フサイン朝

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チュニジア君侯国
Beyliğ-i Tunus
Beylicat de Tunis
オスマン帝国ベイ

1705–1956


国旗1831年に採用)[1]

国歌
サラーム・アル・ベイ英語版
1707年のフサイン朝(ピンク色の部分)
首都 チュニス
言語 アラビア語チュニジア方言オスマン語アラビア語ユダヤ・チュニジア方言英語版ドマリ語
宗教 イスラム教スンナ派ユダヤ教
政府 君主制
ベイ
 •  1705–35 Al-Husayn I ibn Ali at-Turki
 •  1859–81 Muhammad III as-Sadiq
歴史
 •  建国 1705年7月15日
 •  保護国離脱 1956年5月12日
通貨 チュニジア・リアル英語版(1891年まで)
チュニジア・フラン英語版(1891年以降)
現在 チュニジアの旗 チュニジア

フサイン朝[2]フランス語: Beylicat de Tunisオスマントルコ語: Beyliğ-i Tunus‎)は、1705年ムラード朝フランス語版が滅亡した後に成立したチュニジアの王朝。

概要[編集]

フサイン朝は、1705年にムラード朝が滅亡した後に成立したチュニジアの王朝。名目上は、ムハンマド・アリー朝と同じくオスマン帝国領内の世襲制が認められた君侯国(ベイリク)の一つに過ぎず、君主号もベイ(君侯)であった。

1881年フランスの保護領となり、以後、フランス総督がチュニジアにおける内政と外交の全権を持っていたが、名目上の統治者としてフサイン朝の君主がおり、フサイン朝はフランス統治下においても存続していた。1956年にフランスから独立する際、チュニジア王国として君侯国から王国に昇格した。

出典・脚注[編集]

  1. ^ Smith, Whitney. Flags Through the Ages and Across the World. 
  2. ^ フサイン朝チュニジア、もしくはチュニジア君侯国チュニス侯国などとも呼ばれる。