フレデリック・バスティア

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フレデリック・バスティア
生誕 (1801-06-30) 1801年6月30日
バイヨンヌ
死没 (1850-12-24) 1850年12月24日(満49歳没)
イタリアの旗ローマ
国籍 フランスの旗 フランス
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フレデリック・バスティア(Frédéric Bastiat, 1801年6月30日 - 1850年12月24日)は、フランス経済学者

略歴[編集]

フランス南部の港町バイヨンヌで生まれた[1]。父は実業家であった。母は7歳のとき、父は9歳のときに死去した。祖父やおばによって育てられる。家業をつぐため17歳で学校を中退した。貿易にかかわる中で経済を学ぶ。さらに哲学、歴史、政治、文学、宗教など複数の分野の学問を独学した。

1845年に『経済弁妄』(林正明訳 丸家善七 1878年)を書き上げる、その後、1849年に『理財要論』(山寺信炳訳 博文社 1880年)、1850年には『経済的調和』(土子金四郎訳 哲学書院 1888年)や『La Loi』を出版。自由貿易協会を1846年に創設。フランス学士院の会員に選ばれる。1848年にフランス立法議会の議員に選出される[2]

1850年12月24日にイタリアローマ結核によって死去した。

関連項目[編集]

著書[編集]

  • 1845年 経済弁妄
  • 1849年 理財要論
  • 1850年 経済的調和
  • 1850年 La Loi.

脚注[編集]