プーシーの丘

プーシーの丘(‐おか、ラーオ語:ພູສີ、英:Phou si、Phu Si)は、ラオスのルアンプラバーン市内にある高さ約150mの小高い丘。海抜は700mある。
ラオス人は、プーシーを仏教とヒンドゥー教の世界の軸(須弥山)と見なしており、ルアンパバーン宮殿(ラーオ語:ພະລາຊະວັງ ຫລວງພຣະບາງ)(現ルアンパバン国立博物館(ラーオ語:ພິພິ ທະພັນແຫ່ງຊາດຫຼວງພະບາງ)の真向かいに位置している[1]。
概要
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頂上からは町全体が世界遺産に登録されているルアンプラバーン市内やメコン川とナムカーン川を一望できる。ほぼ360度の展望が可能で、観光の中心となっている。また、メコン川の向こう側に沈む夕日が見られる絶好のビューポイントで、夕刻の参拝者が特に多く、狭い山頂はひと時にぎわいを見せる。王宮博物館のすぐ向かいに登り口があり、観光客は途中で入場料を支払い328段の階段を上る。頂上にはタート・チョムシーという金色に塗色された仏塔が建つ。ときおり頂上では仏事が執り行われることがある。この塔は夜間にはライトアップされ、ルアンパバーンの地味な夜景に彩を添えている。
一般的な登山ルートは、王宮博物館前からだが、帰路は反対側の別の階段を下りると、比較的最近に設置された黄金の仏像や、仏足の納められた岩穴などを鑑賞できる。このルートは、途中さらに2方向に分かれ、シーサワンウォン通りに下りるルートとナムカーン川に沿った道に出るルートがある。
名の由来
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この山には、かつてアマラ・ルーシー(ラーオ語:ອະມະຣະ ຣືໍສີ)とニョティカ・ルーシー(ラーオ語: ໂຍທິກະ ຣືໍສີ)という2人の仙人が神の導きによりたどり着き、プーシーの丘に都市の杭を穿ち、ルアンパバーンの町を造ったという伝説が残されていることから、「仙人(ルーシー)の山(プー)」と名づけられた説がある。
また、アヌラート王(在位1791-1817)(ラーオ語:ເຈົ້າ ອານຸລາດ)がタート・チョムシー(ラーオ語: ທາດຈອມສີ)を建立する以前、プーシーの丘は「ナンタ・カン・ヒ・シーサッタナーク」と呼ばれていた。これはルアンパバーンを支配していた鬼のナンタとカン・ヒ、プーシーの丘に住むナーガ(蛇神)であるシーサタナーク(ラーオ語:ສີສັດຕະນາກ)に由来している[2]。
信仰の対象としてのプーシーの丘
[編集]プーシーの丘は、単なる地理的な高地ではなく、ルアンパバーンの伝統的な世界観において、強大な精霊の力と都市の神話的起源が宿る神聖な中心地として認識されている。
精霊信仰上の位置づけ
[編集]ルアンパバーンにおける土着の精霊(ピー)の領域として、極めて重要な意味を持っている。地元の住民にとって、ピー・ムアン(領域の守護精霊)が住む「完全な精霊の領域」と見なされている[2]。
ヤクシャの住処: ルアンパバーンのタートの祭りに関する伝承によると、丘には町の安全を脅かす危険なヤクシャ(夜叉)が潜んでいるとされており、そのために「プー・シーの鐘つき」という職務が存在した。この丘に潜むヤクシャを奴隷にした神々の霊媒が、鐘つきの職務を兼任することが望ましいとされていた記録がある[3]。
仏教宇宙論における位置づけ
[編集]プーシーの丘は、ラオス仏教の宇宙論において、神聖な須弥山を地上に象徴する聖なる中心地とみなされてきた。それ自体が王権の正統性を強化するものであった[4]。
王権との関連: プーシーが仏教の教えであるダルマの貯蔵庫である仏塔を擁し、王国の中心的な場所であったことを示している。王は仏塔の傍らで瞑想することで、宇宙の秩序を自身に流入させ、王国全体に広げると信じられていた[5]。
ワット・タート・チョームシー
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山頂には、1804年にアヌラート王(ラーオ語:ເຈົ້າ ອານຸລາດ)が建造した上座部仏教寺院でルアンパバーンIII様式のワット・タート・チョームシー(ラーオ語: ວັດທາດຈອມສີ)がある。古くは都市の杭の仏塔という意味のタート・ラックムアン仏塔(ラーオ語:ພະທາດຫລັກເມືອງ) と呼ばれた。タート・チョムシー仏塔(ラーオ語:ພະທາດຈອມພູສີ)は正方形で、その四隅には七層のブロンズ製のパラソルが4つ置かれている。基壇の幅10.5m、先端までの高さは21メートルである[6]。
ラオス正月(ピーマイラオ)にはプーシーの頂上で托鉢の儀式が行われる[5]。
プーシーの頂上にあるこの聖遺物塔(タート)は、町の中心部にそびえる聖遺物箱として機能している。ラオスの聖人伝によれば、タート・チョムシーには、仏陀自身の願いにより、仏陀の84,000の聖遺物または「付属品」の一部が納められたとされている[3]。
かつて、この聖なる丘があった場所は、地球の中心へと続く深い穴しかなかったという伝説があり、パ・ラヴェクという僧侶が井戸の底で金塊を見つけたものの、強欲な村人たちによって生き埋めにされかけたという物語がある。パ・ラヴェクは脱出後に王の助けで金塊を取り戻し、その黄金でタート・チョムシーを建立したとされている[3]。
その他の仏跡・祠
[編集]仏塔のほかにも、プーシーの丘には仏足跡を祀るワット・タム・プーシー・ローイパバート(ラーオ語:ວັດຖ້ຳພູສີຮອຍພະບາດ)、ワット・パーケオ(ラーオ語:ວັດປ່າແກ້ວ)、ワット・シープッタバート(ラーオ語:ວັດສີພຸດທະບາດ)、ワット・パーフアク(ラーオ語:ວັດປ່າຮວກ)、ワット・パーパング(ラーオ語:ວັດປ່າຜ່າງ)、ワット・パーメーオ(ラーオ語:ວັດປ່າແມວ)、ワット・タートヌング(ラーオ語:ວັດທາດເນີ້ງ)など多くの寺院があり、古くよりヴィパッサーナー瞑想(ラーオ語:ວິປັດສະນາກຳມະຖານ)の教えの場となっている[5]。
この山頂より太鼓で定期的に時間を知らせたり、災害や戦争時の警報の役割を持っていた。現在、寺院からの太鼓は朝10時半、夕方17時、布薩日の朝4時に叩かれる[5]。

菩提樹
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1955年、インド仏教協会から菩提樹がシーサワン・ワッタナ皇太子とカターイ・ドンサソリット首相に贈呈された。うち1本はプーシーの丘の斜面にあるワット・パティアプに、もう1本はビエンチャンのタート・ルアンに仏暦2500年を記念して1957年初頭に植樹された[7]。
ナーガの住処
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ルアンパバーンは15種族のナーガがメコン川、ナムカーン川や陸地を占拠していると考えられている。プーシーの丘の下にはナムカーン川からメコン川へと流れるトンネルがあり、そこにシーサタナーク(ラーオ語:ສີສັດຕະນາກ)が棲息しているという。メコン川への出入り口はワット・ターパバートタイ(ラーオ語:(ວັດພະບາດໃຕ້))の祠とされる[8]。

交通アクセス
[編集]出典
[編集]- ↑ Justin Thomas McDaniel『Gathering Leaves and Lifting Words : Histories of Buddhist Monastic Education in Laos and Thailand』University of Washington Press、2008年。
- 1 2 Thararat Chareonsonthichai (2017). “Echoes from the Sacred Mounts: The Challenge of Female Tutelary Spirits in Luang Prabang”. Journal of the Siam Society (Vol. 105).
- 1 2 3 Charles Archaimbault (1966). “La Fete du T'at a Luong P'rabang”. Artibus Asiae.
- ↑ Martin Stuart-Fox『The Lao Kingdom of Lan Xang: Rise and Decline』White Lotus、1998年。
- 1 2 3 4 “ປະຫວັດຄວາມເປັນມາຂອງພະທາດພູສີ ຫລວງພະບາງ”. ກິນທີ່ນີ້, ທ່ຽວທີ່ນີ້(乐在老挝) (2025年7月17日). 2025年7月20日閲覧。
- ↑ “CHOM SI – Luang Prabang World Heritage Office” (英語). 2025年7月20日閲覧。
- ↑ Khamvone Boulyaphonh『The Life, Work and Social Roles of the Most Venerable Sathu Nyai Khamchan Virachitta Maha Thela (1920–2007)』Geisteswissenschaften Universität、2015年。
- ↑ Ladwig, Patrice & Phansone Phothichit『The Nāgas of Luang Prabang (ພະຍານາກແຫ່ງຫຼວງພະບາງ).』CK-Power.、2024年6月。
- 1 2 “ທ່ຽວຊິວໆ ວິວງາມໆ ແບບ 360 ອົງສາ”. Tourism Luang Prabang ທ່ອງທ່ຽວຫຼວງພະບາງ (2025年5月8日). 2025年7月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 『D23 地球の歩き方 ラオス 2010~2011版』 ISBN 9784478057896 ISBN 978-4478057896