フジコー

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株式会社フジコー
FUJI CORPORATION
種類 株式会社
市場情報
東証JQ 3515
1995年10月 - 2021年8月30日
本社所在地 日本の旗 日本
664-8615
兵庫県伊丹市行基町1-5
設立 1951年7月6日
(富士帽子工業株式会社)[1]
業種 繊維製品
法人番号 2140001078870
事業内容 不織布・フェルトの製造・販売
代表者 代表取締役社長 日原邦明
資本金 17億1630万円
発行済株式総数 1,000,000株[1]
売上高 連結:71億1888万4000円
単独:61億6500万円
(2021年3月期)[2]
営業利益 連結:△2億4168万2000円
単独:△4億9800万円
(2021年3月期)[2]
純利益 連結:△7億967万6000円
単独:△3億6200万円
(2021年3月期)[2]
純資産 連結:77億6661万5000円
単独:76億100万円
(2021年3月31日現在)[2]
総資産 連結:107億7212万4000円
単独:102億9400万円
(2021年3月31日現在)[2]
従業員数 連結:433人
(2021年3月31日現在)[1]
決算期 3月31日
主要株主 日本毛織(株) 100%
(2021年9月1日現在)
主要子会社 (株)三和フェルト
外部リンク http://www.fujico-jp.com/
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株式会社フジコー(FUJI CORPORATION)は、兵庫県伊丹市に本社を置き、不織布フェルト製造販売を手掛けている企業。ニッケ(日本毛織)の100%子会社

概要[編集]

前史[編集]

1927年、掘抜義太郞が掘抜帽子製造所(掘抜製帽とも)として創業。工場は東洋一の帽子製造工場と呼ばれる規模だった。日中戦争と第二次大戦による戦時体制下では原材料の統制を受け、主力製品は軍用ゲートルの製造へと変わる。戦後、平和産業として再出発を試みたが、占領下で原料の羊毛が輸入できず、配給も滞ったことで1951年に倒産した[3]

富士帽子からフジコーへ[編集]

掘抜製帽の再建のため日本勧業銀行が出資し、1951年7月に富士帽子工業株式会社として法人へ改組。主要製品を斜陽化しつつあった帽子からフェルトに切り替え、1956年に工業用フェルト分野に進出。1960年代半ばに合成繊維をフェルト化したニードルパンチカーペットの製造を開始する。一方で祖業の帽子製造も布製やニット帽など多角化を進め、さらにアメリカのバイヤーローリネック社と提携、紳士帽の名門ブランド「ノックス (KNOX) 」の国内生産と輸出を手掛ける[4]

1970年代に入ると各種産業向けの不織布・フェルトの比重が高まり、総合メーカーとしてフジコーへ商号を変更。高温耐熱成型断熱材やNAS(ナトリウム・硫黄)電池の電極用フェルトといった先端技術分野から、カーペットなどの日常消費財まで各種製品を幅広く手がけている[5]

ニッケは2021年5月13日に、フジコーを同年9月1日付で簡易株式交換により完全子会社化する事を発表[1][5][6]。フジコー株式は同年8月30日に上場廃止となり、フジコーは同年9月1日付でニッケの完全子会社となった。

2024年6月1日付でニッケに吸収合併され、フジコーは解散する予定[7]

沿革[編集]

  • 1927年 - 掘抜帽子製造所として兵庫県伊丹町にて創業。
  • 1951年
    • 7月6日 - 富士帽子工業株式会社として法人へ改組。
    • 10月 - ウール帽子・帽体、小型平面ファーフェルトの製造を開始。
  • 1952年10月 - 東京出張所(現:東京支店)を設置。
  • 1964年9月 - ニードルパンチカーペットの製造を開始。
  • 1971年3月 - 株式会社フジコーへ商号変更。
  • 1980年
    • 3月 - 自動車用カーペットの製造を開始。
    • 6月 - 石岡工場を設置。
  • 1983年9月 - 有限会社フジコーサービスを設立。
  • 1992年8月 - スパンレースの製造を開始。
  • 1995年10月 - 株式を店頭公開(現:JASDAQ)。
  • 1999年10月 - 本社を新社屋へ移転。
  • 2012年
    • 1月 - 株式会社三和フェルトを子会社化。
    • 7月 - 館林事業所(現 館林工場)を設置。
    • 10月 - 有限会社フジコーサービスを吸収合併。
    • 11月 - 一関工場を設置.
  • 2020年
    • 5月14日 - ニッケと資本業務提携を締結[8]
    • 10月30日 - 一関工場が全焼[9][10]
  • 2021年
    • 1月 - 館林工場を閉鎖[10]
    • 8月30日 - JASDAQ上場廃止
    • 9月1日 - 簡易株式交換により、ニッケの完全子会社となる。
  • 2022年3月 - 一関工場の操業を再開[11]
  • 2023年12月 - アンビックと経営統合を実施。不織布・フェルト事業をエフアンドエイノンウーブンズ(アンビックから商号変更)に移管[12]
  • 2024年6月1日 - ニッケに吸収合併されて解散する予定[7][13]

事業所[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d ニッケ(日本毛織株式会社)による株式会社フジコーの完全子会社化に関する株式交換契約締結(簡易株式交換)のお知らせニッケ(日本毛織)、フジコー 2021年5月13日
  2. ^ a b c d e 2021年3月期決算短信フジコー
  3. ^ 伊丹市史 第3巻 1972倒産前は原料自給のためにアンゴラウサギの養殖も手掛けていた
  4. ^ 神戸の中堅130社 1979.
  5. ^ a b ニッケ<3201>、不織布・フェルトメーカーのフジコー<3515>を子会社化M&A online 2021年5月13日
  6. ^ ニッケ、フジコーの完全子会社化を発表神戸新聞 2021年5月14日
  7. ^ a b 連結子会社の合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせニッケ(日本毛織) 2024年4月12日
  8. ^ 日本毛織株式会社及びアンビック株式会社との資本業務提携、主要株主及び主要株主である筆頭株主ならびにその他の関係会社の異動に関するお知らせフジコー 2020年5月14日
  9. ^ 東工業団地の工場で火災 一関岩手日日新聞 2020年10月31日
  10. ^ a b 当社一関工場の火災事故および館林工場の閉鎖に伴う特別損失の計上並びに業績予想の修正に関するお知らせフジコー 2021年2月10日
  11. ^ 当社一関工場の再建に関するお知らせ フジコー 2021年3月10日
  12. ^ 連結子会社間の経営統合および商号変更についてニッケ(日本毛織) 2023年10月2日
  13. ^ ニッケ、子会社のフジコーを吸収合併日本M&Aセンター 2024年4月12日

参考文献[編集]

  • 伊丹市史編纂専門委員会 編「第二節 産業経済の復興」『伊丹市史』 3巻、伊丹市、1972年、602-603頁。NDLJP:3030425 
  • 日本経済新聞神戸支社 編『神戸の中堅130社』日本経済新聞社、1979年、602-603頁。NDLJP:11950760 

外部リンク[編集]