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ブリヤート語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブリヤート語
буряад хэлэнᠪᠤᠷᠢᠶᠠᠳ
ᠮᠣᠩᠭᠣᠯ
ᠬᠡᠯᠡᠨ
ブリヤート語の分布
話される国 ロシアの旗 ロシア
モンゴルの旗 モンゴル
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
地域 ブリヤート共和国
ウスチオルダ・ブリヤート自治管区
アガ・ブリヤート自治管区
モンゴル国の北部
中華人民共和国 内モンゴル自治区
話者数 400,000人
言語系統
アルタイ諸語[1] (論争有り)
表記体系 モンゴル文字
キリル文字18世紀 - )
ラテン文字1910年 - 1939年
公的地位
公用語 ブリヤート共和国の旗 ブリヤート共和国
少数言語として
承認
モンゴルの旗 モンゴル
統制機関 ロシアの旗 モンゴル・仏教・チベット学研究所英語版ロシア語版
言語コード
ISO 639-2 bua
ISO 639-3 buaマクロランゲージ
個別コード:
bxu — 中国ブリヤート語
bxm — モンゴルブリヤート語
bxr — ロシアブリヤート語
消滅危険度評価
Definitely endangered (Moseley 2010)
テンプレートを表示
新聞『ブリヤート・ウネン』(Buryad Ünen)の表題の変遷はブリヤート語の文字の変遷を示している。

ブリヤート語(ブリヤートご、ブリヤート語:буряад хэлэнᠪᠤᠷᠢᠶᠠᠳ
ᠮᠣᠩᠭᠣᠯ
ᠬᠡᠯᠡᠨ
)は、ロシア連邦ブリヤート共和国などで話されているモンゴル系言語。ブリヤートモンゴル語などとも言われる。独立した言語とされることが多いが、モンゴル国などのハルハ方言(標準モンゴル語)、中国内モンゴル自治区などのチャハル方言、中国新疆ウイグル自治区などのオイラート方言(オイラト語)などとともに、モンゴル語の方言の一つとされていることもある。

キリル文字を使用するが、ハルハ方言の表記と若干異なる。

またハルハ方言と異なり、人称代名詞接尾辞化して動詞につき、人称変化が起こる。

歴史

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1923年にブリヤート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国が樹立されると、ソ連はモンゴルとの民族の切り離しを企図して、モンゴル語の方言の一つであったブリヤート語を公用語として採用する[2]。しかし、1958年にはモンゴルとの結びつきを懸念して共和国の名称から「モンゴル」が削除されるとともに[2]、ブリヤート語教育が禁じられた[3]。その後、ペレストロイカの時期には復興運動が起きるものの、教員不足や共和国の住民の7割をロシア人が占めることから下火となった[3]。共和国政府は、小学校入学の段階でロシア語を学ぶかブリヤート語を学ぶか選択できるとしている[2]。教育機会が保証されているものの衰退の一途にある要因として田中克彦はブリヤート語における学術用語の欠如を指摘している[2]

下位分類

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  • 中国ブリヤート語【bxu】 65,000人
    • Bargu (bxu-bar)
    • Aga (bxu-aga)
    • Khori (bxu-kho)
  • モンゴルブリヤート語【bxm】 45,100人
    • Khori (bxm-kho)
    • Aga (bxm-aga)
  • ロシアブリヤート語【bxr】 219,000人
    • Barguzin (bxr-bar)
    • Oka (bxr-oka)
    • Ninzne-Udinsk (bxr-nin)
    • Bohaan (bxr-boh)
    • Alar (bxr-ala)
    • Bulagat (bxr-bul)
    • Tunka (bxr-tun)
    • Unga (bxr-ung)
    • Ekhirit (bxr-ekh)

文字

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伝統的にはモンゴル文字を改良したブリヤート文字を使ってきたが、ロシア連邦ブリヤート共和国では、20世紀前半以降ロシア語キリル文字に三文字を追加して使用している。

А а Б б В в Г г Д д Е е Ё ё Ж ж
З з И и Й й К к Л л М м Н н О о
Ө ө П п Р р С с Т т У у Ү ү Ф ф
Х х Һ һ Ц ц Ч ч Ш ш Щ щ Ъ ъ Ы ы
Ь ь Э э Ю ю Я я

関連項目

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脚注

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  1. ^ Ethnologue.com: Altaic
  2. ^ a b c d “【国境と民】ロシア・ブリヤート共和国から考える”. 産経新聞. (2004年1月15日) 
  3. ^ a b “ロシア・ブリヤート共和国:「チンギス・ハンの子孫」も生活変化 伝統の継承困難”. 毎日新聞. (2008年11月15日) 

外部リンク

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