フリッツ・ゲルデラー

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フリッツ・ヘルマン・ゲルデラードイツ語: Fritz Hermann Goerdeler, 1886年3月6日 - 1945年3月1日)は、ドイツ法律家でありレジスタンスの闘士。

生涯[編集]

シュナイデミュール市(現在のポーランド、ピワ)でカール・フリードリッヒ・ゲルデラーの弟として生まれ、1890年に父親が地方裁判所の裁判官に就任したマリエンヴェルダー英語版市で育った[1]。ゲルデラーは法律を学び、弁護士として働いた。 1920年に彼はマリエンヴェルダーの市長になり、1932年に再選されたが、彼はナチ党への参加を拒否した後、1933年にこの地位を離れることを余儀なくされた [1]

ゲルデラーは1934年から1944年までケーニヒスベルク市の商工会議所職員を務めながら、ナチスに対するドイツにおける抵抗運動に加わった。彼は特に東プロイセンでの軍事抵抗と密接な関係があった [2]

ゲルデラーは7月20日のヒトラー暗殺計画が失敗した後、投獄され、1945年2月23日に人民法廷によって死刑を宣告された。彼は1945年3月1日にプレッツェンゼー刑務所で絞首刑に処された [3]

ゲルデラーは結婚しており、3人の娘と1人の息子がいた。

参考文献[編集]

  • シュルツ、ハラルド; Kurschat、Andreas,eds, (2008):"hrEnde schaut an…"–Evangelische Märtyrer des 20. Jahrhunderts. 2.、erw. u. verb. Aufl. Evangelische Verlagsanstalt ,ライプツィヒ, p.282 f