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フリードリヒ・カジミール (プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ランツベルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリードリヒ・カジミール
Friedrich Kasimir
プファルツ=ランツベルク
在位 1604年 - 1645年

出生 (1585-06-10) 1585年6月10日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プファルツ=ツヴァイブリュッケン公領、ツヴァイブリュッケン
死去 (1645-09-30) 1645年9月30日(60歳没)
フランス王国、モンフォール(en
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プファルツ=ツヴァイブリュッケン公領、ツヴァイブリュッケン、アレクサンダー教会
配偶者 エミリア・アントウェルピアナ・ファン・ナッサウ
子女 フリードリヒ
フリードリヒ・ルートヴィヒ
カール・ハインリヒ
家名 プファルツ=ランツベルク家
父親 プファルツ=ツヴァイブリュッケンヨハン1世
母親 マグダレーネ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルク
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フリードリヒ・カジミールドイツ語:Friedrich Kasimir, 1585年6月10日 - 1645年9月30日)は、プファルツ=ランツベルク公(在位:1604年 - 1645年)。

生涯

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フリードリヒ・カジミールは1585年に、プファルツ=ツヴァイブリュッケンヨハン1世とマグダレーネ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルクの次男としてツヴァイブリュッケンで生まれた[1]。1604年に父親が亡くなった後、フリードリヒ・カジミールとその兄弟は父の遺領を分割し、フリードリヒ・カジミールはランツベルク周辺の領土を獲得した。

1611年、フリードリヒ・カジミールおよび弟ヨハン・カジミールに対する領地の分割が最終的に行われ、それぞれにランツベルクとノイカステルがアパナージュとして与えられ、プファルツ=ツヴァイブリュッケンの大部分は長兄ヨハン2世に留保された[1]。フリードリヒ・カジミールは1645年にモンフォール(en)で死去し、ツヴァイブリュッケン家の菩提寺であるツヴァイブリュッケンのアレクサンダー教会の地下霊廟に埋葬された。この教会は、1493年に先祖であるプファルツ=ツヴァイブリュッケン公アレクサンダーによって建てられた[2]

家族

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1616年7月4日にオラニエ公ウィレム1世の娘エミリア・アントウェルピアナ・ファン・ナッサウ(1581年 - 1657年)と結婚し、以下の3子をもうけた。

  • フリードリヒ(1617年) - 生後1日で死去
  • フリードリヒ・ルートヴィヒ(1619年 - 1681年)[1] - プファルツ=ランツベルク公、のちプファルツ=ツヴァイブリュッケン公
  • カール・ハインリヒ(1622年 - 1623年) - 早世

脚注

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  1. ^ a b c Huberty, Michel; Giraud, Alain; Magdelaine, F.; B. (1985). L'Allemagne Dynastique, Tome IV -- Wittelsbach. France: Laballery. pp. 83–84, 104–108, 119–120. ISBN 2-901138-04-7 
  2. ^ Hudlet, Richard B. (1993). 500 Jahre Alexanderskirche Zweibrücken, 1493-1993 : Betrachtungen zur Geschichte einer Kirche und einer Stadt [500 years of Alexander's Church Zweibrücken, 1493-1993: Reflections on the history of a church and a city]. Zweibrücken: Protestantische Kirchengemeinde Zweibrücken-Mitte [Protestant parish of Zweibrücken-Mitte]. ISBN 9783924171186. OCLC 34658300. https://www.worldcat.org/oclc/34658300 
先代
プファルツ=ランツベルク
1604年 - 1645年
次代
フリードリヒ・ルートヴィヒ