フェラーリ・F50GT

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フェラーリ・F50GT(伊:effecinquantagiti/エッフェチンクワンタジティ)は、フェラーリ社がFIA GT選手権ル・マン24時間レース等のGT1クラスカテゴリーに投入する為に製作されたフェラーリ・F50をベースに開発されたレーシングカーである。

概要[編集]

それまでBPRグローバル・エンデュランスGTシリーズ(FIA-GT選手権の前身となったGTカーによる耐久レースシリーズ)及びル・マン24時間レースにF40でエントリーしていたフェラーリであったが、1996年シリーズにF40の後継車種として投入すべく、F50GTの開発が進められた。車輌の製作はフェラーリ本社ではなく、シャシーコンストラクター、レーシングカーコンストラクターとして知られるダラーラが行った。

市販車では着脱可能な「デタッチャブルトップ」であったが、GTでは完全なクローズドボディに改められており、ルーフ後端部からテールエンドに至るカウルはなだらかな形状に改められている。フロントスポイラーやサイドステップ、リアディフューザー、リアウイングといった空力パーツは、このマシンの為に新規に設計製作されたものである。エンジンカウルの随所には放熱の為のダクトの開口部が存在する。

シャシーやボディパネルは市販車同様のカーボンファイバーコンポジットモノコックに改められている。これにより、主なシャシー素材として チューブラーフレームを用い、それにカーボン素材を補助材として使用したF40よりも遥かに高いシャシー剛性を実現している。

エンジンは1996年のFIA-GT及びル・マン24時間レースのGT1クラス規定に沿ったチューニングが施されている。レブリミットは約10000rpmと高回転型となった。

この先行試作車は三台が製作された。

突然の計画キャンセル、売却[編集]

しかし、突然1996年シーズン間際になってフェラーリはF50GTの計画を凍結、白紙撤回することになる。

結局、製作された三台の試作車は全て売却という末路をたどることになる。第一号車はアメリカ、第二号車は日本、第三号車はドイツに売却された。売却の際には、文書の条項に「モータースポーツ等競技車輌として使用しない事」という文言が記載された誓約書にサインをした上で、コレクターの手に渡っている。

現在日本には第二号車と第三号車が確認されており、イベントや雑誌の取材によって時折サーキットを走行していた。また「日本一のフェラーリ遣い」と呼ばれたレーシングドライバーの太田哲也も、1998年の事故に見舞われる前にこのマシンのステアリングを握っている。

フェラーリ ロードカータイムライン 1970年代-1990年代<- Previous  Next ->
タイプ 1970年代 1980年代 1990年代
0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
FR V12 365GTB/4 550マラネロ
2+2 365GTC/4 365GT/4・2+2 400 400i 412 456 GT 456M GT
MR V6/V8 ディーノ246 308 308QV 328 348 348G 360モデナ
208 F355
2+2 ディーノGT4 モンディアル
V12 365GT4BB 512BB 512BBi テスタロッサ 512TR F512M
スペチアーレ 288GTO F40 F50