フリードリヒ・ツー・ヴィート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
フリードリヒと妻パウリーネ(最前列)の結婚記念写真、1898年10月撮影

フリードリヒ・ツー・ヴィートFriedrich Fürst zu Wied, 1872年6月27日 ノイヴィート - 1945年6月18日 ノイヴィート)は、ドイツシュタンデスヘル。ヴィート侯(1907年 - 1919年)。全名はヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘルマン・オットー・カールWilhelm Friedrich Hermann Otto Karl Fürst zu Wied)。

ヴィート侯ヴィルヘルム・アドルフとその妻でオランダ王子フレデリックの娘であるマリーの間の第1子、長男として生まれた。伯母のエリーザベトはルーマニア王カロル1世の妃であり、弟のヴィルヘルムは1914年に短期間ながらアルバニア公国の元首を務めた。1907年に父が死ぬとヴィート侯家の家督を継承したが、ドイツ革命に伴う君主制の崩壊により、貴族としての身分と諸特権を失った。

長男で後継ぎのヘルマンは第2次世界大戦中の1941年に東部戦線ジェシュフで戦死した。このため1945年にフリードリヒが死ぬと、侯爵家の家督はわずか14歳の孫フリードリヒ・ヴィルヘルムが継いでいる。

子女[編集]

1898年10月29日にシュトゥットガルトにおいて、ヴュルテンベルクヴィルヘルム2世の娘パウリーネと結婚した[1] 。夫妻は間に2人の息子をもうけた。

  • ヘルマン・ヴィルヘルム・フリードリヒ(1899年 - 1941年) - 1930年、シュトルベルク=ヴェルニゲローデ伯爵夫人マリア・アントニアと結婚
  • ディートリヒ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・カール・パウル(1901年 - 1976年) - 1928年、ユーリア・グローテ伯爵夫人と結婚

脚注[編集]

  1. ^ C. Arnold McNaughton, The Book of Kings: A Royal Genealogy, in 3 volumes (London, U.K.: Garnstone Press, 1973), volume 1, page 226. Hereinafter cited as The Book of Kings

外部リンク[編集]