フルーヒウ

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フルーヒウ
フルーヒウ
フルーヒウ
ウクライナにおけるフルーヒウの位置。

フルーヒウウクライナ語Глу́хів;意訳:「堅固な城」)は、ウクライナスームィ州フルーヒウ地区にある町。エスマーニ川河岸に位置する。人口3万1789人(2022年推計値)。面積は83.74km²。

歴史[編集]

ムィコラーイ教会
フルーヒウ国立教育大学

992年キエフ大公国要塞として創建された。13世紀モンゴル帝国によって破壊された。一時期、フルーヒウを首都としたグルホフ公国が出現するが、14世紀リトアニア大公国の支配下に置かれた。1503年から1618年までの間にモスクワ大公国に属していたが、その後、ポーランド・リトアニア共和国のものとなり、1644年自治権が与えられた。1648年フメリニツキーの乱がきっかけに、コサック国家ニージン連隊フルーヒウ百人隊の百人隊庁所在地となった。1663年から1665年にかけてフルーヒウ連隊の連隊庁所在地であったが、大北方戦争の後、1708年から1750年までの間にコサック国家の首都であった。ロシア帝国がコサック国家を滅亡してから、小ロシア県、それからチェルニゴフ県に属するようになった。1920年ウクライナ社会主義共和国に編成された。第二次世界大戦の時に著しい被害を被った。1991年以後、独立したウクライナの都市となった。

経済[編集]

経済の基盤は農業食料産業(パンや食肉の製品・乳製品など)、機械産業(電気機械)、繊維産業である。

文化[編集]

フルーヒウ国立教育大学やウクライナ科学院フルーヒウ植物繊維研究所などの教育・研究施設がある。

文化財にはムィコラーイ教会(1693年)、救世主の変容教会(1765年)、昇天教会(1767年)、聖アナスタシア教会(1897年)、キエフの門(1769年)などである。

出身者[編集]

姉妹都市[編集]

出典[編集]

  1. ^ Сумская областная государственная администрация
  2. ^ a b Побратимские связи между городами Украины и Республики Болгария

参考文献[編集]

  • (日本語) 伊東孝之, 井内敏夫, 中井和夫編 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 (世界各国史; 20)-東京: 山川出版社, 1998年. ISBN 9784634415003
  • (日本語) 黒川祐次著 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』 (中公新書; 1655)-東京 : 中央公論新社, 2002年. ISBN 4121016556

外部リンク[編集]

ギャラリー[編集]

座標: 北緯51度40分43秒 東経33度54分41秒 / 北緯51.678611度 東経33.911389度 / 51.678611; 33.911389