フィリピン独立法
| 他の略称 | タイディングス・マクダフィー法 |
|---|---|
| 正式題名 | フィリピン諸島の完全な独立を規定し、フィリピン諸島の憲法および政府形態の採択を規定し、その他の目的を定める法律 |
| 制定議会 | アメリカ合衆国第73議会 |
| 施行日 | 1934年5月1日 |
| 引用 | |
| 一般法律 | Pub.L. 73–127 |
| Stat. | 48 Stat. 456 |

フィリピン独立法(フィリピンどくりつほう)は、1934年3月24日にアメリカ議会において成立した法律。フィリピン議会では同年5月1日に受諾された。別名、タイディングス・マクダフィー法(Tydings–McDuffie Act)。
概要
[編集]1916年にアメリカ議会で成立したフィリピン自治法、別名「ジョーンズ法(Jones Act)」により、将来的にフィリピンがアメリカ植民地から独立することが約束された。1933年1月17日に(旧)フィリピン独立法、別名「ヘア・ホーズ・カッティング法(Hare-Hawes-Cutting Act)」が制定され、移行期間の10年間を経て、1943年7月4日付けでフィリピンを独立させることが明文化されたが、フィリピン側に不平等な関税条約の側面が強かった。
タイディングス・マクダフィー法では、不平等性を改正し、従前の予定通りにフィリピンを独立させるというもので、これに基づいて、1935年11月15日にフィリピン独立準備政府(フィリピン・コモンウェルス)が発足し、マニュエル・ケソンが大統領に就任した。名称はケソンと交渉に当たったアメリカの上院議員タイディングス(Millard Tydings)とマクダフィー(John McDuffie)に由来する。
その後、1941年に太平洋戦争が勃発し、1942年にマニラが日本によって占領され、ケソンはアメリカに亡命した。そして、ホセ・ラウレルフィリピン共和国第3代大統領が翌1943年10月14日にフィリピン第二共和国を樹立し独立を宣言した。
1945年の日本敗戦に伴い、日本の軍政から解放されると、1946年のマニラ条約で、フィリピン・コモンウェルスの組織を引き継ぎ、戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が再独立した。1946年7月4日のことであった。