フランシスコ・カラバイヨ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカラバイヨ第二姓(母方の)はルーゴです。
フランシスコ・カラバイヨ
Francisco Caraballo
群馬ダイヤモンドペガサス 選手兼任コーチ #42
OB-Francisco-Caraballo20110823.jpg
2011年8月23日
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 アンソアテギ州アナコ
生年月日 (1983-10-21) 1983年10月21日(33歳)
身長
体重
187 cm
105 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2001年
初出場 NPB / 2010年7月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 群馬ダイヤモンドペガサス (2013 - 2014, 2016 - )
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ
プレミア12 2015年

フランシスコ・ダニエル・カラバイヨ・ルーゴFrancisco Daniel Caraballo Lugo , 1983年10月21日 - )は、ベネズエラアンソアテギ州アナコ出身のプロ野球選手外野手)。

経歴[編集]

アストロズ傘下時代[編集]

2001年ヒューストン・アストロズと契約。2007年まで傘下のマイナーチームでプレー。

ウースター時代[編集]

2008年は、独立リーグであるカナディアン・アメリカン・リーグウースター・トルネードズでプレー。

高知時代[編集]

2009年四国・九州アイランドリーグ高知ファイティングドッグスに入団。8月には打率.419、5本塁打、15打点を記録して月間MVPを獲得するなどシーズンを通して活躍、最終的には本塁打王打点王の二冠に輝いた。

球団やリーグから退団の公式な発表はなかったが、2010年3月23日のリーグの監督・キャプテンによる記者会見の際に定岡智秋監督から「昨年二冠王を取った長距離打者が退団」とのコメントがあり、高知を退団したことが明らかにされた。

群馬時代[編集]

同年3月26日、ベースボール・チャレンジ・リーグ群馬ダイヤモンドペガサスに入団した。BCリーグでは39試合で15本塁打を放ち、この記録がシーズン終了まで抜かれなかったので、カラバイヨは2つの独立リーグにまたがって2年連続の本塁打王を獲得することになった。

オリックス時代[編集]

同年7月9日、オリックス・バファローズが獲得を発表[1]。7月12日に支配下登録された。BCリーグから外国人選手がNPBへ移籍するのは史上初。入団後の7月19日に一軍登録され、同日の対楽天戦で代打で途中出場すると、第2打席に初安打となるBCリーグ出身選手のNPB初本塁打をレフトスタンドへ放った。その後も一軍で出場機会を得て、随所で長打力を発揮した。最後は9月25日のロッテ戦での試合中にスイングした際に、左手首を骨折して戦線離脱したが、125打席で46三振、打率.257と粗さも見せつつも、7本塁打18打点とまずまずの成績を残した。8月21日のロッテ戦では満塁本塁打、9月15日の西武戦では1試合2本塁打も記録していた。

2011年はキャンプ終盤にまたも左手首の手術を受け今季絶望と思われたが、[2]、7月12日にウエスタン・リーグで実戦復帰するとその日の阪神戦で3ランを放つなど復調を見せ、[3]3日後の7月16日に一軍昇格すると不振のT-岡田に代わって4番に抜擢されるも打撃に精彩を欠き、一軍での出場は僅か4試合にとどまり、10月24日に球団から戦力外通告を受けた。

ニュージャージー時代[編集]

2012年はカナディアン・アメリカン・リーグのニュージャージー・ジャッカルズでプレー。

群馬復帰[編集]

2013年に選手兼任コーチとして群馬ダイヤモンドペガサスに3年ぶりに復帰[4]。同年は青木智史が持つBCリーグの本塁打記録を更新する活躍をみせ、最多本塁打を最多打点のタイトルを獲得するとともに、シーズンのMVPにも選ばれた。

2014年からアレックス・ラミレスが打撃コーチに就任したことに伴い、打撃コーチ補佐となる。同年は前年更新した本塁打、打点の記録をさらに更新し、BCリーグ史上初のシーズン30本塁打を達成。打率もトップにたちリーグ初の三冠王に輝いた。シーズン終了後には古巣・オリックスが入団テストを行うことを発表した[5]

オリックス復帰[編集]

2015年2月16日にオリックスが獲得を発表し[6]、3年ぶりの復帰となった。背番号は前回在籍時につけていた91がすでにアレッサンドロ・マエストリがつけていたため、99となった。なお、99が外国人選手に割り当てられるのは、ブルーウェーブ時代の1998~2000年にトロイ・ニールがつけて以来15年ぶりのこととなる。チームに故障者が続出する中で春先は4番に座り、5月までに11本塁打を放ったが、6月以降は数字を残せず出場機会を減らし、12月2日に自由契約となった。

オフには、第1回WBSCプレミア12のベネズエラ代表に選出された[7]

2度目の群馬復帰[編集]

2016年1月30日、群馬に選手兼コーチとして復帰することが報じられ[8]、2月1日に野手コーチ兼任で入団することが発表された[9]。群馬には2度目の復帰となる。

選手としての特徴 [編集]

長打力があり広角に打ち分けることができる。打率を残すほどの打撃技術を持つが、三振がやや多い。

守備は外野と一塁を守る。

人物[編集]

一度目のオリックス入団時の2010年シーズンは英語でヒーローインタビューに応じていたが、2015年4月19日のヒーローインタビューでは流暢な日本語を披露し、ファンを驚かせた[10]。以降、ヒーローインタビューやマスコミの取材には基本的に日本語で答えているが、2015年5月13日のヒーローインタビューでは家族が来日していたために英語で応じている。独立リーグ時代に専属の通訳や英語・スペイン語の分かるチームメートがいなかったため、「自ら覚えるしかなかった」という。

2010年5月に佐藤製薬ユンケル」オーディションで選ばれ、CMに出演。鉄骨の上でイチローと対戦する相手投手役。NPBでの初ホームランのお祝いとしてユンケル100本が贈られたという[11]

オリックス時代の応援歌はベン・オグリビーフレッディ・ガルシアカリーム・ガルシアなどに使われた曲の流用。一度目の入団と二度目の入団の間にはボビー・スケールズに使用された。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2010 オリックス 36 125 113 12 29 4 0 7 54 18 0 0 0 0 11 1 1 46 0 .257 .328 .478 .806
2011 4 12 11 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .091 .167 .091 .258
2015 64 247 222 26 56 9 0 12 101 35 0 1 0 3 17 0 5 63 3 .252 .316 .455 .771
NPB:3年 104 384 346 39 86 13 0 19 156 53 0 1 0 3 29 1 6 115 3 .249 .315 .451 .768
  • 2015年度シーズン終了時

記録[編集]

NPB

独立リーグでの打撃成績[編集]



































2009 高知 79 309 43 111 25 2 18 76 6 0 5 20 7 43 .359
2010 群馬 39 147 35 52 9 0 15 46 0 0 4 22 2 29 .354
2013 72 265 57 97 19 0 24 63 1 0 0 42 4 69 .366
2014 63 240 68 95 14 0 33 87 2 0 3 37 2 39 .396
2016 71 252 49 87 7 0 20 60 3 0 1 39 6 57 .345
IL:1年 79 309 43 111 25 2 18 76 6 0 5 20 7 43 .359
BCL:4年 245 904 209 331 49 0 92 256 6 0 8 140 14 194 .366
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はリーグ歴代最高

背番号[編集]

  • 35 (2009年)
  • 15 (2010年 - 2010年7月11日)
  • 91 (2010年7月12日 - 2011年)
  • 42 (2013年 - 2014年、2016年 - )
  • 99 (2015年)

代表歴[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]