フリー (バンド)

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フリー
Free- Band Shot.jpg
フリー(1970年)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル
活動期間
レーベル アイランド・レコード
公式サイト Free - The Official Website
メンバー
バンドのロゴ

フリー英語: Free)は、イングランド出身のロックバンド

ブルースを志向したハードロックグループの一つで、代表曲に「オール・ライト・ナウ」などがある。活動は前期・後期と分かれ、1970年代前半で解散。そのコンセプトは、元メンバーが結成したバンド「バッド・カンパニー」に受け継がれた。

概要[編集]

ブルースとソウルの要素を併せ持った独特のサウンドで初期のハードロックを形作った。枯淡で老成した音楽性との対比でメンバーの若さにも注目が集まった(「オール・ライト・ナウ」がチャート入りを果たした時のメンバー平均年齢20歳)。1971年に解散。

その後各人が独自の活動に入ったが、「コゾフ・カーク・テツ・ラビット」の同名アルバムが好評を博したことと、重度のドラッグ癖で活動に支障をきたしていたコゾフを救おうという意図のもと、1972年2月に再結成。 しかし、まもなくフレイザーが脱退。山内が正式メンバーとなり、ロジャースがギターを兼任するようになる。この体制で1972年7月、エマーソン・レイク・アンド・パーマーとともに再来日(コゾフは不参加)。1973年初頭、『ハートブレイカー』発表後、バンドは自然消滅のような形で解散した。

その後ロジャースとカークはバッド・カンパニーを結成。コゾフはフリーに関わったメンバー全員の参加を得てソロ・アルバム『バック・ストリート・クロウラー(back Street Crawler)』発表後、新メンバーを集めアルバムと同名のバンド「バック・ストリート・クローラー」を始動させたが、1976年に心不全で死去。山内は「フェイセズ」に参加。フレイザーとラビットも音楽活動を続けた。

『ファイアー・アンド・ウォーター』に収録され、シングル化もされた「オール・ライト・ナウ」は、バンド最大のヒット曲であり、ロック・クラシックとなっている。

評価[編集]

フリーは母国イギリスでは伝説的バンドとして高く評価されているが、日本においても人気があるバンドである。アメリカでは「オール・ライト・ナウ」が大ヒットしたものの、バンドとしては今一つ人気が定着しなかった。

よって、フリー解散後の1974年ポール・ロジャースとサイモン・カークが結成した「バッド・カンパニー」は、フリーの要素に加えて「アメリカうけ」を狙ったものであった。実際、バッド・カンパニーは、本国イギリスや日本よりも、アメリカにおいて大きな支持を集めることとなった[2]

エピソード[編集]

メンバー[編集]

初期メンバー[編集]

  • ポール・ロジャース (Paul Rodgers) – リード・ボーカル (1968年–1971年、1972年–1973年)、キーボード、ピアノ (1972年)、ギター (1972年)
  • ポール・コゾフ (Paul Kossoff) – ギター (1968年–1971年、1972年、1972年–1973年)[3] ※1976年死去
  • アンディ・フレイザー (Andy Fraser) – ベース (1968年–1971年、1972年)、キーボード、ピアノ (1968年–1971年) ※2015年死去[4]
  • サイモン・カーク (Simon Kirke) – ドラム、パーカッション (1968年–1971年、1972年–1973年)

後期メンバー[編集]

  • ジョン・"ラビット"・バンドリック (John "Rabbit" Bundrick) – キーボード、ピアノ (1972年—1973年)
  • 山内テツ (Tetsu Yamauchi) – ベース (1972年–1973年)
  • ウェンデル・リチャードソン (Wendell Richardson) - ギター (1973年)

テツとバンドリックはフリーが一度解散したときカークとコゾフと「コゾフ・カーク・テツ・ラビット」を結成しアルバムも発表している。

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

  • 『トンズ・オブ・ソブス』 - Tons Of Sobs (1969年) ※全米197位
  • 『フリー』 - Free (1969年) ※全英65位
  • 『ファイアー・アンド・ウォーター』 - Fire And Water (1970年) ※全英2位、全米17位
  • 『ハイウェイ』 - Highway (1970年) ※全英41位、全米190位
  • 『フリー・アット・ラスト』 - Free At Last (1972年) ※全英9位、全米69位
  • 『ハートブレイカー』 - Heartbreaker (1973年) ※全英7位、全米47位

ライブ・アルバム[編集]

  • 『フリー・ライヴ』 - Free Live! (1971年) ※全英4位、全米89位
  • 『ライヴ・アット・ザ・BBC』 - Live at the BBC (2006年) ※全英127位

コンピレーション・アルバム[編集]

  • 『ザ・フリー・ストーリー』 - The Free Story (1974年) ※全英9位
  • Best of Free (1974年)
  • 『フリー・ベスト』 - Free & Easy, Rough & Ready (1976年)
  • Completely Free (1982年)
  • 『オール・ライト・ナウ!!』 - The Best of Free: All Right Now (1991年)
  • 『モルテン・ゴールド・ジ・アンソロジー』 - Molten Gold: The Anthology (1993年)
  • Walk in My Shadow: An Introduction to Free (1998年)
  • Songs of Yesterday (2000年)
  • All Right Now (2001年)
  • 『フリー』 - Classic Free (2001年)
  • 20th Century Masters – The Millennium Collection: The Best of Free (2002年)
  • Chronicles (2005年)
  • Walking in My Shadow: The Free Collection (2007年)
  • Rock Legends (2008年)
  • 『ベスト・オブ・フリー & バッド・カンパニー・イヤーズ』 - The Very Best of Free & Bad Company Featuring Paul Rodgers (2010年) ※ポール・ロジャース名義。バッド・カンパニーの音源も含む
  • Wishing Well: The Collection (2010年)
  • All Right Now: The Collection (2012年)

日本公演[編集]

エマーソン・レイク・アンド・パーマー公演の前座

脚注[編集]

  1. ^ a b Ankeny, Jason. Free | Biography & History - オールミュージック. 2020年12月16日閲覧。
  2. ^ ロックの原点に立ち返り全米1位に輝いたバッド・カンパニーの『バッド・カンパニー』”. OKMusic (2019年7月5日). 2020年7月7日閲覧。
  3. ^ 1972年のフレイザー脱退と同時期に正式メンバーから外れ、以降はゲスト参加扱いとする見方も存在する。だが、サイモン・カークは『ハートブレイカー』レコーディング時を回想して「コゾフの体調を見計らってレコーディングしていたがなかなか進まず、やむなくサポート・ギタリストを迎えて手早く録音を終えた後に、もうコゾフとは一緒にやれないなと思った」と語っており(『レコードコレクターズ』2010年5月号「ブリティッシュロックの肖像」)、少なくとも『ハートブレイカー』録音時までは、バンド側はコゾフを正式メンバーと考えていたと思われる。
  4. ^ フリーのベーシスト、アンディ・フレイザーが死去 amass 2015年3月17日

外部リンク[編集]