フランス第五共和政

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フランス共和国政府
創設年 1958年
代表 フランス大統領
対象国 フランスの旗 フランス共和国
前政府 フランス第四共和政
後政府 現役
サイト フランス共和国政府ポータル
備考 過去何度か政府の構造、政体が変遷している。現政体は1958年から
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フランス第五共和政(フランスだいごきょうわせい、フランス語: Cinquième République)は、1958年シャルル・ド=ゴール将軍がアルジェリア戦争を背景に第四共和政を事実上打倒し、新たに作られた現在のフランスの共和政体。第四共和政に比べて立法権国民議会)の権限が著しく低下し、大統領執行権が強化され、行政・官僚機構が強力なのが特徴。[1]

概要[編集]

第四共和政同様、憲法には基本的人権に関する条文がないが、前文において「1946年憲法で確認され補充された1789年宣言(通称:フランス人権宣言)によって定められたような、人権および国民主権の原則に対する愛着を厳粛に宣言する」と定め、憲法第7章に基づいて設置された憲法評議会が「人間と市民の権利の宣言」(1789年宣言)と第四共和政憲法前文に基づいて違憲立法審査権を行使している。

なお第四共和政憲法前文において新たに宣言された人権規定としては、男女同権労働の義務と職業を得る権利、労働基本権労働運動社会保障公教育の無償化と宗教からの独立などがある。

「栄光の三十年」[編集]

1946年から1975年にかけてフランスのみならず西洋諸国は高度経済成長の時代へと突入する。第五共和政はそんな栄光の三十年という時代に誕生し、いくつかの政治的、外交的な危機はあったものの、史上類を見ない経済的繁栄を謳歌していた。[2] しかし、1973年に発生した第1次石油危機による経済不況を受け、それ以降のフランス社会はそのすべてが悪化の一途をたどり、ここに栄光の三十年が終わりを告げた。[2]

背景[編集]

フランス第四共和政 #共和国の崩壊」を参照

戦後、1946年に成立した第4共和政はベトナムやアルジェリアといった植民地地域の独立運動という問題を抱えていた。特に後者のアルジェリアに関する諸々の問題は、1830年よりフランスの植民地として長い年月をもっていたため、「アルジェリア民族解放戦線」(FLN)といった組織による独立運動が活発になると、フランス本国においても、なんとしてもアルジェリアだけは手放すまい、といった空気が強くなっていった。[3]

しかし、泥沼化していくアルジェリア戦争によって一時は独立承認へと傾くも、アルジェリア本土の植民地放棄に反対する市民と現地軍上層部が蜂起し、パラシュート部隊がコルシカ島を占領するという事件が起こった。[3]蜂起勢力は当時、引退していたシャルル=ド・ゴール将軍の再登場を要請し、ド・ゴール本人やフランス本土の軍や警察も蜂起勢力の要請に同調する動きを見せ始めた。[3]

混乱と不安のなか、国民議会はド・ゴールの組閣を承認し、ド・ゴールはアルジェリア問題解決のための全権委任と憲法改正を国民投票にかけた。結果、圧倒的な賛成により、「第五共和政」が発足した。[3]

大統領に付与された強権[編集]

フランスの歴史
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大統領は以下のような権限を付与されている。

  • 国民議会を解散する権限(これに対し、国民議会も内閣不信任決議権を持つ)。議会で可決した法案に対する拒否権は持たないが、憲法裁判所へ申し立てをする権利を有する。
  • 国民議会は国家反逆罪を除き、大統領への弾劾裁判権を持たない。シラク元大統領も、現職中及び退任後1ヶ月は、パリ市長時代の汚職疑惑による訴追から保護されていた。アメリカの議会は軽罪でも大統領を弾劾裁判にかけることができる。
  • 議会を飛び越して法律案や条約批准案、憲法改正案を直接国民投票にかける権限。
  • 非常事態権(第五共和政憲法第十六条)を行使する権限。この権限が行使されている間、国民議会は開かれ、また憲法改正は制限される。

大統領は直接、有権者の投票により選出され、その任期は7年と先進国の中でも極めて長いものであった。ただし、2002年の憲法改正により、大統領任期は5年に短縮されている。これは国民議会の任期とも同じであり、大統領選挙を国民議会選挙と同時期に行うことで、後述するコアビタシオンを生じにくくすることもその目的の一つに挙げられる。

二重構造[編集]

大統領以外に国民議会(下院)の議決により選出される首相が設けられている。首相の選出は国民議会における政党の勢力によって決まるので、大統領の出身政党と首相が所属する政党が異なる場合がある。フランソワ・ミッテラン大統領(フランス社会党)の時代のジャック・シラク首相(保守、1986年 - 1988年)とエドゥアール・バラデュール首相(保守、1993年 - 1995年)、シラク大統領の時代のリオネル・ジョスパン首相(フランス社会党、1997年 - 2002年)のケースで、特に左右の異なる指導者が大統領と首相に就くことを「コアビタシオン」と呼ぶ(コアビタシオンとは本来は「同棲」を意味するフランス語)。大統領は外交を、首相は内政を担当するとされているが、時として政策をめぐる対立も生じている。[2]

大統領の所属する政党の支持率が高い場合は、大統領は国民議会を解散し、国民議会選挙で過半数を得られれば、コアビタシオンを解消することができる(ミッテランの就任直後に実例あり)。ただし、支持率が低迷しているときは、コアビタシオンが長期化し、政権の弱体化を招くケースが多い。

第五共和政の歴代大統領・首相[編集]

出典[編集]

  1. ^ 渡邊 啓貴 (1998年4月25日). フランス現代史 英雄の時代から保守共存へ. 中公新書. 
  2. ^ a b c ジャン・フランソワ・シリネッリ (2014年11月10日). 第五共和制. 文庫クセジュ. 
  3. ^ a b c d 柴田三千雄 (2006年5月19日). フランス史10講. 岩波新書. 

関連項目[編集]