フランソワ・アスリノー

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フランソワ・アスリノー
François Asselineau
François Asselineau, 2015-01-10.jpg
生年月日 1957年9月14日
出生地 フランスの旗 フランスパリ
出身校 フランス国立行政学院
HEC経営大学院
前職 パリ市19区会議員
現職 財務省監査官
所属政党 人民共和連合
公式サイト upr.fr
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フランソワ・アスリノーフランス語発音: [fʁɑ̃swa asəlino]、1957年9月14日 - )は、財務省監査官でフランスの政治家 。1999年にフランス連合 (RPF) に入党し、2007年に人民共和連合 (UPR Union Populaire Républicaine) を結成する。人民共和連合は、欧州連合ユーロ圏北大西洋条約機構からのフランスの離脱を中心目的とする。

学歴[編集]

1980年にHEC経営大学院を卒業してから、フランス国立行政学院に入学し、経済学で次席の栄誉を得て1985年に卒業。

閣僚責任歴[編集]

HEC経営大学院を卒業してフランス国立行政学院に入学する前、在日フランス大使館の商務部に任命される[1]。アスリノーは1985年に財務省監査官に任命され、1989年から1990年までクレディ・ナシオナルの責任者となる。1991年からピエール・ベレゴヴォワ政権でベルシー(フランス経済・財政・産業省)のアジア大洋州局の室長となる。

1994・1995年はエドアール・バラデュール内閣のジェラール・ロンゲ産業・貿易相の大臣官房に、国際関係の顧問として招聘される[2]

1995年6月、第一次ジュペ内閣のフランソワーズ・ド・パナフュー観光相の大臣官房長をつとめ[3]、続いて1996年1月から1997年の国民議会の解散まで、エルヴェ・ド・シャレット外相の大臣官房で、アジア、大洋州、中南米、そして経済問題を担当する[4]

政治活躍[編集]

フランソワ・アスリノーは、1999年に政治の世界に入り、シャルル・パスクワが創立したフランス連合に入党し、執行部のメンバーとなり、党の研究局長、そして2005年の秋までスポークスマンをつとめる[5]

2000年7月27日は、オー・ド・セーヌ県会副会長になり、経済と国際情勢を担当[4]。2001年3月、シャルル・パスクワジャン・チベリの合意のもと、第19区の比例代表の名簿においてトップに指名され、社会党と共和国連合・フランス民主連合と戦い、パリ市議会議員に当選する[6]。2001年5月23日からニコラ・サルコジシャルル・パスクワに引き継ぐ2004年3月30日まで、オー・ド・セーヌ県会にてシャルル・パスクワの官房長をつとめる[7]

ニコラ・サルコジは、2004年10月20日に経済・財政・産業省にてフランソワ・アスリノーを経済調査官に任命する[8]。アスリノーは、2004年12月20日にパリ市議会の国民運動連合に参加する[9]が、2006年11月3日に国民運動連合から脱退する[10]

人民共和連合の結成[編集]

2006年11月、アスリノーは、Paul-Marie Coûteauxが結成したフランス独立連合の運営委員になるが[11]、3ヶ月後に辞める。 アスリノーは、ローマ条約[12]の50周年記念にあたる2007年3月25日に人民共和連合を結成する[13]。 2007年9月に、もと国民運動連合メンバーと組んで「パリ自由」という反体制派グループに参加して[14]国民運動連合・フランソワーズ・ド・パナフューと比例代表で戦う[15]が、プレッシャーから辞退する[16][17]

2012年フランス大統領選挙[編集]

アスリノーは、2012年フランス大統領選挙に立候補すると2011年1月発表し[18]、2011年12月の人民共和連合総会の折り、改めて公言した[19]。しかし、立候補に必要な500人の市長のサインを獲得できず、立候補者の条件を満たすことができなかった。[20]

政治信念[編集]

アスリノーは、暫定的に左派・右派の対立を越えて[21][22]欧州連合からフランスの主権つまりは民主主義の奪回を試みている[23]。そのためにもリスボン条約の第50条[24]に基づいた欧州連合ユーロ圏からの離脱しかないと主張する[22][23]。さらに、TF1フランス郵政公社エンジー、高速道路などの国有化を提言している。[21][23]

フランスメディアの態度[編集]

2012年フランス大統領選挙の際、アスリノーはフランスのメディアに不当にも取り上げられず、視聴覚高等評議会のルールに違反していると主張する[25]。アスリノーの訴えに対して視聴覚高等評議会は、インターネットを含めたあらゆるメディアをカウントするべきだとし、すべての立候補者は公平に扱われるべきだと判断した[26]フランス語版ウィキペディアにおいてもアスリノーは、基準に沿わないと判断され度々ページを削除された[27]。Numeramaによると、フランス語版ウィキペディアの編集長はアスリノーが基準に合わないと判断してアスリノーのウィキページを繰り返し消去してきた[28]

言及された日本の刊行物[編集]

『世界文学ニュース』No.113、2017年6月30日 (世界文学会:http://sekaibungaku.org) <2017年フランス大統領選挙:EUは民主主義の危機なのか>では、次のように評されている:「しかし今回の大統領選で政策面において特に注目できたのは、EUの現状について最も明晰な分析と批判を提示していた「人民共和連合」のフランソワ・アスリノであるといえるだろう。EU、ユーロそしてNATOの三機構からの離脱を明確に掲げて選挙戦を展開していたからである。」

『善隣』No.484、 2017年10月1日 (国際善隣協会:http://www.kokusaizenrin.com) <フランス大統領選挙とEU・ユーロ体制>には、次のような指摘がみられる: 「2015年のギリシャの金融危機は、この歪みの顕著な現れであった。しかもこのギリシャ危機の際に、ヨーロッパ当局が見せた対応は、一般の多くの市民を憤らせるものであった。EU当局は、EUの経済規模の3%に過ぎないギリシャの財政危機を、EU内の相互援助によって救おうとする意思を示さなかったばかりか、ギリシャ市民の民主的な意志をEU官僚制の意志が踏みにじるものとなったのである。(...)このようなEU当局の強圧的な対応に、EU諸国の多くの市民が不安を覚えるとともに、反抗の意志を奮い起こしたとしても不思議ではなかった。ギリシャ危機からほぼ一年が経過した2016年6月24日、その反抗の意志はイギリスで確認された。この日、イギリスの有権者たちは、EU離脱か残留かを問う国民投票で離脱を意味するBrexitを選んだ。(...)EUの現状を理解する上で欠かすことのできないことは、各国の主権がEUに移譲されてきたことによりギリシャ危機に見られたように、民主主義の危機ともいえる状態に立ち至っている現実に対する認識である。それを象徴的に示すものにEU委員会が毎年発表している経済政策に関するガイドライン(GOPE : Grandes Orientations de Politiques Economiques)がある。(...)ソビエト体制の末期にも比較される現在のEUの状況のなかで、フランスの主権と民主主義をEUから奪還しようとする新しい政治の顔ともいえるアスリノ候補の政策には、新自由主義型の政策からの転換を図る具体的な政策が見られる。」

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ [1] Les Échos, Cabinet de Françoise de PANAFIEU François ASSELINEAU, 1995年5月24日
  2. ^ [2] Les Échos, Cabinet de Gérard Longuet Philippe ANDRES François ASSELINEAU, 1994年1月21日
  3. ^ [3] Les Échos, Composition du cabinet de Françoise de Panafieu, 1995年6月13日
  4. ^ a b [4] Les Échos, François Asselineau, 2000年7月17日
  5. ^ [5] u-p-r.fr, François ASSELINEAU – Président de l’UPR, Retrieved 2011年2月2日
  6. ^ [6] Libération, Ile-de-France. Paris (75), 2001年3月19日
  7. ^ [7] Le Monde, BERNARD BLED, ancien secrétaire général de la Ville de Paris, devient directeur général des services administratifs du conseil général des Hauts-de-Seine, 2001年5月23日
  8. ^ [8] Les Échos, François Asselineau, 2004年10月20日
  9. ^ [9] Le Parisien, Ça bouge à l'UMP, 2004年12月31日
  10. ^ [10] Le Parisien, Démission remarquée à l'UMP, 2006年10月3日
  11. ^ Laurent de Boissieu. “Rassemblement pour l'indépendance et la souveraineté de la France (RIF)”. France-Politique.fr. 2012年3月14日閲覧。
  12. ^ Julien Lopez, Yannis Zebaïr. “Asselineau : La dictature de l'Europe ”. Bondy Blog. 2011年10月23日閲覧。
  13. ^ Les souverainistes radicaux créent l’Union populaire républicaine”. revue-republicaine.fr. 2007年3月28日閲覧。
  14. ^ Marie-Anne GAIRAUD. “Bertrand Delanoë bientôt dans les arrondissements...”. Le Parisien. 2007年9月27日閲覧。
  15. ^ 24 Heures”. Le Parisien. 2007年12月22日閲覧。
  16. ^ “XVIIe: un divers droite jette l'éponge”. Agence France-Presse. Le Figaro. http://www.lefigaro.fr/flash-actu/2008/02/21/01011-20080221FILWWW00392-xviie-un-divers-droite-jette-l-eponge.php 2008年2月21日閲覧。 
  17. ^ Benoît Hasse. “Panafieu malmenée dans son fief du XVIIe”. Le Parisien. 2008年2月26日閲覧。
  18. ^ Choq FM, "L'autre monde" (The other world), 2011年2月14日
  19. ^ Asselineau candidat à la présidentielle”. Le Parisien. 2011年12月3日閲覧。
  20. ^ Les candidats à la présidentielle : Jacques Cheminade a ses 500 signatures, pas Corinne Lepage”. La Tribune. 2012年3月19日閲覧。
  21. ^ a b Ève MOULINIER. “François Asselineau, le candidat qui dit non à l’UE”. Le Dauphiné Libéré. 2012年2月12日閲覧。
  22. ^ a b LE NORD - PAS-DE-CALAIS DE A À Z”. La Voix du nord. 2012年2月28日閲覧。
  23. ^ a b c Isabelle Dupont (2012年2月29日). “Un petit candidat contre la grande Europe”. Nord éclair. 2012年3月14日閲覧。
  24. ^ Laurent de Boissieu (2012年3月15日). “Présidentielle: Ces "petits" candidats qui veulent se faire entendre”. La croix. 2012年3月15日閲覧。
  25. ^ Seymour, Jean-Jacques. “l'invité de Jean-Jacques Seymour”. Tropiques FM. 2011年3月5日閲覧。
  26. ^ Boyon, Michel. “Letter sent to the national secretary of UPR”. Conseil supérieur de l'audiovisuel. 2012年2月8日閲覧。
  27. ^ Robin, Jean. “François Asselineau : "Ma fiche wikipedia a été censurée"”. Enquête & débat. 2011年1月17日閲覧。
  28. ^ Champeau, Guillaume. “Un candidat à l'élection présidentielle privé de page Wikipédia”. Numerama. 2012年3月5日閲覧。

外部リンク[編集]