フランツ・フォン・エップ

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ナチス・ドイツの旗 ドイツ国の政治家
フランツ・フォン・エップ
Franz von Epp
Franz Ritter von Epp2.jpg
生年月日 1868年10月16日
出生地 ドイツの旗 ドイツ帝国
バイエルン王国の旗 バイエルン王国 ミュンヘン
没年月日 1947年12月31日(満79歳没)
死没地 ドイツの旗 ドイツ
Flag of Bavaria (striped).svg バイエルン州 ミュンヘン
出身校 バイエルン士官学校ドイツ語版
前職 陸軍軍人
所属政党 バイエルン人民党→)
Reichsadler der Deutsches Reich (1933–1945).svg 国家社会主義ドイツ労働者党
称号 騎士
プール・ル・メリット勲章

Reichsadler der Deutsches Reich (1933–1945).svg 国家社会主義ドイツ労働者党
国防政策全国指導者兼植民政策全国指導者
在任期間 1928年 - 1945年4月27日

Flag of Bavaria (striped).svg バイエルン州国家代理官
在任期間 1933年4月10日 - 1945年4月27日

当選回数 8回
在任期間 1928年 - 1945年4月27日
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フランツ・リッター(騎士)・フォン・エップFranz Ritter von Epp1868年10月16日 - 1947年12月31日)は、ドイツの軍人、政治家。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の幹部。

来歴[編集]

バイエルン軍人[編集]

父ルドルフが描いたエップの肖像画(1893年)

1868年にバイエルン王国ミュンヘンカトリック教徒の画家ルドルフ・エップドイツ語版とその妻カトリーナの第1子として生まれた。妹にはヘレンとアウグステがいる。アウクスブルクの学校で学んだ後、1887年8月16日にバイエルン陸軍に入隊し、第9歩兵連隊「ヴレーデ」ドイツ語版に配属される。1896年から1899年にかけて、第19歩兵連隊「ケーニヒ・ヴィクトール・イマヌエル3世」ドイツ語版に配属され、同時期にバイエルン士官学校ドイツ語版で参謀学を学んだ[1]

1900年、義和団の乱が発生した際には自ら志願してへ赴き、鎮圧にあたった。1900年から1901年にかけてドイツ領南西アフリカで中隊の指揮官を務め、ヘレロ・ナマクア虐殺にも関与した[2]。1906年に帰国し、1908年から1912年にかけて第3師団参謀を務め、その後は少佐に昇進し大隊指揮官を務めた。

1914年、第一次世界大戦に出征し、西ザールブルクの戦闘で負傷し鉄十字章を授与され中佐に昇進する。1915年にセルビアに派遣されギリシャとの国境線に配置され、次いで南チロルに派遣される。1916年6月にはヴェルダンの戦いに従軍し、マックス・ヨーゼフ勲章ドイツ語版を授与されると同時に「騎士(Ritter)」位の叙爵を受け、以降「フランツ・リッター・フォン・エップ」と名乗った。その後はルーマニア戦線に派遣された他、西部戦線イソンゾの戦い英語版などに従軍した。1918年春季攻勢に従軍し、プール・ル・メリット勲章を授与され、大佐で敗戦を迎える。

フライコール・ヴァイマル共和国軍[編集]

義勇軍部隊をヴァイマル共和国軍に引き渡すエップ(中央右向き軍服の人物)とノスケ、エーベルト(1919年8月25日)

1919年、国防大臣グスタフ・ノスケの支援を受け、ドイツ義勇軍(フライコール)のエップ義勇軍ドイツ語版を組織した。エップ義勇軍にはエルンスト・レームハンス・フランクルドルフ・ヘスグレゴール・シュトラッサーオットー・シュトラッサーなど、後のナチ党幹部になる人物の多くが参加していた[3]。エップ義勇軍は他のフライコールと共に、社会主義者が組織したバイエルン・レーテ共和国を武力で打倒し、700人近い社会主義者を殺害したとされる。バイエルン・レーテ共和国打倒後、エップはヴァイマル共和国軍に入隊し、義勇軍は陸軍第21ライフル旅団としてエップの指揮下に再編成された。

1920年3月には、カップ一揆に影響を受け、バイエルン人民党グスタフ・フォン・カール、ミュンヘン警視総監エルンスト・ペーナードイツ語版郷土軍ドイツ語版ゲオルク・エシェリヒドイツ語版と共にクーデターを計画し、左派的なバイエルン州首相ヨハネス・ホフマンを退陣に追い込んだ。4月にはルール蜂起を鎮圧するため派遣された。1921年に国軍第7軍管区都市司令部兵站部長として武器調達の任務に就いていたレームの仲介でアドルフ・ヒトラーと面会し、6月に少将に昇進する。右派団体に資金提供を行っていたが、1923年10月31日に中将で除隊し、右翼政治活動に専念した[4]

ナチ党[編集]

左からウルリヒドイツ語版ハイネス、ヒムラー、エップ、レーム(1933年)

1927年、バイエルン人民党に入党したが、1928年5月1日には国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党した。エップはナチ党の集会に参加し、ベルサイユ条約破棄やドイツ再軍備、反ユダヤ主義に共感を示し、入党したことに誇りを感じるようになった[5][6]。エップは元将軍として、国軍やブルジョワ階層との繋ぎ役としての役割を期待されていた。

1928年ドイツ国会選挙ではナチ党の有力候補としてバイエルンから出馬し、国会議員に当選[7]。ナチ党は12議席を獲得し、エップはナチ党の国防政策のスポークスマンとして国会で活動した。そのため、エップの発言は国防政策に関する議題のみとなっている[8]。また、同年にナチ党国防政策全国指導者に任命され、後にドイツの植民地を取り戻すために組織されたドイツ植民地協会の植民政策全国指導者も兼務した。1932年にはジュネーブ海軍軍縮会議英語版に委員の一人として派遣された。同年9月には突撃隊最高指導部ドイツ語版に配属され、独立志向の強いレームら突撃隊幹部を制御する役目を担った。

バイエルン州国家代理官[編集]

ミュンヘン会談出席のため訪独したチェンバレンを出迎えるエップ(親衛隊員の間にいる人物、1938年9月29日)

1933年1月30日、ヒトラーがパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領により首相に任命された。3月9日にヒトラーと内務大臣ヴィルヘルム・フリックの命令を受けたエップは、突撃隊を率いてハインリヒ・ヘルトが首相を務めるバイエルン州政府を武力で解体した。4月10日、エップはバイエルン州の国家代理官に任命され、バイエルン州の統治者となった。エップはアドルフ・ワーグナーを副首相・内務大臣に、フランクを司法大臣に、ハインリヒ・ヒムラーをミュンヘン警察長官に任命し、司法権を掌握した。エップは「ラントとライヒの均制化に関する暫定法律の第二法律」によって任命された最初の国家代理官となった。

しかし、エップは実質的な地方の統治権を持つミュンヘン・上バイエルン大管区指導者のワーグナーや、エップの座を狙うバイエルン州首相ルートヴィヒ・ジーヴェルトとは意見が合わずに衝突した。1933年に、ナチ党政権に反対する勢力の「保護拘禁ドイツ語版」に反対し4,000人の釈放を企図するが、ワーグナーやヒムラー、レームの反対に遭い失敗している。しかし、ジャーナリストのエルヴェイン・フォン・アレティンドイツ語版の釈放には成功している[9]。こうした姿勢から、ベルリンの中央政府から冷遇されるようになり、バイエルン州の実権はワーグナーとジーヴェルトに二分されてしまい、エップは儀礼的な存在になってしまう。1934年にバイエルン狩猟協会の会長に就任し、1935年7月25日には歩兵第61連隊長に就任する[10]。1936年には、ワシントンD.C.で開催された世界エネルギー会議英語版にドイツ代表として出席した。

第二次世界大戦中、エップは他のナチ党指導者とは距離を取ったが、表立って中央政府を批判することは避けていた[11]。1945年4月、副官のギュンター・カラッシオラ=デルブロークドイツ語版から、ルプレヒト・ガーングロス英語版率いる反乱組織バイエルン自由運動ドイツ語版への参加を求められる。エップは反乱に加わり、アメリカ軍の進攻に呼応して非常事態宣言を出し降伏しようとした。しかし、最終的にエップは計画から離脱するが、4月27日にバイエルン州首相パウル・ギースラー率いる親衛隊に逮捕されてザルツブルクに連行され、カラッシオラ=デルブロークら首謀者40人は翌28日に処刑された[12]

死去[編集]

ドイツ敗戦後、心臓病の治療のためバート・ナウハイムに移送されたが、5月9日に病院職員の密告によりアメリカ軍に逮捕され、戦争犯罪者としてモンドルフ=レ=バン英語版アシュカン収容所に収容された[13]。裁判のためニュルンベルクまで移送する予定だったが、健康状態が悪化したためミュンヘンの病院に移送されたが、1947年12月31日に病院内で死去した[14]。死後、遺体はミュンヘン・ヴァルトフリードホフドイツ語版に埋葬され、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンにあったドイツ陸軍のフォン・エップ将軍兵舎は「砲兵兵舎」と改名された。

参考文献[編集]

  • Ein Leben für Deutschland (A life for Germany), Autobiography by Franz Ritter von Epp, Munich, 1939.
  • Wolfgang ZornEpp, Franz Xaver Ritter v. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 4, Duncker & Humblot, Berlin 1959, ISBN 3-428-00185-0, S. 547 f. (電子テキスト版).
  • Katja-Maria Wächter: Die Macht der Ohnmacht. Leben und Politik des Franz Xaver Ritter von Epp (1868–1946). Lang, Frankfurt am Main u. a. 1999. ISBN 3-631-32814-1 (= Europäische Hochschulschriften. Reihe 3: Geschichte und ihre Hilfswissenschaften. ISSN 0531-7320, 824). (Zugleich: Bonn, Univ., Diss., 1997.)
  • Andres E. Eckl (Hrsg.): S'ist ein übles Land hier: zur Historiographie eines umstrittenen Kolonialkrieges. Tagebuchaufzeichnungen aus dem Herero-Krieg in Deutsch-Südwestafrika 1904 von Georg Hillebrecht und Franz Ritter von Epp. Köppe, Köln 2005, ISBN 978-3-89645-361-7.
  • Bernhard Grau: Steigbügelhalter des NS-Staates. Franz Xaver Ritter von Epp und die Zeit des Dritten Reiches. In Marita Krauss: Rechte Karrieren in München. Von der Weimarer Zeit bis in die Nachkriegsjahre. Volk Verlag, München 2010, ISBN 978-3-937200-53-8.

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Othmar Hackl: Die Bayerische Kriegsakademie (1867–1914). C. H. Beck’sche Verlagsbuchhandlung, München 1989, ISBN 3-406-10490-8, S. 430.
  2. ^ Genocide and Gross Human Rights Violations google book review, 著者: Kurt Jonassohn, Karin Solveig Björnson, 出版: Transaction Publishers
  3. ^ Eugene Davidson, The unmaking of Adolf Hitler, Google book review, publisher: University of Missouri Press
  4. ^ Wächter: Die Macht der Ohnmacht. 1999, S. 97.
  5. ^ Wächter: Die Macht der Ohnmacht. 1999, S. 128.
  6. ^ Wächter: Die Macht der Ohnmacht. 1999, S. 118.
  7. ^ Reichstagshandbuch.
  8. ^ Reichstagsrede vom 22. Mai 1930.
  9. ^ Elisabeth Chowaniec: Der „Fall Dohnanyi“ 1943–1945. Widerstand, Militärjustiz, SS-Willkür. München 1991, S. 559.
  10. ^ Reinhard Stumpf: Die Wehrmacht-Elite. Harald Boldt Verlag, Boppard am Rhein 1982, ISBN 3-7646-1815-9, S. 149.
  11. ^ Wächter: Die Macht der Ohnmacht. 1999, S. 230.
  12. ^ Universitätsbibliothek Regensburg – Bosls bayrische Biographie – Franz Ritter von Epp, author: Karl Bosl, publisher: Pustet, pp. 179–180 (ドイツ語)
  13. ^ Larry Myers, Hey Nazis, I'm Coming for You: Memories of Counter Intelligence Corps Activities in World War II, Gainsway Press, Fullerton, CA 2004; pp. 329-333.
  14. ^ motlc.learningcenter.wiesenthal.org”. 2007年8月24日閲覧。