ブリュッセル万国博覧会 (1958年)
| EXPO 1958 | |
|---|---|
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| 概要 | |
| BIE区分 | Universal |
| 区分 | First category General Exposition |
| 名称 | Expo 58 |
| 標語 | Bilan du monde, pour un monde plus humain(より人間的な世界のための世界の総決算) |
| 主な建築物 | アトミウム |
| 面積 | 200ヘクタール (490エーカー) |
| 観客数 | 41,454,412 |
| 運営者 | ロベール・スプラン |
| 出展者 | |
| 国数 | 46 |
| 団体数 | 博覧会国際事務局 |
| 会場 | |
| 国 | ベルギー |
| 都市 | ブリュッセル |
| 会場 | ヘイゼル公園 |
| 座標 | 北緯50度53分41秒 東経4度20分49秒 / 北緯50.89472度 東経4.34694度 |
| 経緯 | |
| 立候補 | 1953 |
| 初日 | April 17, 1958 |
| 最終日 | October 19, 1958 |
| 登録博覧会 | |
| 前回 | パリ万国博覧会[注釈 1](パリ) |
| 次回 | シアトル万国博覧会(シアトル) |
| 認定博覧会 | |
| 前回 | ベルリン国際博覧会(ベルリン) |
| 次回 | トリノ国際博覧会(トリノ) |
| インターネット | |
| ウェブサイト |
atomium |



1958年のブリュッセル万国博覧会(ブリュッセルばんこくはくらんかい, Expo 1958)は、1958年4月17日から9月19日までブリュッセルで開催された国際博覧会(第1種一般博)である。第二次世界大戦後はじめての大型国際博であった。テーマは「科学文明とヒューマニズム」。42ヶ国と10国際機関が参加し、会期中4145万人が来場した。
ブリュッセル都心から7km北西にあるエゼル(Heysel)にある、2平方kmの土地が会場となり、完成までの3年間に1万5千人の労働者が建設に携わった。シンボルタワーとして鉄の結晶の巨大模型・アトミウムが建設され、博覧会の後も残されブリュッセルのシンボルとして親しまれている。エゼルは1935年ブリュッセル万博の会場でもあり、エゼル競技場やミニチュアパーク「ミニ・ヨーロッパ」などもある。
ブリュッセル万博は現代建築と現代音楽の融合の場でもあった。エドガー・ヴァレーズが作曲した電子音楽「ポエム・エレクトロニク」は、当時ル・コルビュジエのもとで建築家として働いていたヤニス・クセナキスが設計したフィリップス館の各所に設置された425個のラウドスピーカーから流された。
コンゴ館・アフリカ村
[編集]1958年のブリュッセル万国博覧会では、当時ベルギー領であったコンゴを紹介するために「コンゴ館(Congo Pavilion)」および「アフリカ村(Village Africain)」が設けられた。展示はベルギーによる植民地経営の成果を強調する内容で、鉱業、農業、医療、教育などの分野における「発展と近代化」が紹介された。屋外では伝統的な家屋や工芸を再現する区域が設けられ、約270名のコンゴ人が派遣されて工芸や音楽、踊りなどを披露した。主催者側は「文化紹介」として位置づけていたが、来場者が柵越しに彼らを観察する構造となっており、結果的に人を見せ物化する形になったと指摘されている。そのため、後年の研究や報道ではこの展示を「人間動物園(human zoo)」の最後の例の一つとして批判的に評価している。1897年のブリュッセル万国博覧会でも、同様に「コンゴ村(Congo Village)」が設けられ、現地から連れてこられたコンゴ人が生活を再現する形で展示された。この展示では来場者が食べ物を与えようとするなどの差別的行為が相次ぎ、批判を受けて中止されたとされる。1958年の展示はこれを直接再現したものではないが、構造的な類似点が指摘されている。[1][2][3]
日本館
[編集]建築家前川國男の設計によるもので、グラフィックデザインを山城隆一、展示設計を剣持勇、写真を渡辺義雄、場内音楽の作曲・編曲を外山雄三が受け持った[4]。テーマを「日本の手と機械」として、伝統工芸品と戦後復興に伴い成長著しい機械産業や電子機器産業の製品を展示した。
閉幕後に建物が金賞を受賞した他、新KS鋼による永久磁石を使用した電子顕微鏡を含む展示品の計51点が表彰を受けた[5]。
国際映画投票
[編集]26カ国117人の批評家による史上最高の映画ベスト12の選出が行われた[6]。順位は以下のとおり[6]。
1.『戦艦ポチョムキン』、2.『黄金狂時代』、3.『自転車泥棒』、4.『裁かるるジャンヌ』、5.『大いなる幻影』、6.『グリード』、7.『イントレランス』、8.『母』、9.『市民ケーン』、10.『大地』、11.『最後の人』、12.『カリガリ博士』
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ https://www.snopes.com/fact-check/human-zoo-1958-worlds-fair/
- ^ https://expohumanzoo.africamuseum.be/en/exhibition/end_humanzoos
- ^ https://www.actionzoohumain.be/en/news/truth-about-expo-58-belgian-senate
- ^ 1950年代日本のモダンデザイン : 海外展におけるデザイン表現について寺尾藍子 デザイン理論. 2014, 63, p. 33-48
- ^ Development and progress of the permanent magnet MRI
- ^ a b “Inside Pictures”. Variety: p. 13. (1958年9月24日) 2019年3月10日閲覧。
注釈
[編集]- ^ 国際博覧会事務局(BIE)によれば、1937年パリ万国博覧会は「World Exhibition – (General International Exposition 2nd Category)」として1934年10月23日の第6回総会で正式に登録された。同様に1939年ニューヨーク万国博覧会も同分類に登録されているが、当時のアメリカはBIE加盟国ではなく、制度的には限定的な承認にとどまった。そのため、現在の「登録博(Universal Expo/一般博)」の系譜上では、1937年パリ博がブリュッセル(1958)以前の最後の正式な一般博とされる。