フェルディナント・アダルベルト・ユンケル

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フェルディナント・アダルベルト・ユンケル・フォン・ランゲグ(Ferdinand Adalbert Junker von Langegg、1828年7月28日 - 1901年11月20日)は、明治時代にお雇い外国人として来日したオーストリア生まれのドイツの医師である。姓はヨンケルとも、ミドルネームアダルベルトの綴りはEdelbertとも表記される。

経歴[編集]

ウィーンの生まれ。ウィーン大学卒業後、1872年(明治5年)に日本政府の招きにより来日し、京都府療病院(現在の京都府立医科大学[1])の教師として来日した[2]

解剖学の教授のみならず、麻酔科学病理学外科学精神医学等、多岐にわたる医学の教鞭を執り、日本における医学の発展に貢献[1]。ユンケルが発明した小型の携帯麻酔器は、1940年代まで世界各地で使用された[2][1]1876年(明治9年)に帰国、後にイギリスに移住して帰化[2]

また、ユンケルは日本文化に興味があり、謡曲「鉢の木」のドイツ訳を手掛け、日本の文化について紹介した『瑞穂草』(1880年)でも忠臣蔵のドイツ訳を収めている(上巻「忠臣庫之部」〔ママ〕)[3][4]。また茶の歴史に関する『扶桑茶話』も、帰国後の1884年に発行されている[注 1][6][3][1]

近衛霞山ロンドン在留中に(ヨハネス・ユストゥス・ラインを介して)ユンケルの訪問を受けており、その日記の記帳がユンケルについての貴重な資料となっている[3]

注釈[編集]

  1. ^ 第1集のみがドイツ訳されたとある[5]

出典[編集]

脚注
  1. ^ a b c d 長門谷洋治。朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『ユンケル』、1994年‐ コトバンク
  2. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『ユンケル』、2015年‐ コトバンク
  3. ^ a b c 重久篤太郎「本欄 近衞霞山公『螢雪餘聞』」『書物展望』第10巻4号/通巻106、1940年、12頁。 
  4. ^ Junker von Langegg (1880), Midzuho-gusa, Bd. 1
  5. ^ Wenckstern, Friedrich (1895), A Bibliography of the Japanese Empire, Léon Pagès, Leiden: E.J. Brill, p. 225, https://books.google.com/books?id=Hq8KAAAAYAAJ&pg=PA225 
  6. ^ Junker von Langegg (1884), Japanische Thee-geschichten: Fu-sô châ-wa.
参照文献