プロビンスタウン (マサチューセッツ州)

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プロビンスタウン
—    —
Aerial view of Provincetown, Cape Cod
愛称:"P-town"
マサチューセッツ州におけるバーンスタブル郡とプロビンスタウンの位置
U.S. Census Map
座標: 北緯42度03分30秒 西経70度10分45秒 / 北緯42.05833度 西経70.17917度 / 42.05833; -70.17917
アメリカ合衆国
マサチューセッツ州
バーンスタブル郡
入植 1700年
州に組み込まれた年 1727年
行政
 - 種別 タウンミーティング
 - 町長 デイヴィッド・パナゴア
面積
 - 計 17.5mi2 (45.2km2)
 - 陸地 9.7mi2 (25.0km2)
 - 水面 7.8mi2 (20.2km2)
標高 40ft (12m)
人口 (2010年)
 - 計 2,942人人
 - 人口密度 303.3人/mi² (117.2人/km²)
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
 - 夏時間 東部標準時 (UTC-4)
ZIP code 02657
市外局番 508 Exchange: 487
FIPS code 25-55500
GNIS feature ID 0618258
ウェブサイト 公式サイト

プロビンスタウン (Provincetown [ˈprɒvɪnsˌtn]) は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州バーンスタブル郡ケープコッドの先端にあるニュー・イングランド・タウン。年間を通じた人口は3千人以下の小さな海岸リゾート街であるが、夏季には6万人もの人々が集まる[1]。「ピー・タウン (P-town )」と略して呼ばれ[2]、海岸、港、リゾート芸術漁業の町として知られ、多くの観光客が訪れている。自由な雰囲気からゲイ・タウンとしてLGBTQコミュニティのバケーションの地としても知られる。

歴史[編集]

その歴史は古く、ノーセット族が「Meeshawn 」と呼ばれたこの地に長く定植していた。ワンパノアグと近く、ニューイングランド南部のアルゴンキン語訛りの「マサチューセット」という言語を話していた。

1602年5月15日、ヨーロッパからパーソロミュー・ゴスノルドが上陸し、最初は島だと思っていたことからこの地を「ショール・ホープ」と呼んだ。大量のタラ(英名、コッド)を捕まえたことから、その日遅く、この地を「ケープ・コッド」と改名した[3]。当時は現在のプロビンスタウンの辺りのみをケープ・コッドと呼んだが、その後それほど長くかからないうちに現在の広い範囲をケープ・コッドと呼ぶようになった。

1620年11月9日にピルグリム・ファーザーズメイフラワー号に乗ってバージニア植民地に向かう途中にケープ・コッドを見つけた。冬の強い海風に対抗して南に向かおうとするが失敗し、2日後、現在のプロビンスタウン港に戻り、錨を下した。そしてここがメイフラワー誓約が作成および署名された地となった。ここに植民および自治区設立を決意し、東岸から上陸した[4]

ピルグリムは湾の反対側のプリマスを植民地に考えていたのだが、ケープ・コッドは椀状に深く、魚がよく採れ、この海岸が最適と考え直した[5]。1654年、プリマス植民地の知事はノーセット族酋長から真鍮のやかん2個、コート6着、鍬12本、斧12本、ナイフ12丁、箱1箱でこの地を購入した[6]

この土地は現在のプロビンスタウンとトゥルーロの境界線近くのイースト・ハーバー(旧ピルグリム・レイク)からロング・ポイントまで広がり、プリマス植民地にとって有利であり、漁民は漁業権がなければ漁に出られなくなった。集めた権利金は学校設立など植民地内の様々な計画に使用された。1678年、マサチューセッツ湾植民地からの漁民なども料金を支払えば漁場を使用することができるようになった[7]

1692年、新たな勅許によりプリマス植民地とマサチューセッツ湾植民地が合併しマサチューセッツ湾直轄植民地となった。この時「ケープ・コッド」は正式に「プロビンス・ランズ」と改名された[6]

1714年、プロビンス・ランズの最初の司法が記録されており、トゥルーロの管理下で併合された「ケープ・コッド行政地区(Precinct of Cape Cod )」が決議された[8]

1727年6月14日、入植から100年以上が経ち、ケープ・コッド行政地区はタウンシップ制となった。これにより住民たちは「ヘリングタウン(Herringtown )」への改名を望んだが、マサチューセッツ地方議会はこれを退け「プロビンスタウン」を選んだ[9]。タウンシップ制となったことで住民たちはプロビンスタウンの土地を所有権ではなく使用権しか与えられなかった。彼らは土地の権利放棄証書を受け、プロビンスがその権利を所有した。これらの土地は植民地開始当時同様漁業に使用された。木などの資源もこのために利用された[6]。1893年、地方議会は町の特許を変更し、人々に使用していた土地を与えたが、まだ手付かずの土地もあった[10]

18世紀の間、プロビンスタウンの人口は少ないままであった。

1940年、海岸での絵画教室
1907年から1910年にイタリアシエーナにあるマンジャの塔をモデルにウィラード・T・シアーズが設計したピルグリム・モニュメント

ケープ・コッド内の他の地域同様、プロビンスタウンはアメリカ合衆国の独立の影響を受けた。イギリス軍は漁業および船舶関連の場所の多くを閉鎖し、町は縮小していった。1778年、奇遇にもこのプロビンスタウンの大西洋沖ピークド・ヒル・バーでイギリス軍艦HMSサマーセット号が難破した。

アメリカ合衆国の独立後、漁業や捕鯨基地として急速に栄えた[7]アゾレス諸島から来たポルトガル人の船員が多く住み着き、アメリカの船舶で職を得てプロビンスタウ ンの人口は急増した[11]

1890年代までにプロビンスタウンは景気づき、避暑を求める観光客の他、多くの作家や芸術家が集まるようになった。1898年にポートランド・ゲイルと呼ばれる嵐が町の漁業に打撃を与え、空き家となった漁業関連の建物に町の多くの芸術家が住み着くようになった。20世紀初頭、町の芸術文化作品は国際的称賛を得るようになっていた。この頃、実験的演劇集団プロビンスタウン・プレイヤーズが創立した。彼らの多くはニューヨークグリニッジ・ヴィレッジに住んでおり、文化人と芸術家の繋がりはこれらの場所で織りなされた。1898年画家チャールズ・ウェブスター・ホーソンによって初の屋外人物画教室とされるケープコッド芸術学校が創設された。1916年の授業の映像が残されている[12]

1910年には町のシンボルである「ピルグリム・モニュメント」が完成し、ウィリアム・タフトらを招いて盛大に除幕式が行われた。

1960年代半ば、人口が急増した。当時、街の田舎的風景がヒッピーたちに受け、特に冬季は家賃が安く生活コストが低く抑えられた。彼らの多くはここに滞在して家族を形成していった。街の大通りとなるコマーシャル通りには多くの喫茶店、レザー・ショップ、違法薬物店など様々な小売店が繁盛した。

1970年代までに、特に夏季の観光シーズンにはゲイの人口 が急増した。早くとも20世紀には実験的演劇と共に芸術村として発展しており、プロビンスタウンにはゲイの人々が集まるようになった。1940年代にはドラァグクイーンがパフォーマンスを行なっていた。1978年、プロビンスタウン職業組合(PBG)はLGBTツーリズム関連のプロモーションを開始した。現在、PBGに加盟している企業は200社以上あり、プロビンスタウンはアメリカ合衆国東海岸でゲイに最も知られた避暑地とされる。2010年のアメリカ国勢調査によると、カップル1,000組中163.1組が同性であり、国内最高の比率となっている[13]

1990年代から家賃が急激に上がり、住民らに打撃を与えた。しかし2005年から2012年、町内外の土地の価値が下がり、1年弱で10%以上下がり[14]、町の経済は下落していった。しかし観光シーズンは長くなっていき、祭りや1週間続くイベントなどを企画している。最も有名なものは夏季のポルトガル祭ベア・ウィークカーニバル・ウィークである。

アメリカ合衆国国家歴史登録財に建物8軒が登録され、プロビンスタウン歴史地区とデューン・シャックス・オブ・ピークド・ヒル・バーズ歴史地区の2つの歴史地区がある。

地理[編集]

プロビンスタウンはケープ・コッドの最先端にあり、総面積は17.5平方マイル (45 km2)で、うち55%の9.7 sq mi (25 km2)が土地であり、残りの7.8 sq mi (20 km2)が水域である[15]。東以外の全方向を水域で囲まれ、海岸線は21.3 マイル (34.3 km)におよぶ[16]。東隣のトゥルーロとの間が唯一の地上境界線であり、南東にプロビンスタウン港、南および西にケープコッド湾、北西および北にマサチューセッツ湾、北東に大西洋がある。

バーンスタブルハイアニスから北に道路上で45 マイル (72 km)、ケープコッド運河に架かりケープ・コッドと本土を結ぶサガモア橋から道路上で62 マイル (100 km)の位置にある。ボストンの南東の位置にあり、空路および海路で45 マイル (72 km)、道路上で115 マイル (185 km)離れている。

街の73%である約4,500エーカーの土地は、ケープ・コッド国立海浜公園を操業するアメリカ合衆国国立公園局が所有し、その他の約2.7 sq mi (7.0 km2)の土地は町の管轄となっている[16]。砂丘および複数の小さな池がある北側のプロビンス・ランズはマサチューセッツ湾沿いに東のマウント・アララトから西のレイス・ポイントまで広がっている。ケープ・コッド湾の海岸は西のレイス・ポイントから南のウッド・エンドまで広がり、そこから内側にカーブして東に向かうとロング・ポイントがあり、プロビンスタウン港の自然な堤防となっている。これら3つの地点には灯台がある。人口密集地は海浜公園の南の港に沿っている。

マウント・アララトは創世記ノアの方舟が到着したとされるアララト山から[17]、マウント・ギルボアはサムエル記ギルボア山から名付けられた[18]

気候[編集]

水域で囲まれているプロビンスタウンは、1976年から2005年の最低気温の平均が 0から5°F (−17.8 and −15 °C)で、アメリカ合衆国農務省が定める耐寒性区分は7aとなっており緩やかな気候である.[19]。州内の他地域に比べて水温の季節の変わり目は遅く、春の水温は冷たく、秋の水温はぬるい。

ケッペンの気候区分によると、大陸性気候の影響を受けつつ海洋性気候温暖湿潤気候の境にあたる。7月の70.6 °F (21.4 °C)は温暖湿潤気候の等温線のやや下になる。大陸性気候の等温線の32 °F (0 °C)の時で比べると、半島の地形による自然の変化であると言える。

Provincetown, Massachusettsの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °F (°C) 62
(17)
57
(14)
79
(26)
85
(29)
92
(33)
98
(37)
98
(37)
98
(37)
91
(33)
82
(28)
70
(21)
62
(17)
98
(37)
平均最高気温 °F (°C) 36.9
(2.7)
38.1
(3.4)
44.4
(6.9)
53.3
(11.8)
63.6
(17.6)
73.1
(22.8)
79.3
(26.3)
78.3
(25.7)
71.0
(21.7)
61.9
(16.6)
51.6
(10.9)
42.1
(5.6)
57.8
(14.3)
日平均気温 °F (°C) 30.1
(−1.1)
31.1
(−0.5)
36.9
(2.7)
45.1
(7.3)
54.9
(12.7)
64.4
(18)
70.6
(21.4)
69.8
(21)
63.1
(17.3)
54.0
(12.2)
45.0
(7.2)
35.3
(1.8)
50.0
(10)
平均最低気温 °F (°C) 23.3
(−4.8)
24.1
(−4.4)
29.6
(−1.3)
36.8
(2.7)
46.2
(7.9)
55.6
(13.1)
62.0
(16.7)
61.3
(16.3)
55.3
(12.9)
46.0
(7.8)
38.3
(3.5)
28.2
(−2.1)
42.2
(5.7)
最低気温記録 °F (°C) −4
(−20)
−2
(−19)
6
(−14)
19
(−7)
25
(−4)
35
(2)
43
(6)
34
(1)
29
(−2)
22
(−6)
11
(−12)
0
(−18)
−4
(−20)
降水量 inch (mm) 3.81
(96.8)
3.24
(82.3)
3.87
(98.3)
3.55
(90.2)
3.25
(82.6)
3.10
(78.7)
2.44
(62)
3.38
(85.9)
3.47
(88.1)
3.69
(93.7)
4.49
(114)
4.19
(106.4)
42.49
(1,079.2)
降雪量 inch (cm) 5.4
(13.7)
7.1
(18)
3.6
(9.1)
0.4
(1)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0.1
(0.3)
3.0
(7.6)
19.5
(49.5)
平均降水日数 (≥ 0.01 in) 9 10 10 10 9 8 7 8 7 8 11 10 108
出典 1: Western Regional Climate Center (normals 1958-1992)[20]
出典 2: The Weather Channel (extremes)[21]

交通[編集]

1890年代のコマーシャル通りが描かれた絵葉書

空港があり、ボストンから飛行機(ケープエアー)が飛んでいるほか、ボストン発のバスフェリーもある。

交通状況の歴史[編集]

記録に残るプロビンスタウンの歴史において、長年、特に自然に深い港で船が安全に航行でき、風や波の影響をあまり受けない南の海岸では海運と深く繋がっている。またプロビンスタウンは細長い半島の先端にあるため地形的に分断されていた。

プロビンスタウンで最も安全な係留地であったイースト・ハーバーはプロビンスタウン・ハーバーから-wide1,000フィート (305 m)入り江にあり、土地が隔てて往来が困難であった。19世紀後期まで、「バックショア」(後浜)と呼ばれる北の細くのびる海岸に沿った道以外に本土と繋がる道路はなかった[22]。1854年、イースト・ハーバーに木製の橋が架けられたが、2年後の冬に嵐と凍結で崩壊した[23]。翌年再建されたが、この橋を渡るルートはバックショアのルートと同様に何マイルもの砂地を通らねばならず、嵐で水嵩が増して通れないこともあった。これによりプロビンスタウンは半島というよりも島と同等ともいえた。住民たちはコミュニケーション、航行、商業において結局港を使用しなければならなかった[24]

Maps of Provincetown, 1835 and 1889.
1800年代後期まで、イースト・ハーバーはプロビンスタウン・ハーバーに向かってひらけており、プロビンスタウンへ向かう道路はなかった[22]。1868年、イースト・ハーバーに堤防および鉄道ができ、その後車用道路ができた[25]

1868年、イースト・ハーバーに堤防ができ、鉄道線路が設置された。1873年、鉄道の開通式が盛大に行われ[24]、1877年、木製の橋と砂の道は自動車用の道路に作り替えられた[25][26]。鉄道の終点は現在のマクミラン埠頭となる鉄道埠頭であった。鉄道および道路ができたことにより漁師は船の乗り降り、および鉄道での魚の移送が簡単になった。

プロビンスタウンに鉄道および道路ができたのはだいぶ遅かった。

"当時町に道路はなかった。カート、馬車、ワゴン、馬、牛もいないのだから道路がある訳がない。各家に船着き場までの小道があり、一度外に出れば税金や通行料なしで通ることができる。近所への小道、学校への小道、教会への小道がある。曲がりくねった小道もあるだろうが、彼らは昼夜問わず、陸地だろうと水域だろうと上手に通る。一方、浅い水が流れる道路は毎年1日2回広く長い範囲に亘って水嵩が増し、もし通ればオランダ兵が喜ぶことだろう。"

シェナ・リッチ、 『Truro—Cape Cod. Or, Land Marks and Sea Marks 』(1883年)[27]

町内の道路区画は歴史的に重要な海岸を考慮し、国際的なコミュニケーションおよび商業の鍵となった。町が発展するにつれて、沿岸が組織的に拡大していった。主要な道路が町内全ての商業、社会生活が営まれる海岸の繋がりを密にした。当初住宅の後ろから続く歩道を進化させた通りを「タウン・ロード」と呼んでいた。1835年、郡政委員会は「フロント・ストリート」と改名し、その後現在の「コマーシャル・ストリート」となった。フロント・ストリートと内陸に並行して「バック・ストリート」が通っていたが、現在は「ブラッドフォード・ストリート」という名になった。

"当時住宅は海岸に面していた。当時から向きを変える家もあったが、おもて玄関を海側に向けたままの家もあった。町に越してきて短いとある医者の男が区画を64フィート (20 m)に定めようと提案したが、住民投票で否決された。彼は譲歩して32フィート (9.8 m)で提案し直したが、22フィート (6.7 m)がいかなる用途にも適しているとされた。"

ナンシー・W・ペイン・スミス、『The Provincetown Book 』(1922年)[28]

現代の交通[編集]

プロビンスタウンの住宅街

プロビンスタウンには国道6号線の東の終点がある。ただしケープ・コッドの形状に沿っているため厳密には最東端ではない。西端は州道6A号線と接している。州道の終点を告げる「State Highway Ends 」の標識から国立海浜公園の道路となり、その後国道となる。国道6号線の他に州道6A号線も町を横切るように通っており、その大部分がブラッドフォード・ストリートとも呼ばれ、ハーリング・コーヴ・ビーチのすぐ南まで続いている。

フェリーはボストン行きが2社[29][30]、プリマス行きが1社通っている[31]。すべて町の中心部にある町役場のすぐ東にあるマクミラン埠頭に停泊する。1873年から1960年代初等まで鉄道が走っていたが、ニューヨーク・ニューヘイブン・アンド・ハートフォード鉄道に遺棄されて以降鉄道はない。「ロード」と名のつく通りのほとんどは「ハリー・ケンプ・ウェイ」、「レイルロード・アベニュー」、「リア・ハウランド」に変わり、また1.3マイル (2.1 km)の歩道およびグリーンウェイである「オールド・コロニー・ネイチャー・パスウェイ」となった。

ケープ・コッド地方公共交通機関管理所はマクミラン埠頭とハーウィッチを結ぶバスおよびトゥルーロへのシャトルのルートを提供している。またボストンから繋がる景観自転車道「バイク・ルート1号線」の終点の1つがあり、クレア・ソルトンストール・バイクウェイと呼ばれている。

プロビンスタウン地方空港はレイス・ポイントのすぐ東にある。この378エーカー(1.53km2)の空港はケープ・コッド国立海浜公園に囲まれ、ゼネラル・アビエーションに使用されることが多いが、ジェットブルー航空コードシェア便のあるケープエアーのボストン、ホワイト・プレインズ行き定期便もある[32]。この空港には3,500フィート (1,100 m)の滑走路、計器着陸装置、全照明の設備が整っている。一番近い国際空港はボストンのジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港である。

人口動態[編集]

人口推移
人口
1850 3,157
1860 3,206 1.6%
1870 3,865 20.6%
1880 4,346 12.4%
1890 4,642 6.8%
1900 4,247 −8.5%
1910 4,369 2.9%
1920 4,246 −2.8%
1930 3,808 −10.3%
1940 3,668 −3.7%
1950 3,795 3.5%
1960 3,389 −10.7%
1970 2,911 −14.1%
1980 3,536 21.5%
1990 3,561 0.7%
2000 3,431 −3.7%
2010 2,942 −14.3%

アメリカ合衆国国勢調査[編集]

以下は2010年国勢調査による人口統計データである[33]

基礎データ

  • 人口: 2,942人(2000年から14.3%減)[34]
  • 世帯数: 1,765世帯(3.9%減)
  • 家族数: 416家族(23.6%)
  • 人口密度: 117.5人/km²(304.2人/mi²)
  • 住居数: 4,494軒(15.5%増)
  • 住居密度: 179.4軒/km²(464.7軒/mi²)

人種別人口構成

アイルランド系(26.7%、2010年より9.3%増)、イギリス系(17.4%、2.6%増)、ポルトガル系(14.6%、8.2%減)、イタリア系(13.5%、3.4%増)、ドイツ系(12.5%、3.6%増)である [35][36]

人口ピラミッド 2010
% 男性 年齢 女性 %
1.4
 
85+
 
1.8
0.8
 
80–84
 
1.6
1.7
 
75–79
 
2.1
1.9
 
70–74
 
2.3
3.7
 
65–69
 
3.0
5.7
 
60–64
 
5.8
6.2
 
55–59
 
5.2
7.7
 
50–54
 
5.7
7.8
 
45–49
 
4.2
5.1
 
40–44
 
2.8
3.5
 
35–39
 
2.0
2.3
 
30–34
 
2.0
1.9
 
25–29
 
1.8
1.0
 
20–24
 
1.3
1.0
 
15–19
 
1.1
1.0
 
10–14
 
0.8
1.0
 
5–9
 
0.8
0.7
 
0–4
 
1.1

年齢別人口構成

  • 18歳未満: 6.8%
  • 年齢の中央値: 52.3歳
  • 性比: 男性1,602名、女性1,340名

世帯と家族(対世帯数)

  • 18歳未満の子供がいる: 115 (6.5%)
  • 非家族世帯: 76.4%
  • 平均構成人数
    • 世帯: 1.64人
    • 家族: 2.55人

収入と家計

  • 収入の中央値
    • 世帯: 46,547米ドル(平均74,840米ドル)
    • 家族: 87,228米ドル(平均84,050米ドル)
    • 非家族世帯: 42,375米ドル(平均71,008米ドル)
    • 性別
      • 男性: 49,688米ドル
      • 女性: 36,471米ドル
  • 人口1人あたり収入: 41,488米ドル[37]
  • 貧困線以下
    • 対人口: 15.4%
    • 対家族数: 2.1%
    • 18歳未満: 26.0%
    • 65歳以上: 7.5%[38]

プロビンスタウンの郵便番号使用者では、全米で一番同性カップル世帯の割合が高い[39]

リゾート地として[編集]

国勢調査などの調査ではリゾート地としての夏季の人口は調べられない。住居数が15%上がっても人口は14%下がっており、61%の住居が空き家であるのは53%が別荘であるからである[33]

2000年から2010年の10年間で人口が3,431から2,942に14.3%減ったが、夏季の人口は19,000から60,000に大幅に上がった[40]。これらの人々には夏季の6か月間のみの家賃を払っている人が多い。彼らの多くはここで仕事をし、家賃、税金を払っている。

政治[編集]

プロビンス町役場

プロビンスタウンではニュー・イングランドの他の町と同様、オープン・タウン・ミーティング形式をとっている。市民がタウン・ミーティングに集まり、立法府のように会議し、町の規則に従って予算や法改正を決議する。町は独自の警察署や消防署があり、双方ともシャンクペインター通りにある。郵便局はコマーシャル通り沿い、フォース埠頭近くにある。公立図書館もコマーシャル通り沿いで2005年までセンター・メソディスト米国聖公会だった建物内にある[41]

1963年からマサチューセッツ州選出上院議員を務めていたエドワード・ケネディが2009年に亡くなり、ジョン・ケリーが後継して2013年にアメリカ合衆国国務長官となるまで務めた。以降2013年7月16日よりエド・マーキーが務めている。他に2012年11月の選挙で選ばれた民主党のエリザベス・ウォーレンが務めている。

教育[編集]

文化[編集]

1968年、非営利団体ファイン・アーツ・ワーク・センターが創立した。研修制度を通して若い芸術家、作家の実力を発揮し、審美眼を養い経験を積み、歴史的に芸術の町であったプロビンスタウンの活気を取り戻す目的であった。

全米でも有名なプロビンスタウン芸術協会美術館(PAAM)は2014年に100周年を迎えた。年間のべ35回の企画展を実施し、子供、若者、大人向けファインアート・ワークショップの他、数々のプログラムやイベントを行なっている。常設展示は3.000点におよぶ。

2004年から2007年、PAAMは地域振興費用を計4回得て、総額300万ドルを借り、増築、空調施設改善、歴史的船長邸であるハーグッド・ハウスの改装、負債返済を行なった[42]。地域振興費用の目的は「全米のあらゆる地方の経済活動を活性化し、クオリティ・オブ・ライフを向上させる」ことであり[43]、農務省は2000年代のプロビンスタウンはまだ「地方」と定義し、連邦政府扶助を必要としているとした。

2003年、マクミラン埠頭の改築の補助として農務省から地域振興費から195万ドルを低利率で借り受けた。町の漁船は主にこの埠頭を使用し、高速フェリーも停泊する他、観光客も多く訪れる。

アトランティック・ハウスは全米最古のゲイ・バーとされ、『フロマーズ』誌は「アメリカ初のゲイ・バー」と記している[44][45][46][47]

アート・ハウスは夏季に多くのエンターテイナーが出演しショーを行ない、ヴァーラ・ジーン・マーマンミス・リチャード1981ミス・ココ・ペルーなど町の有名人が登場する。オフ・シーズンには夜にWii Sportsボウリング大会、クイズ大会などのイベントが行われる。

プロビンスタウン国際映画祭では自主映画や前衛映画などが上映される。ジョン・ウォーターズは夏季にプロビンスタウンに滞在し、映画祭でも重要な役割を担っている。

2011年11月、プロビンスタウン・シアター・カンパニーはニュー・イングランドで初めてハワード・フィリップス・ラヴクラフトの1919年のホラー・ファンタジー『一枚の絵/家の中の絵』を舞台化し、第22回フォール・プレイライト・フェスティバルで上演された[48]

ポピュラー・カルチャー[編集]

著名な人物[編集]

  • 脚本家: テネシー・ウィリアムズユージン・オニール、スーザン・グラスペル
  • 桂冠詩人: スタンリー・クニッツ
  • 国際的ジャーナリスト: メアリー・ヒートン・ヴォーズ、ジョン・リードルイーズ・ブライアント
  • 画家: ジャクソン・ポロック、チャールズ・ホーソーン、エドウィン・ディッキンソン、マーデン・ハートリー、ロバート・マザウェル、ハンス・ホフマン、フランツ・クライン、ウィレム・デ・クーニング、ヘンリー・ヘンシェ、ジョージ・モリソン、ハーマン・メリル、マックス・ボーム、アン・パッカード
  • 写真家: ジョエル・メヴロウィッツ
  • 北極探検家: ドナルド・B・マクミラン
  • ノーマン・メイラー - 作家、ピューリッツァー賞受賞者、『ヴィレッジ・ヴォイス』紙共同創立者
  • メアリー・オリヴァー - 詩人、ピューリツァー賞受賞者
  • ジョン・ウォーターズ - 映画監督
  • ハリー・ケンプ - 砂丘詩人、『Tramping on Life 』、『More Miles 』の作家
  • マイケル・カニンガム - 作家、『The Hours 』でピューリツァー賞受賞
  • デイヴィッド・ドレイク - オビー賞受賞脚本家、舞台演出家、俳優、作家
  • アンドリュー・サリヴァン - 作家、ブロガー
  • アンディ・タウル - 詩人、Towleroad.com創立者
  • アル・ジェフィ - 『MAD』誌の漫画家
  • マーク・ドティ - 詩人、作家
  • クッキー・ミューラー - 作家、パフォーマー、ドリームランダー
  • ウィリアム・J・マン - 作家、歴史家
  • ケイト・クリントン - コメディアン、作家
  • プレスコット・タウンセンド - 初期のLGBT活動家
  • サラ・ピーク - バーンスタブル第4区州議会議員
  • マーク・プロトセヴィッチ - 映画『ザ・セル』(2000年)、『アイ・アム・レジェンド』(2007年)脚本家
  • レディ・オブ・ザ・デューン(砂丘の女) - 1974年の身元不明の殺人被害者[51]
  • ブランシェ・レイツェル - 現代画家、版画家
  • アラン・エンテイジ - インターネット考案者、写真家
  • ハワード・ミッチャム - 芸術家、詩人、料理家
  • フランク・X・ギャスパー - 詩人、作家
  • アリス・ブルック - アーロ・ガスリーの1966年の曲『Alice's Restaurant 』のモデル、町内でアート・ギャラリー所有
  • ライアン・ランドリー - 俳優、脚本家
  • カート・ヴォネガット - 作家
  • ジョン・クラカー - ジャーナリスト、作家
  • アンソニー・ボーディン - シェフ、作家、テレビ司会者
  • チャニング・ウィロイ - 俳優、ドリームランダー
  • ジュディ・ゴールド - スタンダップ・コメディアン
  • モ・ロッカ - 風刺作家(NPR/Daily Show)
  • ライアン・マーフィー - テレビ・ディレクター
  • バリー・クリフォード - 海洋考古学探検家、沈没船ワイドー号の遺物を発見したことで知られる
  • マーサ・デュウイング・ウッドウォード - 町内での夏季の絵画教室創立者[52]
  • トニー・クシュナー - ピューリツァー賞受賞脚本家
  • A・G・デュマス - 詩人、『Summer Night Walk in Provincetown 』、『Zombie Apocalypse at Low Tide 』、『The Robbed Is Not Blameless 』の著者

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Town of Provincetown: http://www.provincetown-ma.gov/
  2. ^ Bragg, Mary Ann. “Raw sewage soils P'town police headquarters”. http://www.capecodonline.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20090414/NEWS/904140305/-1/NEWSMAP 2009年4月30日閲覧。 
  3. ^ Archer, Gabriel (16 February 2010) [1912]. “Bartholomew Gosnold's Discovery of Cape Cod (1602)”. In Halsey, Francis W. (Francis Whiting). Great Epochs in American History. Vol. II, The Planting Of The First Colonies: 1562—1733. New York & London: Funk & Wagnalls. http://www.usgennet.org/usa/topic/preservation/epochs/vol2/pg38.htm 2015年7月12日閲覧。. 
  4. ^ Rich, Shebnah (1883). Truro-Cape Cod or Land Marks and Sea Marks. Boston: D. Lothrop & Co.. p. 53. http://books.google.com/?id=Rcdk_lguAMcC&pg=RA1-PA151&lpg=RA1-PA61. 
  5. ^ Hopkins, James H. (1890). Deyo, Simeon L.. ed. History of Barnstable County. New York: H. W. Blake & Co.. p. 950. http://capecodhistory.us/Deyo/Provincetown-Deyo.htm. 
  6. ^ a b c Historical Timeline of Provincetown, Massachusetts (PDF)”. Town of Provincetown. 2012年5月1日閲覧。
  7. ^ a b Hopkins 1890, p. 961.
  8. ^ Hopkins 1890, p. 963.
  9. ^ Hopkins 1890, p. 965.
  10. ^ Greene, Sachse & McCauley 2006, p. 163.
  11. ^ Karen Christel Krahulik, Provincetown: From Pilgrim Landing to Gay Resort, NYU Press, 2007, p. 51.
  12. ^ (Motion Picture) Provincetown artist colony (excerpt feat. Charles Webster Hawthorne). Provincetown, Massachusetts: Metro Pictures Corporation.. (1916年). Excerpt length 41s. Oregon Historical Society/Gene Stoeller Collection, 1577. http://oldfilm.org/collection/index.php/Detail/Collection/Show/collection_id/337 2013年9月16日閲覧. "This collection consists of a short edited and intertitled 35 mm. film produced in 1916 by Metro Pictures. Primary source: film (500 ft.) : si., b&w ; 35mm nitrate print." 
  13. ^ "Same-Sex Couples Since 1990", New York Times, August 24, 2011
  14. ^ David Colman (September 4, 2005). “Rich Gay, Poor Gay”. New York Times. http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F20A16FC3F550C778CDDA00894DD404482 2010年5月22日閲覧。. 
  15. ^ American FactFinder”. United States Census Bureau. 2011年5月14日閲覧。
  16. ^ a b Horsley Witten Group (2007年4月19日). “Town of Provincetown Open Space and Recreation Plan”. Town of Provincetown Open Space Committee & Recreation Commission. p. 18. 2012年12月20日閲覧。
  17. ^ Green, Eugene; Sachse, William; McCaulley, Brian (2006). The Names of Cape Cod. Arcadia Press. p. 138. ISBN 978-1-933212-84-5. 
  18. ^ Greene, Sachse & McCauley 2006, p. 139.
  19. ^ USDA Plant Hardiness Zone Map - Massachusetts”. USDA. 2012年12月24日閲覧。
  20. ^ General Climate Summary Tables”. Western Regional Climate Center. 2013年2月19日閲覧。
  21. ^ Climate Statistics for Provincetown, Massachusetts”. 2012年5月7日閲覧。
  22. ^ a b Bureau of U.S. Topographical Engineers (1836). A map of the extremity Of Cape Cod including the Townships of Provincetown & Truro: with a chart of their sea coast and of Cape Cod Harbour, State of Massachusetts (地図). 1 : 10,560. U.S. Topographical Engineers, under direction of Maj. J.D. Graham; Reduced from orig. by Washington Hoodによる作成.. http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~226232~5505141%3b-Composite-of--A-Map-Of-The-Extremi# 2012年6月2日閲覧。 
  23. ^ Jennings (1890), p. 197.
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  25. ^ a b United States Geological Survey (July 1889) (PDF). Massachusetts: Provincetown Sheet (地図). 1 : 62,500. Henry Gannett (Chief Geographer) and Marcus Baker (Geographer-in-Charge)による作成.. http://ims.er.usgs.gov/gda_services/download?item_id=5635853&quad=Provincetown&state=MA&grid=15X15&series=Map%20GeoPDF 2012年5月23日閲覧。 
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  27. ^ Rich (1883), p. 457.
  28. ^ Paine-Smith, Nancy W. (1922). The Provincetown Book. Brockton, MA: Tolman Print, Inc.. p. 43. http://books.google.com/?id=9NEMAAAAYAAJ&pg=PA43. 
  29. ^ Provincetown Ferry - Fast & Luxurious”. Boston Harbor Cruises. 2012年5月1日閲覧。
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  34. ^ Profile of General Demographic Characteristics: 2000”. 2000 U.S. Census. United States Census Bureau. 2014年9月16日閲覧。
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  38. ^ POVERTY STATUS IN THE PAST 12 MONTHS”. 2007-2011 American Community Survey 5-Year Estimates. U.S. Census Bureau. 2012年12月22日閲覧。
  39. ^ Facts and Findings from The Gay and Lesbian Atlas, Urban Institute, March 30, 2004
  40. ^ Getting Here, Getting Around Tips from Insiders.com”. 2006年4月28日閲覧。
  41. ^ Provincetown Public Libbrary, www.ptownlib.com.
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  43. ^ USDA Rural Development: mission statement Retrieved on April 5, 2007
  44. ^ The History of Atlantic House
  45. ^ Café Lafitte in Exile in New Orleans, Louisiana purports to be the oldest gay bar in the country but an investigation of that establishment's website and a few other sources failed to reveal the dates or specifics upon which that claim is based.
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  49. ^ http://www.theatlantic.com/entertainment/archive/2013/01/aint-no-party-like-a-liz-lemon-party-100-of-the-best-30-rock-quotes/272733/
  50. ^ http://blog.comedycentral.co.uk/2012/03/27/the-best-devin-banks-quotes-30-rock/
  51. ^ "Lady in the Dunes" may be another of Whitey Bulger's victims”. Cape Cod Today (2012年3月3日). 2014年3月12日閲覧。
  52. ^ Dunlap, David W. (2015). Building Provincetown. Provincetown, Mass.: Town of Provincetown and Provincetown Historical Commission. p. 72. 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]