ヘンリー (サセックス公)

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ヘンリー
Prince Henry
サセックス公爵
Duke of Sussex
Prince Harry at the 2017 Invictus Games opening ceremony.jpg
2017年
続柄 ウェールズ公チャールズ第2男子(エリザベス2世孫)
称号 サセックス公爵
ダンバートン伯爵
キルキール男爵英語版
全名 Henry Charles Albert David
ヘンリー・チャールズ・アルバート・デイヴィッド[1][2]
身位 Prince(王子)
敬称 His Royal Highness(殿下)
出生 (1984-09-15) 1984年9月15日(34歳)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドパディントン、聖メアリー病院
配偶者 メーガン・マークル(2018 - )[3]
父親 ウェールズ公チャールズ
母親 ダイアナ・スペンサー
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イギリス王室
Badge of the House of Windsor.svg

サセックス公爵ヘンリー王子Prince Henry, Duke of Sussex、全名:ヘンリー・チャールズ・アルバート・デイビッド〈Henry Charles Albert David1984年9月15日 - )は、イギリス王室の成員、軍人。英語圏では通常非公式の場でPrince Harryハリー王子)という通称で呼ばれている。

経歴[編集]

ヘンリー(左)と兄のウィリアム、2009年

生い立ち[編集]

女王エリザベス2世の孫、ウェールズ大公チャールズと第8代スペンサー伯爵エドワード・スペンサーの娘ダイアナの次男である。兄はケンブリッジ公ウィリアム。父、兄、兄の子女であるジョージ王子シャーロット王女ルイ王子に次いで英国王位継承順位第6位にある。公式な称号および敬称はHis Royal Highness Prince Henry, Duke of Sussex(サセックス公ヘンリー王子殿下)であるが、英語圏では通常公式の場・非公式の場を問わずPrince Harryハリー王子)という通称で呼ばれている。

ヘンリーが誕生した1984年頃には既にダイアナとチャールズの仲は悪化していた。その為、後にダイアナの愛人であると暴露された王室騎馬隊のジェームズ・ヒューイットがヘンリーの実の父親であるとの主張がある。ダイアナとヒューイットは二人の性的関係が始まったのは1986年であるとしていた。2005年になりヒューイットは二人の関係は1982年には始まっていたと修正している。

イートン校を卒業した後、ヘンリーはオーストラリアの牧場で働いたり、レソトの孤児院で奉仕活動を行ったりした。その後アルゼンチンに渡ったが、飲酒と誘拐未遂を理由に帰国させられた。2005年にはサンドハースト王立陸軍士官学校に入学し、将来は近衛騎兵になりたいと語っていた。

軍歴[編集]

ヘンリーの紋章

2006年4月の陸軍士官学校卒業後に近衛騎兵連隊ブルーズ・アンド・ロイヤルズに配属された。同連隊は儀礼的任務だけでなく戦闘地域における任務にも投入されており、ヘンリーのイラク派遣も一旦決まったが、イスラーム過激派等がヘンリーを標的に攻撃すると予告したため取り止めとなった[4]。ヘンリーは特別な待遇を望んでおらず、「失望している」との声明を発表するとともに[5]、「軍を辞めるつもりはない」ともコメントしている。

2007年末からアフガニスタンにおけるタリバーン掃討作戦に極秘に加わっていた。ヘンリーは前線航空管制官としてタリバン部隊への爆撃を誘導する任務に就いており、これは相当の危険が伴うものであった。イギリスのメディアとは協定が結ばれ派遣の事実は公表されていなかったが、10週間後にアメリカのインターネットメディアのDrudge Reportが記事を載せたのをきっかけに大手メディアも報道を開始し[6]、帰国した。首相のゴードン・ブラウンはハリーを「模範的な兵士」であり「イギリス全土は彼の行っている素晴らしい任務を誇りに思うだろう」と称賛した。

アフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)は2012年9月10日、前週末から同国に英陸軍航空隊の一員として再派遣された王子について、断固として殺害する計画があると明らかにした。2012年10月下旬、派遣先のアフガニスタン南部ヘルマンドで戦闘に参加した際に地上部隊からの求めを受け、戦闘ヘリコプターWAH-64)から空対地ミサイルを発射し、結果的にタリバンの兵士を殺害することとなった。このときの作戦がヘンリーにとって初の殺害行為を伴う戦闘となった。この王位継承順位3位(当時)のヘンリーによる「初の殺害実行」に対し、イギリスの新聞は「英雄的行為」だとして称賛しているが、日本の産経新聞は「殺害した相手が民間人ではなくタリバン兵だと断定した根拠がない」と指摘している[7]

2015年6月19日除隊。最高階級は陸軍大尉。同年ロイヤル・ヴィクトリア勲章のナイト・コマンダー受章。

人物[編集]

スポーツ好きとして知られ、イートン校時代はラグビーポロのチームに所属した。現在もスキーモトクロスポロなどを趣味としている。サッカーでは、アーセナルFCの大ファンである。また英国王室の人間はほとんどがアーセナルFCのサポーターであると語っている[8]レゲエヒップホップなどの音楽への造詣も深い。

スキャンダルを起こすことも多いが、笑顔が多く陽気な性格であることから国民からの人気は高い。若者層の間ではヘンリーのファンサイトが立ち上がるなど、特に支持が厚い。

2015年のラグビーワールドカップイングランド大会の開会式には「1823年のラグビー校でのラグビーフットボール発祥の故事」を描いたショートフィルムが流されたが、ジョニー・ウィルキンソンとともに「ラグビー校の庭師」としてカメオ出演し、ボールを持って疾走する少年を見て「彼は何をしているんだ?」と問うジョニーに「心配するなジョニー、あんなもの(ラグビーフットボールと呼ばれるもの)絶対流行らん」とセリフを言う芝居を見せて観客を驚かせた。開会式のアトラクションの後、登壇し挨拶のスピーチをした[9]

私生活[編集]

私生活では、ジンバブエ出身の恋人チェルシー・デービー英語版と交際していたが、2007年11月10日、英紙『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』において王子とチェルシーの破局が報じられた[10]。その後復縁したものの、何度かの破局、復縁を経て、2010年に破局した。二人の関係はタブロイド紙の注目を引くような激しいものであるだけでなく、チェルシーの父親が英国系住民を激しく弾圧することで知られるジンバブエの独裁者ロバート・ムガベと懇意であることが注目され批判が起こり、父親がジンバブエでの事業を売却に追い込まれるなど、高級紙にも大きく取り上げられることが多かった[11]

結婚[編集]

2017年11月、アメリカ人の女優メーガン・マークルとの婚約を発表。

結婚式は2018年5月19日、ロンドン中心部から西のウィンザー城にある聖ジョージ礼拝堂で行われた。 また、結婚に際しサセックス公爵の称号を与えられ、従属爵位としてダンバートン伯爵とキルキール男爵が与えられた。

慈善活動[編集]

2006年に、レソト王室のセーイソ王子と協力し、レソト王国のエイズ撲滅を目的とするサンタバリーという慈善団体を設立した[12]。レソト王国の子どもは、偏見を恐れ、自らのHIV感染を公表したがらない傾向がある。そのため、著名人が「小さな秘密」を公表する「フィール・ノー・シェイム(恥じることはない)」というキャンペーンをたちあげ、多くのHIV感染が自身の病気を告白できる環境づくりを行っている。2014年12月に、自らの「小さな秘密」をYoutubeで告白し、その呼びかけに答え、多くの女優や歌手もyoutubeで「小さな秘密」を告白している[13]

系図[編集]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョージ5世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エドワード8世ジョージ6世メアリーヘンリージョージ ジョン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エリザベス2世マーガレット
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
チャールズアンアンドルーエドワード
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ウィリアムヘンリーピーターザラベアトリスユージェニールイーズジェームズ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジョージシャーロットルイサバンナアイラミアレイナ

スキャンダル[編集]

握手を求められるヘンリー、2011年

ヘンリーは、これまでの人生で数多くのスキャンダルを巻き起こしてきた。

11歳頃から煙草に手を出し、イートン校時代に入学したばかりの14歳の時にはアルコール依存症を発病した。2002年の夏にはマリファナ吸引騒動を起こし、父チャールズの説得によって、麻薬中毒患者のセミナーに参加したこともあった。勉学には手を抜き、卒業ぎりぎりの最低ランクの成績だったという。そのため大学には進まず、軍隊に入ることを志願した。

なお、イートン校卒業試験については不正疑惑が持ち上がった。これはイートン校を解雇された美術教師が、王子が試験で提出した絵は自分が描いたとマスコミに暴露したものである。この疑惑を王子側は強く否定している。

2005年1月には、仮装パーティーにかつての敵国であるナチス・ドイツ制服を模したスタイルで現われたところをタブロイド紙にスクープされ、内外のマスコミから非難された。父チャールズは、ヘンリーと兄ウィリアムに、ドイツが国民の支持の元で起こしたホロコーストを理解するため、映画『シンドラーのリスト』を鑑賞することと、アウシュビッツを訪問することを命じた。

士官学校卒業式後のパーティではストリッパーを膝に乗せ酒を飲む様子がスクープされ、映画の題名をもじった「ダーティー・ハリー」(ワルのハリー)の見出しが紙面に踊った。

2008年には泥酔しパパラッチと乱闘騒ぎを起こしたことがある[10]

2009年1月、2006年のブルーズ・アンド・ロイヤルズ連隊所属時期に、同じ部隊のパキスタン人に対して「パキ」「ラグヘッド」と差別的発言をしていたことが発覚し、謝罪した[14]

2012年8月、ラスベガスの高級ホテルのスイートルームで撮影された2枚のヘンリーの全裸写真がアメリカのゴシップサイトで流出した。1枚は腕時計とネックレスだけを身につけて手で股間を隠したヘンリーと、その後ろに立つ別の裸の人物が写っていた。もう1枚は性別不詳の裸の人物に後ろから抱きつくヘンリーが写っていた。英王室は写真を本物と認め、「現時点でのコメントは無い。後日コメントするかもしれないが」と述べた。英王室はプライバシーの侵害だとして、英メディアにこの2枚の写真を掲載しないよう要請した[15]。しかし、大衆紙「ザ・サン」は王子の写真を掲載。誌の代表者は、読者には知る権利があり、また会長であるルパート・マードックの娘が「彼(ヘンリー)はキュートだから載せるべき」だと助言してきたとコメントした。

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 姓は「マウントバッテン=ウィンザー」であるがRoyal Highnessの敬称とPrinceの身位を有するためこれを通常使用することはなく、公式には父の称号からオブ・ウェールズを姓のように用いる。
  2. ^ alt.talk.royalty FAQ: British royalty and nobility:”. Heraldica.org. 2011年4月15日閲覧。
  3. ^ イギリス王室はヘンリー王子の婚約を発表』 2017年11月27日 Onebox News
  4. ^ AFPBB News (2007年4月28日). “イラク武装勢力、ヘンリー王子の誘拐を予告 - 英国”. 2008年11月17日閲覧。
  5. ^ AFPBB News (2008年3月2日). “アフガンから帰国のヘンリー王子、インタビューで心境を語る”. 2008年11月17日閲覧。
  6. ^ Prince Harry secretly serving in Afghanistan、ガーディアン、28 February 2008
  7. ^ 産経新聞』(2012年12月24日)「英王子が戦闘参加、タリバン兵死亡 アフガン
  8. ^ 「英国王室にはアーセナルのファンが多い」 ヘンリー王子が外遊先で告白
  9. ^ ヘンリー王子がラグビーW杯開幕式の映像に登場!
  10. ^ a b ALL Abouto WEEKENDER (2008年1月30日). “『イギリス、イケメン王子の大恋愛に注目!』ナイト・ライフも満喫”. 2008年11月17日閲覧。
  11. ^ Chelsy Davy vs. Kate Middleton: Comparing the Potential Princeses ABC、2011年4月28日
  12. ^ Charity Commission. Sentebale, registered charity no. 1113544. 
  13. ^ 内藤泰朗 (2014年12月24日). “ロンドンの甃 王子が秘密明かした理由”. 産経新聞社. 2015年1月8日閲覧。
  14. ^ AFPBB News (2009年1月11日). “英ヘンリー王子、士官学校時代に差別語使用で謝罪”. 2009年1月22日閲覧。
  15. ^ [1]

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、ヘンリー (サセックス公)に関するカテゴリがあります。

上位:
ルイ・オブ・ケンブリッジ
イギリス王位継承順位
継承順位第 6
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位:
アンドルー王子
ヨーク公爵
先代:
オーガスタス・フレデリック
サセックス公爵
2018年 -
次代:
叙爵中