プルディリ

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Ploudiry
Blason ville fr Ploudiry (Finistère).svg
Ploudiry (29) Église 02.jpg
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏Blason region fr Bretagne.svg
(département) フィニステール県Blason Finistère 29.svg
(arrondissement) ブレスト郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 29180
郵便番号 29800
市長任期 ジャン=ジャック・ピトン
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Pays de Landerneau-Daoulas
人口動態
人口 895人
2010年
人口密度 33人/km2
住民の呼称 Ploudiryen, Ploudiryenne
地理
座標 北緯48度27分 西経4度09分 / 北緯48.45度 西経4.15度 / 48.45; -4.15座標: 北緯48度27分 西経4度09分 / 北緯48.45度 西経4.15度 / 48.45; -4.15
標高 平均:m
最低:23m
最高:191m
面積 27.19km2
Ploudiryの位置(フランス内)
Ploudiry
Ploudiry
公式サイト Site de la commune
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プルディリPloudiryブルトン語:Plouziri)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

歴史[編集]

プルディリは、かつて非常に重要な教区で、パンクランロック=エギネール、ラ・ロッシュ(現在のラ・ロッシュ=モーリス)、ラ・マルティル、ポン・クリスト(現在のラ・ロッシュ=モーリス)といった小教区を抱えていた。現在はポン・クリストを除いた全部がコミューンとなっている。教区にはサン・ジュリアン・アン・ランデルノー(現在のランデルノー)すら含まれ、さらに昔にはル・トレウーとトレフレネヴェズが含まれていた。サン・ピエール教区教会は、ダウラ修道院に属する小修道院でもあった[1]。ラ・ロッシュ=モーリス、ブレゼル、プルネヴェンテルに拠点をおいたロアン家の領主たちは、聖域内で領主が優先される権利(fr)を求めて争っていた。

1173年、教区の名はPloediriとして記されている。

名前の知られている最初の小修道院長兼教区司祭は15世紀のオリヴィエ・ド・メスゴーズである。1770年頃、プルディリとその小教区には約4700人の住民がおり、プルディリだけで1320人がいた。

ル・ニィ(Le Ny)家は、1436年から1534年の間、プルディリとトーレ、ル・ドレネック、ランドゥーザン、ギクラン、サン=テゴネックの監視と再編(fr)に参加した古い騎士の家系から出た一族である。この一族は、トレブリ、ペナンゲール、イル・イヴォン、プルディリといった場所の領主であった[2]

プルディリのジュロ[編集]

プルディリは、高レオン地方の、17世紀から18世紀の間非常に栄えた帆布産業の中心であった。ジャン・フランソワ・ブルミシュは1830年代にこう記している。『プルディリで帆布を商う農民(ジュロ、fr)は、6千、1万、または12,000フランの収入がある。』[3]。プルディリのシャルロット・ベルトゥが1742年に死んだとき、20,256リーブルの遺産(その73%は帆布と糸)を残した。40箇所のkanndi(洗濯場)が現在のプルディリのコミューン域内で確認されており、これはプルネウール=メネズ、コマナ、シザンに次いで多い。織り機の数が密集しており(一軒の家に複数の織り機があった)、高レオン地方の帆布製造地域全体での平均55%から60%に対して高かった[4]

プルディリで最も有名なジュロは、アラン・プリケン(1736年-1807年)である。

1789年4月、レスネヴァンのセネシャルにあてて出された第三身分陳情書に、プルディリ教区の2名の代表、アラン・プリケンとオリヴィエ・レオンが署名した[5]

1802年5月9日、ギミリオーのケレオン集落で休憩を取ったあと、ジャン・フランソワ・ド・バル(fr)率いる7人のシュアンたちが、資産家で帆布商取引をしているアラン・プリケンを人質にとった。プリケンはド・バルに殺すと脅され、彼の子供たちに手紙を書かされ3万リーブルの身代金がド・バルに奪われた。人質が最終的に解放されたのは1802年の5月30日だった[6]

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
854 770 677 736 822 809 887 895

参照元:1999年までEHESS[7]、2000年以降INSEE[8][9]

史跡[編集]

  • サン・ピエール教区教会 - 1854年から1857年にかけ建築家ジョセフ・ビゴによって再建された。アプスなど、教会の古い部分を残している。
  • 納骨堂 - 1635年にサン・ジョセフ礼拝堂に転換されたが、1731年に元の納骨堂に戻された。

脚注[編集]

  1. ^ Jean-Martial Besse et Charles Beaunier, "Abbayes et prieurés de l'ancienne France,.... 8, Province ecclésiastique de Tours", A. Picard et fils, Paris, 1920, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5859266j/f299.image.r=Ploudiry.langFR
  2. ^ Joseph-Marie de Kersauson de Pennendreff, "Histoire généalogique de la maison de Kersauson", 1886, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k55649073/f224.image.r=Ploudiry.langFR
  3. ^ Jean-François Brousmiche, Voyage dans le Finistère en 1829, 1830 et 1831, Quimper, réédition 1977, page 10
  4. ^ Andrée Le Gall-Sanquer, Jean-Luc Richard, Marie-Louise Richard, "L'or bleu (An aour glaz) : le lin au pays de Landerneau-Daoulas", Association Dourdon, Cloître Imprimeurs, 2005, [ISBN 2-9505493-1-4]
  5. ^ J. Madival et E. Laurent, "fr:Archives parlementaires de 1787 à 1860 : recueil complet des débats législatifs et politiques des Chambres françaises" , imprimé par ordre du Corps législatif. 1er série, 1787-1799, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k480097g/f496.image.r=Locquenole.langFR
  6. ^ Daniel Bernard, Recherches sur la Chouannerie dans le Finistère", revue "Annales de Bretagne", n°3 et 4, année 1937, consultable http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k115338s/f354.image.r=Guerlesquin.langFR
  7. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=27198
  8. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  9. ^ http://www.insee.fr