プフォルツェン

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紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: バイエルン州
行政管区: シュヴァーベン行政管区
郡: オストアルゴイ郡
市町村連合体: プフォルツェン行政共同体
緯度経度: 北緯47度55分53秒 東経10度36分54秒 / 北緯47.93139度 東経10.61500度 / 47.93139; 10.61500座標: 北緯47度55分53秒 東経10度36分54秒 / 北緯47.93139度 東経10.61500度 / 47.93139; 10.61500
標高: 海抜 656 m
面積: 23.69 km2
人口:

2,364人(2021年12月31日現在) [1]

人口密度: 100 人/km2
郵便番号: 87666
市外局番: 08346
ナンバープレート: OAL, FÜS, MOD
自治体コード:

09 7 77 158

行政庁舎の住所: Bahnhofstr. 7
87666 Pforzen
ウェブサイト: www.pforzen.de
首長: Herbert Hofer (ヘルベルト・ホーファー)
郡内の位置
地図
地図

プフォルツェン (ドイツ語: Pforzen) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州シュヴァーベン行政管区オストアルゴイ郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)で、プフォルツェン行政共同体の本部所在地である。

地理[編集]

プフォルツェンはアルゴイ地方に位置する。

自治体の構成[編集]

この町は、公式には5つの地区 (Ort) からなる[2]

  • ハンマーシュミーデ
  • インゲンリート
  • イルピスドルフ
  • ライナウ
  • プフォルツェン

ライナウ集落にはシトー会修道院がある。

歴史[編集]

ルーン文字で書かれたプフォルツェンのバックルの銘文の写し

1992年に丘陵墓青銅器時代(青銅器時代中期、紀元前1500年頃)の埋葬品が発掘された。出土品はアルゴイ地方では類例のない形状であり、学問上高い価値のあるものであった。プフォルツェン近郊にある6世紀後半のアレマン人の墓からは銀のバックルが見つかっている。その銘文は西ゲルマン語で書かれた現存する最古の頭韻文である。

プフォルツェンはイルゼー帝国修道院に属した。1803年帝国代表者会議主要決議以後この町はバイエルンに属した。バイエルンの行政改革に伴う1818年の市町村令により現在の自治体が成立した。

バイエルン王立ルートヴィヒ南北鉄道のカウフボイレン - アウクスブルク間が1847年9月1日に開通し、プフォルツェンは鉄道で結ばれた。当時のプフォルツェン駅は現在のツェラーベルク(リーデン)にあったが、廃止されている。

人口推移[編集]

  • 1970年 1,499人
  • 1987年 1,714人
  • 2000年 1,994人
  • 2007年 2,126人
  • 2009年 2,262人

プフォルツェンの名前は「アルゴイへの門 (Pforte)」を意味する。

行政[編集]

町長はヘルベルト・ホーファー (CSU/Freie Wählergemeinschaft) である。

紋章[編集]

図柄: 銀地と青地に上下二分割。上部は二重のナイトで、その脚には矢を踏んでいる。下部は歩く金のシカ

紋章の内容とその意味: 二重のナイトはプフォルツェン家の紋章から採られた。プフォルツェン家は12世紀にはすでにその名が記録され、14世紀にこの家が断絶した後にその所領がイルゼー修道院のものとなった。プフォルツェンに合併したインゲンリートとそのゼバスティアン礼拝堂は聖ゼバスティアンのアトリビュートである矢で表現されている。下部は、12世紀に名前が挙げられているライナウアー家という別の貴族家を表している。この貴族家は町域内のライナウを本拠地とし、その紋章は歩くシカであった。

経済と社会資本[編集]

教育[編集]

  • 国民学校 1校

引用[編集]

外部リンク[編集]