ヘレロ・ナマクア虐殺

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鎖に繋がれたヘレロ人。
生き残ったヘレロ人。

ヘレロ・ナマクア虐殺(ヘレロ・ナマクアぎゃくさつ、ドイツ語: Völkermord an den Herero und Nama)は、ドイツ領南西アフリカ(現・ナミビア)においてドイツ帝国先住民族に対して行った虐殺アフリカ分割の動きの中の1904年から1907年にかけて行われ、20世紀最初のジェノサイドと考えられている。

概要と現代への影響[編集]

1904年1月12日、ドイツによる南部アフリカの侵攻により土地を追われた先住民族ヘレロ族サミュエル・マハレロ英語版の指揮の下、ドイツ人への無差別攻撃を開始した(ホッテントット蜂起)。これに対してドイツは8月、ロタール・フォン・トロータ将軍の指揮でこれを破り(en:Battle of Waterberg)、カラハリ砂漠: Omaheke Desert)に追い込み、英領ベチュアナランドを目指して脱出した途上で多くが渇きのために死んだ。ベチュアナランドに辿り着いたのは1000人以下だった。

10月にはナマクア族[1]も蜂起したが同様の結果に終わった。ドイツは先住民を強制収容所へ収容したり強制労働に従事させた。結果、約6万人のヘレロ族(全人口の80%)、1万人のナマクア族(全人口の50%)が死亡した。ヘレロ族の死者数は2万4000人~最大10万人とする推計もある[2]

この虐殺の特徴は、1つは餓死であり、もう1つはナミブ砂漠に追いやられたヘレロ族とナマクア族の使用する井戸に毒を入れたことによる中毒死である。

2004年ヘレロ戦争100周年を記念して、ドイツ経済協力・開発大臣ハイデマリー・ヴィーチョレック=ツォイルは、追悼と謝罪の意を全ドイツ人を代表して表すが、ヘレロは財政的賠償を求めている。ヘレロ・ジェノサイド財団のエスター・ムインジャンゲ議長は「ドイツ政府が本当に謝ったとは思っていない」として、ドイツ連邦議会での決議のような公式な謝罪をすべきとの考えを示した。また、ドイツによるこの虐殺が後のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺につながったとの見方に同意している[3]

脚注[編集]

  1. ^ 単数形がナマ、複数形がナマクアである。民族の呼称は、最近はナマ族で統一されているが、古い文献ではナマクアが多い。
  2. ^ “ホロコーストの源流 人種差別科学が招いた惨劇”. 毎日新聞. (2016年3月15日). http://mainichi.jp/articles/20160315/ddm/004/070/015000c 
  3. ^ “「絶滅命令」独は公式謝罪を”. 毎日新聞. (2016年3月15日). http://mainichi.jp/articles/20160315/ddm/004/070/018000c 

関連項目[編集]