フジフェリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フジフェリー株式会社
Fuji Ferry Co., Ltd
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
105
東京都港区新橋1-10-7 大和銀行新橋ビル[1]
設立 1970年11月27日[2]
業種 海運業
代表者 重松景二(社長)[1]
資本金 21.2億円[1][3]
主要株主 大阪商船三井船舶[4]
京成電鉄[1]
特記事項:1979年10月解散[5]
テンプレートを表示

フジフェリー株式会社(英:Fuji Ferry Co., Ltd[3])は、かつて日本に存在した海運会社。

概要[編集]

1969年秋に三井物産から大阪商船三井船舶に対して東京湾フェリーが企画していた東京-清水-名古屋間でのカーフェリー計画に参加要請があり、東京湾フェリー親会社の京成電鉄と商船三井の間で対等条件での会社設立に合意し[6]、商船三井と京成のほか近畿日本鉄道名古屋鉄道らの出資を受け設立[1]日本沿海フェリー大洋フェリー九州急行フェリーとともに「オレンジファンネルグループ」を形成し、1975年10月までに日本列島を一周する8路線のフェリー航路網の構築を計画していた[7]

しかし当初の航路計画では採算を見込めず、混雑をきたしていた東名高速道路の補完需要や[8]、三重県の中南勢工業開発計画や首都圏から伊勢志摩地域への観光ニーズに対応するべく[9]、東京-松阪-名古屋航路に変更し1973年就航を目標とした[4]。しかし松阪港の浚渫工事に際し地元漁業組合との補償がこじれ就航は1974年に延期され[4]、延期中に竣工した新造船いせ丸・しま丸は日本沿海フェリーに用船され東京-苫小牧航路にて「さっぽろ丸」就航までの繋ぎやエンジントラブル時の代替船として用いられた[2]

1974年10月に就航[2]、しかしオイルショック直後で公害問題の兼ね合いから紀勢地方での工業開発計画が縮小され採算の見込みが立たず[8]、バイパス効果の少なさから陸上交通機関との競争に破れたこともあり[10]、1977年度には累積損失が46億400万円に登り[11]、九州急行フェリーに事業譲渡の上で解散となった[12]

沿革[編集]

  • 1970年
    • 11月20日:大阪商船三井船舶・京成電鉄の間で東京-清水-名古屋間のカーフェリー事業を目的とした会社設立を合意[6]
    • 11月27日:会社設立[2]
  • 1971年4月:運輸省が東京-松阪-名古屋航路計画を認可[13]
  • 1974年
    • 5月22日:名古屋港への寄港計画を中止[14]
    • 9月24日:松阪-名古屋航路の廃止が認可される[13]
    • 10月17日:東京-松阪航路就航[2]
  • 1976年9月:保有船舶2隻を日本リースに割賦売却しリース使用で運航を行う[15]
  • 1977年
    • しま丸を商船三井に売却、その後元大洋フェリー「おりおん」が就航[12]
    • 10月:事業廃止を決定[16]
  • 1978年9月:日本カーフェリーがいせ丸を購入、おりおん1隻のみによる運航とする[12]
  • 1979年10月23日:九州急行フェリーに事業譲渡し解散[2]

航路[編集]

船舶[編集]

ファンネルマークは大阪商船三井船舶のオレンジ一色。

  • いせ丸/しま丸[12]
    • 約7,100総トン、全長140.9m、幅22.4m、航海速力21.5ノット。
    • 旅客定員670名。車両積載数:8tトラック104台・乗用車45台。林兼造船下関造船所建造。
    • 塗装は胴体下半分を水色と残りを白とし胴体中央に「フジフェリー」のロゴをあしらった。
  • おりおん[12]
    • 7,174総トン、全長140.9m、幅22.4m、航海速力21.5ノット。
    • 旅客定員794名。車両積載数:8tトラック94台・乗用車72台。林兼造船下関造船所建造。大洋フェリーから用船。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f フェリーガイド フジフェリー株式会社 - 日本のトラック事業 1979年版(輸送経済新聞社)162頁
  2. ^ a b c d e f g ブルーハイウェイライン25年史(ブルーハイウェイライン 1995年)
  3. ^ a b フジフェリー株式会社 - 海運業者要覧1979(日本海運集会所 1978年)58頁
  4. ^ a b c 木村繁「中核五社の経営するフェリー事業とその諸問題」 - 海運1973年11月号
  5. ^ フジフェリー、東京-松阪航路の営業権を九州急行フェリーに譲渡、10月下旬にも解散。- 日本経済新聞1979年10月12日朝刊
  6. ^ a b 第11章成長の時期 第4節企業成長を支えた非営業部門 カーフェリー業務への進出 - 創業百年史(大阪商船三井船舶 1985年)729頁
  7. ^ 長距離フェリーの進路をさぐる - 運輸と経済1972年5月号(交通経済研究所)
  8. ^ a b 第9章海図のない時代 客船の灯を守る - 風濤の日々 商船三井の百年(大阪商船三井船舶 1984年)404-405頁
  9. ^ 由紀章「長距離フェリー業界の動向を探る」 - 運輸と経済1983年5月号
  10. ^ 池田良穂「(2)日本の沿岸で活躍する船」 - 港湾1982年9月号(日本港湾協会)
  11. ^ 木村繁「フェリー会社も漸く浮上か しかし十一社の累積赤字四八九億円」 - 海運1978年9月号
  12. ^ a b c d e 是則直道「フジフェリー乗り納め記」 - 旅客船1979年11月号(日本旅客船協会)
  13. ^ a b フジフェリー、名古屋寄港廃止 - 日本海事年鑑昭和51年版(日本海事新聞社 1975年)282頁
  14. ^ 昭和49年 - 名古屋港年表(名古屋港管理組合 1981年)158頁
  15. ^ 創業二十五年史(ブルーハイウェイライン 1995年)74頁
  16. ^ 第12章激変する環境への対応 第4節環境の変化に対応する非営業部門 関連事業の縮小 - 創業百年史(大阪商船三井船舶)804頁
  17. ^ 世界の艦船 1978年8月号
  18. ^ 東京港フェリー埠頭のあらまし - トランスポート1975年2月号(運輸振興協会)