フェリクス水道
| フェリクス水道 | |
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ラテン語: Aqua felix イタリア語: Acqua Felice | |
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| 別名 | フェリーチェ水道 |
| 概要 | |
| 自治体 | ローマ |
| 国 |
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| 座標 | 北緯41度50分45.6秒 東経12度33分39.6秒 / 北緯41.846000度 東経12.561000度座標: 北緯41度50分45.6秒 東経12度33分39.6秒 / 北緯41.846000度 東経12.561000度 |
| 着工 | 1585[1] |
| 完成 | 1590 |
| 寸法 | |
| 幅 | 全長 24km |
| 技術的詳細 | |
| 構造方式 | 石造・コンクリート造建築 |
| 設計・建設 | |
| 建築家 | Giovanni Fontana, Domenico Fontana |
| 主要建設者 | ローマ教皇庁 |
フェリクス水道(フェリクスすいどう、ラテン語: Aqua felix)は、イタリア ローマにある、中世ルネサンス時代にローマ教皇シクストゥス5世により造られた水道。教皇の本名フェリックス・ペレッティ(ラテン語: Felix Peretti)に因んで名付けられた。日本語訳としてフェリーチェ水道と表記されることもある。
概要[編集]
カシリーナ街道沿いの水源パンターノ・ボルゲーゼ(Pantano Borghese)[1]から約24km離れたローマに水を供給していた。水源から13kmは地下を、その後ローマ・ヴェッキアで地上に出てアレクサンドリナ水道、クラウディア水道、マルキア水道の遺構の水道橋(連続アーチ橋)を改築再利用[1]してローマに達し、終端点のクイリナーレの丘のフェリクス水道の泉(モーゼの噴水)まで[1]繋がっていた。
建築家ドメニコ・フォンターナとジョバンニ・フォンターナの設計で造られたフェリクス水道により、6世紀までにローマ水道が破壊されたため水を得ることが難しくなっていた、主に修道院が建てられていたローマ南東部の丘陵地区に再び水を供給することが可能となった。1589年10月には教皇シクストゥス5世の私邸であったVilla Montaltoに給水が開始され、その後1589年には少なくとも27の泉に水が供給されるようになった。
碑文[編集]
フェリクス水道の泉の碑文と日本語意訳。
SIXTUS V PONT MAX PICENUS / AQUAM EX AGRO COLUMNAE / VIA PRAENEST SINISTRORSUM / MULTAR COLLECTIONE VENARUM / DUCTU SINUOSO A RECEPTACULO / MIL XX A CAPITE XXI ADDUXIT / FELICEMQ DE NOMINE ANTE PONT DIXIT
- ピケヌム出身のシクストゥス5世 / この水道をColumnaeから引く / プラエネスト街道の左にある / 幾つかの水源から / 曲がりくねった水管を造り / 水源池から20マイル、泉源からなら21マイルの距離である / 教皇名を得る前の名フェリクスに因んで名付けられる
参考文献[編集]
- ^ a b c d THE SEVEN AQUEDUCTS AND TOR FISCALE (PDF)
関連項目[編集]
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