フレデリック (デンマーク皇太子)
フレデリック Frederik | |
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リュクスボー家 | |
![]() フレデリック王太子 | |
続柄 | マルグレーテ2世の長子 |
全名 |
Frederik André Henrik Christian フレデリック・アンドレ・ヘンリック・クリスチャン |
称号 | モンペザ伯爵 |
身位 | デンマーク王太子 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
1968年5月26日(55歳)![]() |
配偶者 | メアリー・ドナルドソン |
子女 |
クリスチャン イサベラ ヴィンセント ヨセフィーネ |
父親 | ヘンリック(アンリ・ド・ラボルド・ド・モンペザ) |
母親 | マルグレーテ2世 |
デンマーク王室 |
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フレデリック・アンドレ・ヘンリック・クリスチャン(Frederik André Henrik Christian、1968年5月26日 - )は、王位継承順位第1位のデンマーク王位の法定推定相続人で、デンマーク王太子(kronprins til Danmark)、モンペザ伯爵。
デンマーク女王マルグレーテ2世とフランス出身のヘンリック王配の長子(2男のうち長男)。弟にヨアキム王子がいる。
妻はオーストラリア出身のメアリー王太子妃。2男2女の4人の子どもがいる。
略歴[編集]

1992年から2年間アメリカ合衆国に留学、ハーバード大学で政治学を専攻。その後3ヶ月間ニューヨーク国際連合本部で、デンマーク国連大使のもとで勤務する。オーフス大学に1年在籍して修学したのち、1998年から1999年まで、パリの駐仏デンマーク大使館で一等書記官として勤務した。2009年から国際オリンピック委員会(IOC)委員を務める。同時に1986年よりデンマーク軍に所属。
2011年6月14日、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で甚大な被害を受けた宮城県東松島市を慰問し、企業からの義援金を贈った。「子どもの健全育成に役立ててほしい」とのデンマーク政府・王室側の意向を受け、市は同日、「東松島市デンマーク友好子ども基金」を設立した[1]。
2019年10月に妻のメアリー王太子妃と訪日し、今上天皇の即位礼正殿の儀に参列した[2]。
結婚と子女[編集]
2000年のシドニーオリンピックの観覧のためオーストラリアを訪問した際、従兄弟で旧ギリシャ王室のニコラオス王子と訪れていたバーでタスマニア州出身の豪州人女性メアリー・ドナルドソンと出会う。その時、彼は「フレッド」と名乗りメアリーには「自分が(デンマークの)王子である」とは言わなかった。1時間ほど談笑した頃に他の人に言われるまで、メアリーは「相手がデンマーク王太子だとは知らなかった」という。
彼女はオーストラリア出身の人物としては初のヨーロッパ王室入りをした女性となった。
メアリー王太子妃との間に以下の2男2女をもうけた。
- 第1子/長男: クリスチャン (2005年10月15日 - )
- 第2子/長女: イサベラ (2007年4月21日 - )
- 第3子/次男: ヴィンセント (2011年1月8日 - )
- 第4子/次女: ヨセフィーネ(2011年1月8日 - ) - ヴィンセントの双子の妹
脚注[編集]
- ^ “宮城のニュース デンマーク皇太子が慰問 子ども基金を設立 東松島”. 河北新報: 2011年6月15日. 2011年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月26日閲覧。
- ^ “長年の交流”両陛下が特に喜ばれた国王夫妻”. テレビ朝日. (2019年10月23日) 2019年11月12日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- D.K.H. Kronprinsen og Kronprinsessen(デンマーク語、英語)
ウィキメディア・コモンズには、フレデリック (デンマーク皇太子)に関するメディアがあります。
上位 本人物が最上位 |
デンマーク王位継承権者 継承順位第1位 |
下位 クリスチャン |
上位 マルグレーテ2世 デンマーク女王 |
イギリス王位継承順位 他の英連邦王国の王位継承権も同様 |
下位 クリスチャン デンマーク王子 |