ヘンリク (デンマーク王配)

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ヘンリク
Henrik
Royal Wedding Stockholm 2010-Konserthuset-420.jpg
プリンス・ヘンリク、2010年
全名 Henrik Marie Hans Andreas
敬称 Hans Kongelige Højhed(殿下)
出生 (1934-06-11) 1934年6月11日(83歳)
フランスの旗 フランス
ジロンド県タランス
配偶者 マルグレーテ2世
子女 フレデリク
ヨアキム
父親 モンペザ伯爵アンドレ
母親 ルネ
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ヘンリクHenrik1934年6月11日 - )は、デンマーク女王マルグレーテ2世王配フランスの外交官だった。結婚前の名前はアンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルド・ド・モンペザ(Henri Marie Jean André de Laborde de Monpezat)。

略歴[編集]

モンペザ伯爵アンドレと妻ルネとの間にジロンド県タランスで生まれる。父の仕事のため、5歳までフランス領インドシナ(現在のベトナム)で過ごす。1950年に再びハノイへ行き、1952年にフランス人学校の高校を卒業した。1952年から5年間、ソルボンヌ大学で法律と政治学を学び、フランス国立東洋言語文化研究所(INALCO)で中国語ベトナム語を学んだ。1957年には香港、1958年にはサイゴンに留学している。

1959年から1962年にかけてアルジェリアフランス軍人として出征、1962年にフランス外務省に入省。1963年から1967年まで駐イギリス大使館書記官として赴任した。

1967年6月10日、デンマークの王位継承者マルグレーテ王女と結婚。名前をデンマーク風にヘンリクとした。カトリックからプロテスタントに改宗し、フランス国籍を捨ててデンマーク人となった[1]

結婚後早くにデンマーク語を習得したが、訛りのあるデンマーク語は未だに国民のジョークのネタにされている。英語と中国語、ベトナム語が話せる。フランス語の本をデンマーク語に翻訳し、出版している。

2017年、立場の不平等を理由に女王と同じ墓所への埋葬を拒否し、王室もこれを認めたと発表された[1]。1972年の女王即位の際、「国王」ではなく「王配」となったことに落胆し、たびたび不満を口にし、公務にも熱が入らなかったという[1]

モンペザ伯家[編集]

ヘンリクはラボルド・ド・モンペザ伯家の出身である。同家は1648年に創設されたフランスの貴族である。1967年のヘンリクとデンマーク王女マルグレーテの婚姻によってモンペザ伯家はデンマーク王室の男系となった。2008年の4月30日にマルグレーテ2世は「モンペザ伯(greve af Monpezat)」の儀礼的称号をフレデリクとヨアキムの2人の王子に授与した。そのため2王子とその子どもたちはモンペザ伯の儀礼的称号を帯びているようになった。

子女[編集]

妻のマルグレーテ2世との間に2男をもうけた。

デンマーク王室
Royal coat of arms of Denmark.svg

マルグレーテ2世女王
ヘンリク王配



脚注[編集]

  1. ^ a b c 「女王と一緒の埋葬やめて」デンマーク王配殿下、待遇に長年不満AFP, 2017年8月4日