プリカース

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モスクワでのプリカース。アレクサンドル・ステパノヴィチ・ヤノフによる絵画。
プスコフの旧プリカース宮殿

プリカースロシア語: прика́з、prikaz; IPA: [prʲɪˈkas] ( 音声ファイル)、複数形:プリカーズィ(prikazy))は、モスクワ大公国およびロシア・ツァーリ国で15世紀から18世紀にかけて設置された官僚機構で、宮廷に代わって行政、司法、国防などを司った。現代でいう「」や「」に相当する。なお、現代ロシア語ではプリカースという語は「命令(order)」を意味する。

プリカースのほとんどはドゥーマに従属したが、ツァーリに直属する秘書のプリカース(taynyi prikaz)に従属するものもあった。モスクワ総主教にも自身のプリカースが与えられた。

プリカースは最大で60ほど設けられており、その構成は時代によって変化していた。

起源[編集]

もともとプリカースは君主から特定の人物に対してある職務を命じる私的な命令(ロシア語: приказ、prikaz)によって設けられていた。場合によっては、その人物の名前が付けられることもあった(例:書記バルトロメイのプリカース(Приказ дьяка Варфоломея))。

1512年から「プリカース」という語が常設される官庁の名前として使われるようになった。

分類[編集]

プリカースの分類は非常に困難で、歴史家はそれぞれ独自に分類システムの構築を試みている。例として、地域や所管業務などによる分類や、従属関係によるランク分けなどがある。

廃止[編集]

ピョートル大帝によって廃止され、1717年に参議会英語版として整理された。

しかし、プリカースを廃止して官僚制を整備するにはかなりの長期間を要した。たとえば、シベリアのプリカースは1730年に復活されて1755年まで存続した他、ピョートル大帝自身でさえプリカースをいくつか新設している。プリカースは1775年にエカチェリーナ2世により完全に排除された。

外部リンク[編集]