フランスにおける封建制の廃止

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1789年8月4日夜の会議 シャルル・モネ英語版フランス革命博物館英語版 蔵。

フランスにおける封建制の廃止(フランスにおけるほうけんせいのはいし)とは、フランス革命の中心となる出来事の1つであり、当時フランスに残っていた封建制およびこれに基づく古い規則、税および特権の廃止を定めた法令の制定などの措置を指す。1789年8月4日の夜、憲法制定国民議会は「(憲法制定)国民議会は封建制を完全に廃止する」と宣言し[1]、第二身分(貴族)の特権と第一身分(聖職者)が徴収する十分の一税を廃止した[2][3]。13の地方高等法院を基盤とした古い司法制度は1789年11月に中断され、最終的に1790年に廃止された[4]

議会での議論[編集]

1789年8月3日、デギュイヨン公爵英語版ブルトン・クラブで封建的特権とそれに基づく個人に対する拘束の廃止を提案し、翌8月4日の夜には、ノアイユ子爵英語版が、地方での平穏を回復するために貴族の特権を廃止することを提案した。

第一身分の議員たちは、最初は嫌々ながらこの夜の愛国的な興奮に参加したが、最終的にはナンシーシャルトル司教が特権を犠牲にした。ギー=ル・グエン・ド・ケランガルフランス語版ボーアルネ子爵英語版ジャン=バティスト・ジョゼフ・ド・ルべルサックフランス語版ド・ラ・ファール司教フランス語版らはバナリテ(領主が水車など領民の生活に必要な設備を占有し、これを強制的に領民に使用させて使用料を徴収する権利)、領主裁判権、狩猟法、教会の特権英語版を廃止することを提案した。

歴史家による分析[編集]

歴史家ジョルジュ・ルフェーブルはこの夜に行われたことを次のように要約している。

「議会は、議論ぬきで熱狂的に課税の平等と個人の隷属を含むそれら以外のすべての領主権-それは後に無償で廃止されることになった-の買い戻しを採択した。 他の提案-法律上の刑罰の平等、すべての人の公職への登用、売官制の撤廃、償還を前提とした支払いへの十分の一税の転換、信仰の自由、複数の聖職禄を持つことの禁止、聖職禄取得金(聖職者が叙品された年の所得を教皇と自分を叙品した司教に納めること)の廃止。最後の犠牲として、地方や町に与えられた特権-も同様の成功をさらに追加した」[5]

数時間のうちに、フランスは狩猟法、領主裁判権、官職(特に司法官職)の購入、金銭免除の売買、税制上の優遇措置、聖職者が教会に納める各種の納付金の廃止、複数の聖職禄の保有の禁止、そして不相応な年金を廃止した。 町、地方、社団、都市もそれぞれの特権を犠牲にした。この日を記念するメダルが造られ、議会はルイ16世を「フランスの自由の復興者」と宣言した[6]フランソワ・フュレ英語版は、1789年8月の決定がその後も生き残り、近代フランスを創り出したテキストの不可欠な部分となったことを強調している。

「これらの決定は貴族社会をその従属や特権の構造とともにすっかり破壊した。それはこうした構造を、法律で禁じられていないことを自由に行う近代の自律的な個人に置き換えた。....革命は非常に早い段階から、それ自身が持つ根本的な個人主義によって特徴づけられた」[7]

フランソワ・ミニエ英語版が「サン・バルテルミの虐殺」と呼んだこの出来事は、当時の人々や歴史家の分析においてしばしば誇張されている。法令の本当の意味については、その後議会内の雰囲気が、何ヶ月ものあいだ混乱に支配された地方と同様に騒然としたものとなったため、1790年3月5日に封建領地委員会が報告を行うまでは、8月4日の夜が実際に作り出したものは公式なものとはされていなかった。委員会は元の法令では明示的に禁止されていたマンモルトを再導入し、その支払いのために、土地に直結した実質利益のための償還率を設定したが、それは年間の地代の30倍に相当したため、大多数の農民はそれを支払うことはできなかった。

ロシアアナキストピョートル・クロポトキンは次のように書いている。 「議会は熱狂のあまり行き過ぎた。そしてこの熱狂の中で、誰も封建的特権と十分の一税を償還する条項には言及しなかった。2人の貴族と2人の司教がこの恐ろしく曖昧な条項を自分たちの演説の中で紹介したが、実際には、封建的特権の廃止は5年間- 1793年8月まで延期された」[8]。 クロポトキンは、「封建的特権は残った」と主張して[9]、他の歴史家を軽蔑する。「歴史的な伝説は、優しくこの夜を飾るために利用されている。そして歴史家の多くは、同時代の数人の人々から与えられた物語をコピーして、それを熱意と聖人のような自己放棄に満ちた夜として描いている」。

8月の諸法令[編集]

8月の諸法令への署名 — レリーフに表された革命の出来事 レピュブリック広場

8月の諸法令は1789年8月4〜11日にフランス革命時の憲法制定国民議会によって制定された19の法令であり、 封建制の廃止、貴族の他の特権、および領主の権利に関して18の法令または条項が採択された[10]

背景[編集]

1789年7月14日のバスティーユの崩壊に続いて、大規模な騒動がパリから地方に広がった。貴族の家族が攻撃を受け、多くの貴族の館が焼かれた。修道院や城も攻撃され、破壊された。大いなる恐怖の季節 - 大恐怖 - は社会的なヒステリーと、自分が次の犠牲者になるかも知れないという不安を特徴としていた。多くの場合、暴力は浮浪者や飢えた農民によってではなく、自分たちの主張のためにこの機会を利用しようとする地元の住民によって始まった。

大恐怖は、フランス政府の脆弱性を露呈した。その中央には権威がなかった。長期にわたる暴動や虐殺は、事態が制御不可能なものになるかも知れないという全国的な不安につながった。それは、この国がそれまでに経験したことのないものだった。

1789年7月下旬までに、フランス全土から農民反乱の報告が殺到したことから、議会は怒れる農民をなだめて平和と調和を促すため、国の社会的なパターンを改革することを決定した。議論は8月4日の夜を通して続けられ、5日の朝、議会は封建制を廃止し、多くの聖職者と貴族の権利と特権を排除した。8月の諸法令は最終的にはその1週間後に完成した。

法令[編集]

8月11日に改訂されたリストが公表された[11]

第1条 国民議会は、封建制は今後廃止されることを宣言する。既存の封建的権利と賦課金のうち、対物的権利、対人的権利はいずれも無償で廃止される[11] 。他のすべての賦課金については補償を行うことができるが、補償の条件と方法は国民議会によって決定される。この法令で廃止されなかった賦課金は、補償が行われるまで通常通り徴収される。

第2条 鳩舎の占有権は廃止される。は地域社会によって定められた期間中は鳩舎に収容される。その期間中、これらは狩猟の対象とみなされ、誰でも自分の所有地内で殺すことが許される。

第3条 封鎖されていない飼育場に対する占有権も廃止される。すべての土地所有者は、自分の土地であらゆる種類の狩猟を行う権利を有するものとする。ただし、公共の安全に関する規制がそれによって妨げられてはならない。王室の森を含むすべての狩猟空間と狩猟権も同様に廃止される。ただし、国王の個人的な楽しみのために、国王の狩猟については別に規定を設ける。国民議会の議長は、既存の狩猟権を侵害したために収監され、または追放された人々の救済を国王に要請するよう命じられた。

第4条 すべての領主裁判所は廃止されるが、その裁判官およびその他の職員は、国民議会から新たな指示があるまで職務を続けることが認められる。

第5条 いかなる種類の十分の一税、またその代わりとなるいかなる賦課金も、それらを保有する者が在俗司祭または修道士の団体、聖職禄の保有者、マルタ騎士団および他の修道会修道騎士団などの団体の構成員、同様に教会の維持のために奉仕し、聖職者の適正配当分(司祭のために定められた最低報酬)の代わりとしてこれを委託された俗人など、何人であっても廃止される。 ただし、礼拝のための費用、職務にあたる聖職者の維持、貧困層の支援、教会と聖職者の住居の修復、神学校、学校、学院、修道院その他の施設など[11]、聖職者が公共の支援のために提供し、その維持のために十分の一税を財源としているものについては、いくつかの代替手段が考慮されることを条件として、これらの準備がなされるまで、国民議会は聖職者が十分の一税を徴収することを許可する。 また、この法律の下で廃止されなかった他のすべての十分の一税は従来通り徴収される。

第6条 あらゆる種類の地代は、国民議会が定める代償によって補償することができる。未だ支払われていない将来の貢租に対する権利は発生しない。

第7条 司法職および官職の売却は廃止される。司法官の職は自由に分かち合われなければならない。しかし、官職の購入によってその職についたすべての司法官は、国民議会からの新たな指示があるまで、彼らの義務を果たすことになる。

第8条 聖職者の適正配当分が増額された後、すべての教区司祭と助任司祭への臨時謝礼はただちに廃止される。

第9条 税金の支払いにおける財政的特権は永遠に廃止される。 すべての市民から税金がまったく同じように徴収され、新たな徴税方法の策定が計画される。

第10条 新しい規則の下で、フランスのすべての地域が平等となったため、特定の州、地区、市、郡、および自治体に与えられていたすべての特権は廃止される。

第11条 すべての市民は、その身分や出生に関わりなく、あらゆる文武の官職につく資格を有する。

第12条 「...聖職禄取得金その他のあらゆる名目によって、ローマ教皇庁アヴィニョンの教皇代理、またはルツェルン教皇使節英語版に支払うべき納付金」[11] は存在しない。聖職者は財政援助や給付金を彼らを管轄する司教に申請しなければならないが、これはフランスのすべての教会に無償で与えられるものとする。

第13条 これにより、教会内部における様々な賦課金は国民議会によって廃止される。

第14条 聖職禄による収入は3千リーヴルを上限とする。すでに総額3千リーヴル以上の各種の聖職禄を享受している者は、同時に複数の聖職禄の恩恵を受けることはできない。

第15条 王と国民議会は、年金、恩恵、給与に関するすべての報告書をともに検討し、無益なものを廃止または減額する権限を有する。

第16条 フランスの福祉のための重要な審議を記念してメダルが製作され、フランスのすべての教区と教会において感謝の念をもって「テ・デウム」が歌われるものとする[11]

第17条 国王ルイ16世は、フランスの自由の復興者と宣言される。

第18条 国民議会は国王の前にこの重要な法令を提出し、「テ・デウム」が国王の礼拝堂で歌われる。

第19条 国民議会はできるだけ速やかに、これらの法令を遂行するために必要な法律の策定に重大な配慮を行うこととする。

影響[編集]

8月の諸法令は、民衆を沈静化し、礼節ある態度を奨励するという考えのもとで宣言された。しかし、8月の諸法令は、その後2年間に何度も繰り返し改訂された。ルイ16世はその手紙に「...第一身分と第二身分のとった高貴かつ寛大な措置…」に深い満足を表明し、彼らは「フランス全体の和解のために大きな犠牲を払った」と書いている。しかし、その一方で、彼は続けて「犠牲は素晴らしいものでしたが、私はそれを賞賛することはできませんし、聖職者とわが貴族が受けた侮辱に私は決して同意しません...彼らから奪いとる法令に私が認可を与えることは決してありません。なぜなら、そのためにフランスの人々はいつの日か、不公正や弱さを理由に私を非難するかも知れないからです」と書いている[12]。フランスの貴族や聖職者はその地位を失ったわけではなく、この損失に対して適切な賠償を得ている。 一方、8月の諸法令は、議会による人権宣言に道を開いた。

当初、農民は領主に対する貢租の償還金を支払うことになっていた。これらの貢租はフランスの農地の4分の1以上に影響を及ぼし、大規模な地主の収入の大半をもたらしていた [13]。農民の多くはその支払いを拒否し、1793年に義務は取り消された。こうして農民たちは土地を無償で手に入れ、さらに教会にも十分の一税をもはや納めなくなった[14]

D. M. G. サザーランドは、小作農と地主のその後について調査した。農民はもはや教会に十分の一税を納めなくなったが、地主は以前の十分の一税と同じ金額だけ地代を上げることができた。その後、中央政府は地租を上げることによって、地主の新しい収入に課税した。サザーランドは、小作農は地代が高くなり、税金が重くなったという点で実質的に2倍の支出を行ったと結論している。多くの農民は負担を回避しようとした。しかし長期的には、小作農と地主の負担は生産性の大幅な上昇によって大きく相殺され、すべての人がより豊かになった[15]

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ Stewart, p 107 for full text
  2. ^ Furet, 1989
  3. ^ Markoff,
  4. ^ Paul R. Hanson, The A to Z of the French Revolution (2007) p 250-51
  5. ^ Lefebvre, Georges (1962). The French Revolution: Vol. 1, from Its Origins To 1793. Columbia U.P,. p. 130. https://books.google.com/books?id=bd-JDOw8v5QC&pg=PA130. 
  6. ^ J.M. Thompson, The French Revolution (1943), pp 90-111
  7. ^ Furet, Critical Dictionary of the French Revolution, p 112
  8. ^ Kropotkin, P. (1927)."4 August and Its Consequences", The Great French Revolution, 1789–1793 (N. F. Dryhurst, Trans.) New York: Vanguard Printings. (Original work published 1909)
  9. ^ Kropotkin, P. (1927), The Great French Revolution, Chapter XVIII, 1789–1793 (N. F. Dryhurst, Trans.) New York: Vanguard Printings. (Original work published 1909)
  10. ^ See also in the French Wikipedia: fr:Décrets des 4, 6, 7, 8 et 11 août 1789
  11. ^ a b c d e Robinson, James Harvey (1906). Readings in European History. Boston: Ginn. pp. 435ff.. OCLC 870461. https://books.google.com/books?id=Yl4AAAAAYAAJ&dq=J.H.%20Robinson%20(1906).%20Readings%20in%20European%20History&pg=PA435#v=onepage&q=August%20Decrees&f=false 2011年1月16日閲覧。. 
  12. ^ Simon Schama (1989). Citizens: A Chronicle of the French Revolution. New York: Knopf. pp. 441–442. 
  13. ^ Robert Forster, "The survival of the nobility during the French Revolution." Past and Present (1967): 71–86 in JSTOR.
  14. ^ Paul R. Hanson, The A to Z of the French Revolution (2013) pp. 293–94
  15. ^ D.M.G. Sutherland, "Peasants, Lords, and Leviathan: Winners and Losers from the Abolition of French Feudalism, 1780–1820," Journal of Economic History (2002) 62#1 pp. 1–24

参考文献[編集]

  • Elster, Jon. "The night of August 4, 1789. A study of social interaction in collective decision-making." Revue européenne des sciences sociales (2007): 71–94. online free
  • Furet, François. "Night of August 4," in François Furet, and Mona Ozouf, eds. A Critical Dictionary of the French Revolution (Harvard University Press, 1989) pp. 107–14.
  • Herbert, Sydney. The Fall of Feudalism in France (1921) full text online free
  • Eric Hobsbawm (1962). The Age of Revolution : Europe 1789–1848. 
  • Georges Lefebvre (1962–64). French Revolution. Columbia. 
  • Mackrell, John Quentin Colborne. The Attack on Feudalism in Eighteenth-century France (Routledge, 2013)
  • Markoff, John. Abolition of Feudalism: Peasants, Lords, and Legislators in the French Revolution (Penn State Press, 2010)
  • H.M. Scott (2005). The Birth of a Great Power System 1740–1815. London. 
  • Sutherland, D.M.G. "Peasants, Lords, and Leviathan: Winners and Losers from the Abolition of French Feudalism, 1780–1820," Journal of Economic History (2002) 62#1 pp. 1–24 in JSTOR
  • Thompson, J. M. The French Revolution (1943), pp. 90–111

出典[編集]

  • Stewart, John Hall, ed. A Documentary Survey of the French Revolution (1951) pp. 106–12