ブレット・トムコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ブレット・トムコ
Brett Tomko
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オハイオ州ユークリッド
生年月日 (1973-04-07) 1973年4月7日(44歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 ドラフト2巡目(全体54位)でシンシナティ・レッズから指名
初出場 1997年5月27日
最終出場 2011年5月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ブレット・ダニエル・トムコBrett Daniel Tomko, 1973年4月7日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州ユークリッド出身(カリフォルニア州サンディエゴ育ち)の元プロ野球選手投手)。右投右打。

父親のジェリー・トムコNBAクリーブランド・キャバリアーズの名付け親である[1]

経歴[編集]

プロ入りとレッズ時代[編集]

1995年MLBドラフトシンシナティ・レッズから2巡目(全体54位)指名を受け、プロ入り。

1997年5月27日にメジャーデビューを果たし、同年は先発ローテーションに定着して規定投球回不足ながら11勝を挙げる。

1998年は防御率5点台ながら投球回は210.2イニングを数え、13勝を挙げた。また、オフには日米野球で来日した。

1999年開幕投手を務めた。シーズン全体では規定投球回に達したが、途中で先発陣から外れるなど期待外れの成績に終わった。

マリナーズ時代[編集]

2000年2月10日ケン・グリフィー・ジュニアとのトレードで、マイク・キャメロンらとともにシアトル・マリナーズへ移籍。同年はロングリリーフやスポット先発として起用されて7勝を挙げ、ポストシーズン進出に貢献。

2001年は、チームが116勝する中、シーズンの大半をAAA級タコマ・レイニアーズで過ごすことを強いられた。それでも、タコマでは10勝を挙げるなど格の違いを見せつけた。

パドレス時代[編集]

2001年12月11日に3対3のトレードで、サンディエゴ・パドレスへ移籍。

2002年は4年ぶりの二桁勝利(10勝)と200イニング超えを果たし、復活。

カージナルス時代[編集]

2002年12月15日ルーサー・ハックマン他1選手とのトレードで、セントルイス・カージナルスへ移籍。

2003年も13勝を挙げ、オフに今度はFAとなった。

ジャイアンツ時代[編集]

2004年は、サンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍した。この年はは3年連続二桁勝利となる11勝を挙げた。

2005年は8勝15敗と大きく負け越す。

ドジャース時代[編集]

2005年12月21日ロサンゼルス・ドジャースと2年契約を結ぶ。

2006年にドジャース入りして以降、毎年のように所属球団が異なるようになり、起用法もロングリリーフやスポット先発が中心になる。

2007年8月24日DFAとなった。

パドレス復帰[編集]

2007年9月4日に古巣のパドレスと契約を結ぶ。

ロイヤルズ時代[編集]

2008年1月20日カンザスシティ・ロイヤルズと契約を結んだ。6月12日にDFAとなり、20日に解雇された。

3度目のパドレス時代[編集]

2008年6月27日にパドレスと契約を結ぶ。9月1日に解雇される。

ヤンキース時代[編集]

2009年1月13日ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。スプリングトレーニングには、招待選手として参加した[2]。開幕を、傘下のAAA級スクラントン・ウィリクスバリ・ヤンキースで迎えた。5月9日にメジャーに昇格した。7月21日セルジオ・ミトレと登録する為にDFAとなった。7月29日に解雇された。

アスレチックス時代[編集]

2009年8月17日オークランド・アスレチックスと契約を結んだ。9月15日テキサス・レンジャーズ戦で通算100勝を達成している。

2010年は、傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツでリハビリを行った。

レンジャーズ時代[編集]

2011年2月19日にレンジャーズと契約を結んだ[3]。開幕を傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスで迎えたが、4月20日にメジャーに昇格した[4]。2年振りにメジャーのマウンドに上がった。5月27日にAAA級ラウンドロックに降格した。オフにFAとなった[5]

レッズ傘下時代[編集]

2012年2月19日に古巣のレッズとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級ルイビル・バッツでプレーしたが、8月2日に解雇された。

ダイヤモンドバックス傘下時代[編集]

2012年8月4日アリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。傘下のAA級モービル・ベイベアーズへ配属された。8月24日に傘下のAAA級リノ・エーシズに昇格した。オフにFAとなった。

独立リーグ時代[編集]

2013年3月にアトランティックリーグヨーク・レボリューションと契約を結んだ。8月に引退し、古巣のロイヤルズのスカウトに就任した[6]

現役復帰とマイナー時代[編集]

2014年3月14日にロイヤルズとマイナー契約を結び、現役復帰した[7]。傘下のAAA級オマハ・ストームチェイサーズでプレーしていたが、6月3日に解雇された。

ロッキーズ傘下時代[編集]

2014年6月10日コロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスでプレーした。

詳細情報[編集]

背番号[編集]

  • 40 (1997年 - 2001年)
  • 20 (2002年)
  • 30 (2003年)
  • 50 (2004年、2005年途中 - 同年終了)
  • 35 (2005年 - 同年途中、2006年 - 2007年途中)
  • 33 (2007年途中 - 同年終了、2008年途中 - 同年途中)
  • 25 (2008年 - 同年途中)
  • 27 (2008年途中 - 同年終了)
  • 28 (2009年 - 同年途中)
  • 23 (2009年途中 - 同年終了)
  • 21 (2011年)

脚注[編集]

外部リンク[編集]