ヘンリック (デンマーク王配)

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ヘンリック
Henrik
Royal Wedding Stockholm 2010-Konserthuset-420.jpg
ヘンリック王配、2010年
全名 Henrik Marie Hans Andreas
敬称 Hans Kongelige Højhed(殿下)
出生 (1934-06-11) 1934年6月11日
フランスの旗 フランス ジロンド県タランス
死去 (2018-02-13) 2018年2月13日(83歳没)
 デンマーク フレデンスボー城
配偶者 マルグレーテ2世
子女 フレデリック
ヨアキム
父親 モンペザ伯爵アンドレ
母親 ルネ
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デンマーク王室
Royal coat of arms of Denmark.svg

マルグレーテ2世女王


ヘンリック(Henrik, 1934年6月11日 - 2018年2月13日)は、デンマーク女王マルグレーテ2世王配。結婚前はフランス外交官で、名前はアンリ・マリ・ジャン・アンドレ・ド・ラボルド・ド・モンペザ (Henri Marie Jean André de Laborde de Monpezat)だった。

略歴[編集]

フランス貴族の家系であるモンペザ伯爵アンドレと妻ルネとの間に、ジロンド県タランスで生まれる。父の仕事のため、5歳までフランス領インドシナ(現在のベトナム)で過ごす。1950年に再び仏領インドシナのハノイへ行き、1952年にフランス人学校の高校を卒業した。1952年から5年間、ソルボンヌ大学で法律と政治学を学び、フランス国立東洋言語文化研究所(INALCO)で中国語ベトナム語を習得。1957年には香港、1958年には当時はベトナム共和国(南ベトナム)の首都だったサイゴンに留学している。

1959年から1962年にかけてアルジェリア戦争フランス軍人として出征、1962年にフランス外務省に入省。1963年から1967年まで駐イギリス大使館書記官として赴任した。

1967年6月10日、デンマークの王位継承者マルグレーテ王女と結婚。名前をデンマーク風にヘンリックとした。カトリックからプロテスタントに改宗し、フランス国籍を捨ててデンマーク国民となった[1]

結婚後早くにデンマーク語を習得したが、訛りのあるデンマーク語は国民のジョークのネタにされた。英語と中国語、ベトナム語が話せる。フランス語の本をデンマーク語に翻訳し、出版している。

2017年、立場の不平等を理由に女王と同じ墓所への埋葬を拒否し、王室もこれを認めたと発表された[1]。1972年の女王即位の際、「国王」ではなく「王配」となったことに落胆し、たびたび不満を口にし、公務にも熱が入らなかったという[1]

2018年2月13日23時18分、1月から患っていた肺の感染症のため、フレーゼンスボー宮英語版で女王と二人の息子らに見守られながら薨去。83歳没[2]

デンマーク王室はヘンリックの遺志を尊重し、遺体を火葬にしたうえで、遺灰の半分をデンマークの海にまき、残りを王室邸宅の敷地内に埋葬することを決めた(デンマーク王夫妻はロスキレ大聖堂に眠るのが従来の伝統であった)[3]

モンペザ伯家[編集]

ヘンリックはラボルド・ド・モンペザ伯家の出身である。同家は1648年に創設されたフランスの貴族である。1967年のヘンリックとデンマーク王女マルグレーテの婚姻によってモンペザ伯家はデンマーク王室の男系となった。2008年の4月30日にマルグレーテ2世は「モンペザ伯(greve af Monpezat)」の儀礼的称号をフレデリック皇太子とヨアキム王子の2人の子に授与した。その為、2人の息子フレデリックとヨキアムとその男の子どもたちはモンペザ伯の儀礼的称号を帯びているようになった。

子女[編集]

妻のマルグレーテ2世との間に2男をもうけた。

脚注[編集]