ベルナール・ビュフェ
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ベルナール・ビュフェ | |
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生誕 | 1928年7月10日![]() |
死没 | 1999年10月4日 (71歳) |
国籍 | ![]() |
ベルナール・ビュフェ[1](Bernard Buffet, 1928年7月10日 - 1999年10月4日)は、フランスの画家。第二次世界大戦後の具象絵画の代表的な画家のひとり。
生涯[編集]
ビュフェは1928年、パリで生まれた。多忙の工場経営者の父のもとに生まれ、父親との関係は希薄であった。心の支えであった母を10代で亡くし、ひとりキャンバスに向かうことが多かった。1943年、パリ国立高等芸術学校に入学。1948年、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞する。この頃からビュフェは天才画家としても有名であった。硬質で鋭く太い針金のような輪郭線、モノトーンに近い色彩を特色とする独自の様式を築き、その画面には人物の不安げな表情などとあいまって第二次大戦後の作者の不安で荒涼とした心象風景が表されている。女性像のモデルは多くの場合、後の妻のアナベルである。ビュフェは油彩画のみならず、優れた版画も多く制作している。1971年にはレジオン・ドヌール勲章を受章し、1974年にはアカデミー・フランセーズ会員となる。最愛の妻であるアナベルと生涯を添い遂げる間も、ビュフェの孤独が癒えることはなかった。晩年にはパーキンソン病を患い、ビュフェは1999年に自ら命を絶った。享年71。
ビュフェはあまりにも早い時期に名声を得すぎたためか、後年の作品にはややマンネリ化の傾向が指摘されるなど厳しい見方もある。日本には早くから紹介され、静岡県長泉町にはビュフェの作品のみを収蔵・展示するベルナール・ビュフェ美術館が1973年開館した。
代表作[編集]
ビュフェの作品は、黒い描線と抑制された色彩によって第二次世界大戦後の不安感や虚無感を表現している。 多くの絵画や版画作品を残した。
注釈[編集]
- ^ 「ビュッフェ」と表記する場合もある