コンテンツにスキップ

ヘルマン3世 (シュヴァーベン大公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘルマン3世
Hermann III.
シュヴァーベン大公
在位 1003年 - 1012年

出生 994/5年
死去 1012年4月1日
家名 コンラディン家
父親 ヘルマン2世
母親 ゲルベルガ・フォン・ブルグント
テンプレートを表示

ヘルマン3世(ドイツ語:Hermann III., 994/5年 - 1012年4月1日)は、シュヴァーベン大公(在位:1003年 - 1012年)。

生涯

[編集]

ヘルマン3世はシュヴァーベン大公ヘルマン2世ゲルベルガ・フォン・ブルグントブルグント王コンラートの娘)の息子である[1]。父方よりヘルマン3世はドイツ王ハインリヒ1世の子孫であり、母方では西フランク王ルイ4世を通してアルフレッド大王およびカール大帝の子孫にあたる[2]。ヘルマン3世の姉ギーゼラは後に神聖ローマ皇帝となるコンラート2世と結婚した。

1003年、ヘルマン3世が9歳位の時に父ヘルマン2世が死去し、ヘルマン3世はシュヴァーベン大公位を継承した。ヘルマン3世が若年であったため、従兄弟のドイツ王ハインリヒ2世がヘルマン3世の後見人としてシュヴァーベン公領の支配を管理した[3]。ヘルマン3世の父ヘルマン2世は、1002年の国王選挙の際にハインリヒ2世に反対し、自身が対立候補として名乗りをあげた[4]。このため、ハインリヒ2世はコンラディン家に不信感を抱いていた。そこで、ハインリヒ2世は後見人の立場を利用して、ヘルマン3世のシュヴァーベン公としての権限を制限した。ハインリヒ2世はシュヴァーベンの重要な地域(ホーエントヴィール、ブライザハおよびチューリッヒを含む)を自身で支配し、公爵の造幣所を王家の造幣所に変えた。また、アルザスをシュヴァーベン公領から切り離し、親族のメッツ伯ジェラール3世[5]に与えた[6]1012年にヘルマン3世が18歳位で死去した後も、ハインリヒ2世のシュヴァーベン支配は続いた。

ヘルマン3世は未婚で子女なく没し、コンラディン家の男系はヘルマン3世の死により断絶した。ハインリヒ2世はバーベンベルク家エルンスト1世にシュヴァーベン大公位を与え、エルンスト1世は2年後にヘルマン3世の姉ギーゼラと結婚した。

脚注

[編集]
  1. Weinfurter 1992, p. 46.
  2. Wolfram, Conrad II, p. 32
  3. Thietmar of Merseburg, Chronicon, VI.9
  4. Keller, ‘Schwäbische Herzöge als Thronbewerber,’ esp. pp. 135ff.
  5. 王妃クニグンデの妹エーファーの夫(Thietmar of Merseburg, p. 220)。
  6. Weinfurter, Heinrich II, p. 63.

参考文献

[編集]
  • Wolfram, Herwig (2006). Conrad II, 990-1039: Emperor of Three Kingdoms. The Pennsylvania State University Press 
  • Weinfurter, Stefan (2002). Heinrich II. (1002-1024) Herrscher am Ende der Zeiten. Pustet, Friedrich GmbH 
  • Weinfurter, Stefan (1992). The Salian Century: Main Currents in an Age of Transition. University of Pennsylvania Press 
  • Thietmar of Merseburg, transl. D. A. Warner (2001). Ottonien Germany, The Chronicon of Thietmar of Merseburg. Manchester University Press 
先代
ヘルマン2世
シュヴァーベン公
1003年 - 1012年
次代
エルンスト1世