ベン・シャーン

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ベン・シャーン
Ben Shahn bijutsu-techo 1961185.jpg
生誕 (1898-09-12) 1898年9月12日
 リトアニアカウナス
死没1969年3月14日(1969-03-14)(70歳)
国籍 リトアニア / アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
著名な実績絵画
サッコとバンゼッティの受難

ベン・シャーンBen Shahn, 1898年9月12日 - 1969年3月14日)は、リトアニア生まれ、アメリカ合衆国画家ユダヤ系リトアニア人

経歴[編集]

1898年、リトアニア(当時は帝政ロシア領)のカウナスに貧しい木彫職人の子として生まれた。父はヨシュア・ヘッセル(Joshua Hessel)、母はギッテル・リーベルマン=シャーン(Gittel Lieberman-Shahn)で、両親ともユダヤ人だった。1906年、7歳のとき、移民としてアメリカに渡る。ニューヨークブルックリンに住み、石版画職人として生計を立てていたシャーンは、肉体労働者、失業者など、アメリカ社会の底辺にいる人々と身近に接し、彼らに共感をもっていた。やがてシャーンは、社会派リアリズムの画家として戦争、貧困、差別、失業などをテーマにした絵画を描き始めた[1]。「サッコ・ヴァンゼッティ事件」や「失業」をテーマにした作品がよく知られている。

1954年の核実験で被爆した第五福竜丸をテーマにしたシリーズ、フランスのドレフュス事件をテーマにしたシリーズなどが知られている。壁画、ポスター挿絵写真など、グラフィックアートのあらゆる分野に手を染めている。晩年には詩人ライナー・マリア・リルケの『マルテの手記』をテーマにした石版画連作を残している。

代表作[編集]

  • 『サッコとバンゼッティの受難』(1931年 - 1932年): サッコ・ヴァンゼッティ事件
  • 『盲目のアコーディオン弾き』(1945年)(ノイバーガー美術館)
  • 『リルケの『マルテの手記』より』(1968年)
  • 『みんなのたのしみ』

関連文献[編集]

  • 永田浩三『ベン・シャーンを追いかけて』大月書店, 2014年, ISBN 978-4272612307

関連項目[編集]

脚注[編集]