フォーティナイナーズ
フォーティナイナーズ(Forty-niners,49ers)とは
- 1848年のアメリカ合衆国カリフォルニアでの金発見にともない、翌1849年、金を求めてカリフォルニアに殺到した人々。49年者。49年組。
- アメリカンフットボールのプロチーム「サンフランシスコ・フォーティナイナーズ」。上記に由来する。
- イタリアのバンド「フォーティナイナーズ」
を指す。
本稿では、1について述べる。
新領土カリフォルニアでの金発見[編集]
米墨戦争(1846年-1848年)の勝利とそれにつづく1848年5月のグアダルーペ・イダルゴ条約によって、アメリカは、1,825万ドル(1,500万ドルの現金と325万ドルの債務放棄)と引き替えにメキシコ割譲地を得た。これは、現在のカリフォルニア州・ネバダ州・ユタ州の全域とアリゾナ州の大部分、およびニューメキシコ、ワイオミング、コロラド各州のそれぞれ一部にあたる。それに前後して、1848年1月24日に農場主ジョン・サッターの使用人であったジェームズ・マーシャルがサクラメント東方のアメリカン川で砂金を発見した。発見者はこれを元手に農業経営の拡大を考え、当初は秘密にしていたが、噂はすぐに広まって、文字通り新天地となったカリフォルニアには金鉱脈目当ての山師や開拓者が押し寄せることとなった。
東部からの3ルート[編集]
アメリカ東部からはおもに次の3つのルート、
でカリフォルニアに到着した。旅行途中で病死した者も多かったが、1849年の一年間だけでも8万を超す人々がカリフォルニアに到来した。当時の記録をみると、農民、労働者、商人、乞食や牧師までもが一攫千金を夢見てカリフォルニアへなだれ込んだことが記されている。
成功者[編集]
彼らは、アメリカ国内の一般労働者の日給が1ドル程度だった当時にあって毎日10~20ドルを稼ぎ出したとさえいわれている。しかし、フォーティナイナーズで成功した人はおらず、むしろ多くは破綻したとされる。というのも、当時のアメリカン川の金鉱はほぼ露天掘りに近く、誰もが金を採取できたために、逆に一度にあまりにも多くの人々が殺到して生活物資の供給不足を招きインフレーションが起こったせいである。小麦価格は40倍になり、土地価格では16ドルだったところが4万5,000ドルに跳ね上がった例もあったほどである。
成功者はむしろ、フォーティナイナーズの周辺で生まれた。有名なのがリーバイス創業者のリーバイ・ストラウスである。彼はまたテントや荷馬車の幌を作るためにキャンバス帆布を準備し、採鉱者達に販売することで財をなした。また、サム・ブラナンは、金採掘に必要な道具を独占することで巨利を得、ヘンリー・ウェルズとウィリアム・ファーゴは、輸送手段や金融サービスを提供して利益を上げた。今日のウェルズ・ファーゴの始まりである。
また、フォーティナイナーズの多くはヨーロッパからの移民であり、なかにはブドウ栽培とワイン醸造の知識をもつ者も少なくなかった。こうしたなかから名産としてのカリフォルニアワインが生まれている。
結果・影響[編集]
- フォーティナイナーズの到来は、カリフォルニアが早くも1850年に州に昇格する原因の一つとなった。カリフォルニアの人口急増は、州への昇格をめぐって南部と北部の対立に拍車をかけることとなったが、それに際して、カリフォルニアが自由州として連邦に加入するかわりに、北部諸州にはよりきびしい奴隷逃亡取締法を施行するという「1850年の妥協」が成立した。この妥協はやがて南北戦争の伏線となる。
- ゴールドラッシュはカリフォルニアから西部各地に飛び火し、フロンティアラインは西から東へと進むこととなり、大陸横断鉄道の完成を促した。人口数百人だったサンフランシスコは金の搬出港となって活況を呈した。
- フォーティナイナーズは、白人の西漸運動(東部の大西洋岸から西方地域への拡張・開拓・移住の運動)をいっそう加速し、平等指向とフロンティア・スピリットを特質とする西部社会の形成に重要な役割を果たしたが、依然としてネイティブ・アメリカン(アメリカ・インディアン)への圧迫はつづき、やがて彼らは以前にも増して追いつめられていった。
補足[編集]
- アメリカンフットボールのプロチーム「サンフランシスコ・フォーティナイナーズ 」や競走馬「フォーティナイナー」の名称はこれにちなむ。また、カリフォルニア州は公式の愛称をGolden States(黄金の州)としている。これに因んだチームがオークランドに本拠地を置くNBAのゴールデンステート・ウォリアーズである。
- 野口悠紀雄は、日本経済の将来について、フォーティナイナーズの失敗とその周囲の成功例を教訓とすべきだと論を展開している。