本準管区長はパシオに引き継がれた[15][12]

著作[編集]

『講義要綱』[編集]

通称『講義要綱』は、『天球論』『霊魂論』『カトリック教理要綱』の3部構成からなる[1][注釈 1]天草コレジオの教科書として作られ[注釈 2]、1593年頃にゴメスがラテン語で脱稿し[4]、1595年頃にペドロ・ラモンらが日本語に翻訳した[17]

ラテン語本も日本語本も長らく散佚していたが、20世紀にそれぞれ手稿本が再発見された[4]。ラテン語本は、バチカン図書館所蔵のクリスティーナ女王の寄贈本に含まれていたのが、1939年 J.F. Schutte によって発見され[18]、1965年尾原悟によって翻訳された[19]。日本語本は、オックスフォード大学モードリン・カレッジ図書館で漢籍に紛れていたのが、1995年アントニ・ウセレルwikidataによって発見された[20][21]

日本語本は、タイトルページと『天球論』が欠損しており、また『カトリック教理要綱』の内容にラテン語本からの増減がある[21]。用語の多くは漢訳せずカタカナで音訳しており、その場合はラテン語読みではなくスペイン語・ポルトガル語読みに依る傾向がある。例: 「哲学者」を意味する philosophus →「ヒロソホ」(filósofo[22]

第一部『天球論』[編集]

ラテン語の題名は De sphaera [18]

内容は、アリストテレスプトレマイオス型の宇宙論、すなわち天球説・天動説地球球体説などの天文学や、暦学気象学地質学四元素説の紹介である。天文学では数値も示している[23]。種本として、クラヴィウスの『サクロボスコ天球論註解』や、トマス・アクィナスアリストテレス註解英語版などが使われたと推定される[24]

上記の尾原悟は、江戸時代初期のクリストヴァン・フェレイラ乾坤弁説』や小林謙貞『二儀略説』が、本書を種本にしていると推定した[19][25]

本書は日本に西洋宇宙論を体系的に伝えた最初の書物とされる[26]。ただし西洋宇宙論が広く知られるようになるのは、江戸中期以降の『天経或問』の流行を待つことになる[27]

日本語訳に 尾原 1965 がある。

第二部『霊魂論』[編集]

『魂論』[23]『アリストテレス『霊魂論』三巻及び『自然学小論集』の要約』などとも呼ばれる[28]。ラテン語の題名は Breve compendium eorum, quae ab Aristotele in tribus libris de anima, et in parvis rebus dicta sunt [18]

内容は、題名通りアリストテレス『霊魂論』など(あるいはそれらに対するトマス・アクィナスの註解[29])で扱われる、霊魂理性感覚などの紹介である。ただし単純な紹介ではなく、近世哲学・神学のトピックである自由意志論や霊魂不滅性論証が加えられている[30]

第三部『カトリック教理要綱』[編集]

『神学要綱』[23][25]『真実の教』[31]『日本人イエズス会士のためのカトリック教理要綱』などとも呼ばれる。ラテン語の題名は Compendium catholicae veritatis, in gratiam Iapponicorum fratrum Societatis Iesu [18]

この部が最も長大であり『講義要綱』の中核をなしている[32]。内容は、トリエント公会議を踏まえたカトリックカテキズムを軸に[33]キケロの『神々の本性について英語版』を応用した神の存在証明[34]、アリストテレス・トマス主義徳倫理学[35]三位一体論[36]偶像崇拝[37]強制改宗[38]、そして信仰告白[39]が扱われている。

信仰告白(自分が信徒であることを隠さないこと)はカトリックの伝統的な義務だが、ゴメスは日本の信徒のため例外を設け、迫害者に対しては隠してよい、隠しても事後に告解すれば赦されるとし、日本の信徒が殉教せずに済むことを望んだ[39]

本書を通じて伊東マンショ[40]ハビアン[36]が神学を受講したと推定される。

その他[編集]

1587年の長崎二十六聖人の殉教を受けて、殉教について論じる日本語の書物を1598年に長崎で出版した[39]。その現物(キリシタン版)は残っていないが、1896年(明治29年)に村上直次郎が発見し、後に姉崎正治が整理した長崎奉行所旧蔵のキリシタン文献群のなかの『マルチリヨの心得』と名付けられた手稿本が、その写し[41]または関係する書物[42]と推定される。

また、イグナチオ・デ・ロヨラの『霊操』に関するキリシタン版の書物『スピリツアル修行』の第三部もゴメスの作とされる[43]

以上の他、書簡が伝わる[44]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ これらの日本語題名は現代の学者による呼称であり、別の題名で呼ばれることもある。
  2. ^ それ以前のコレジヨでは、イエズス会士で哲学者のフランシスコ・デ・トレド英語版の『論理学解説』などが教科書に使われていた[16]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 浅見雅一 朝日日本歴史人物事典『ゴメス』 - コトバンク
  2. ^ 山田 2018, p. 70.
  3. ^ 平岡 2009, p. 61.
  4. ^ a b c d e f g 浅見 2016, p. 121.
  5. ^ 岡 2013, p. 38-43 (20世紀の Joseph Wicki の説).
  6. ^ a b 平岡 2009, p. 44f.
  7. ^ a b c d e f g 平岡 2009, p. 45.
  8. ^ a b ペトロ・カスイ岐部神父の生涯 高木一雄著 | カトリック東京大司教区 ウェブサイト”. 2021年10月9日閲覧。
  9. ^ 「カトリック情報ハンドブック2013」巻頭特集”. カトリック中央協議会. 2021年10月6日閲覧。
  10. ^ 宮永 2005, p. 25.
  11. ^ 五野井隆史 朝日日本歴史人物事典『フロイス』 - コトバンク
  12. ^ a b 五野井隆史 朝日日本歴史人物事典『パシオ』 - コトバンク
  13. ^ 浅見 2016, p. 102.
  14. ^ 五野井隆史 朝日日本歴史人物事典『原マルティーニョ』 - コトバンク
  15. ^ 高瀬弘一郎「イエズス会日本管区」『岩波講座日本通史』第11巻、朝尾直弘ほか編、岩波書店、1993年。ISBN 4000105612
  16. ^ 宮永 2005, p. 22.
  17. ^ 白井 2013, p. 319f.
  18. ^ a b c d 佐久間 1996, p. 1.
  19. ^ a b 大崎正次 (1995年). “今井いたる氏の遺書目録についてのコメント”. library.nao.ac.jp. 国立天文台三鷹図書室. 2021年8月16日閲覧。
  20. ^ 神崎 2008, p. 170.
  21. ^ a b 浅見 2016, p. 122.
  22. ^ 神崎 2008, p. 167.
  23. ^ a b c 平岡 2009, p. 46.
  24. ^ 高瀬 2013, p. 145f.
  25. ^ a b 佐久間 1996, p. 2.
  26. ^ 平岡 2009, p. 43.
  27. ^ 藪内清「天経或問とその日本への影響」『藪内清著作集 第5巻 科学史 技術史』臨川書店、2019年(原著初出は手稿)、325-332頁。ISBN 978-4-653-04445-1OCLC 1126327192 329-331頁。
  28. ^ 大野 2019, p. 23.
  29. ^ 桑原 2016, p. 2.
  30. ^ 大野 2019, p. 29f.
  31. ^ 桑原 2016, p. 12.
  32. ^ 浅見 2016, p. 123.
  33. ^ 大野 2020, p. 40.
  34. ^ 神崎 2008, 第6日 「舟と船人の比喩」 一六・一七世紀東アジアへの『魂論(デ・アニマ)』導入.
  35. ^ 大野 2020, p. 29.
  36. ^ a b 浅見 2016, p. 124.
  37. ^ 浅見 2009, 第三章 主従関係と殺人の論理――ヴァリニャーノとゴメスの偶像崇拝論.
  38. ^ 高瀬 2013, p. 132.
  39. ^ a b c 浅見 2016, p. 165-167.
  40. ^ 佐久間 1996, p. 3.
  41. ^ 浅見 2016, p. 170.
  42. ^ 五野井隆史キリシタンと「殉教」の論理――キリスト教伝来の意味と殉教への道――」『日本思想史学』40号、日本思想史学会、2008年。
  43. ^ 折井 2013, p. 312f.
  44. ^ 神崎 2008, p. 158f.

参考文献[編集]

関連文献[編集]

  • Ucerler Antoni「近世初期日本におけるキリスト教信仰教育--イエズス会コレジヨの『講義要綱』にもとづいて (2001年度歴史学研究会大会報告 民衆の生きた20世紀) -- (合同部会 歴史のなかの宗教と民衆,社会)」『歴史学研究』755号、青木書店、2001年。NAID 40003820472
  • M. アントニ・ウセレル S. J.「日本語訳におけるアリストテレスとトマス・アクィナス――ペドロ・ゴメスの『イエズス会日本コレジヨの講義要綱』(1593-95)」、桑原直己;島村絵里子編『イエズス会教育の歴史と対話 キリシタン時代から現代に至る挑戦』知泉書館、2020年。ISBN 9784862853240
  • 尾原悟「ペドロ・ゴメス著「天球論」(試訳)」、キリシタン文化研究会編『キリシタン研究』第10輯、吉川弘文館、1965年。NDLJP:2941642
  • 尾原悟 編著『イエズス会日本コレジヨの講義要綱』全3巻、教文館〈キリシタン文学双書〉、1997年。NCID BA33559934
  • 折井善果 著「「アニマ」(霊魂)論の日本到着」、ヒロ・ヒライ;小澤実 編『知のミクロコスモス 中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』中央公論新社、2014年。ISBN 978-4-12-004595-0 
  • 川村信三『戦国宗教社会=思想史 キリシタン事例からの考察』知泉書館、2011年。ISBN 9784862851123
  • 髙祖敏明「幻の教科書『イエズス会日本コレジヨの講義要綱(コンペンディウム)』再発見の旅--その複製本と校註本の刊行が切り開く道筋」『カトリック教育研究』15号、1998年。NAID 40004524605
  • 高瀬弘一郎『キリシタン時代のコレジオ』八木書店、2017年。ISBN 978-4-8406-2211-0
  • 根占献一『東西ルネサンスの邂逅:南蛮と禰寝氏の歴史的世界を求めて』東信堂、1998年。
  • 平岡隆二『南蛮系宇宙論の原典的研究』花書院、2013年。ISBN 978-4905324485

外部リンク[編集]

先代
ガスパール・コエリョ
イエズス会日本準管区の長
第2代: 1590 - 1600
次代
フランチェスコ・パシオ