フィラデルフィア計画

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実験に使用されたとされる駆逐艦「エルドリッジ

フィラデルフィア計画(フィラデルフィアけいかく、Philadelphia Experiment)は、ペンシルベニア州フィラデルフィア沖合で行われたとされる、アメリカ海軍ステルス実験。公式見解ではあくまで都市伝説となっている。

都市伝説としての「フィラデルフィア計画」[編集]

以下、この節では、都市伝説として流布している「フィラデルフィア計画」の内容について説明する。

実験に至るまで[編集]

この実験は、1931年ニコラ・テスラがチームリーダーとなった海軍のレインボー・プロジェクトの一環であったとする説がある。当時のレーダーは、「船体が発する、特徴ある磁気に反応するシステムである」と考えられていた[1]。そのため、テスラは、「テスラコイル(高周波・高電圧を発生させる変圧器)で船体の磁気を消滅させれば、レーダーに映らない」と考えていたという説がある。(ちなみにテスラの著作や言行録の類にそのような理論も言説も存在しないし、磁気を帯びないアルミがレーダーに探知されることは、早期から知られた事実である以上、この説話自体が故意に実験の様相を歪めようとした何者かの情報操作の疑いが濃厚である。)

その一方、1939年か1940年にアインシュタインとルドルフ・ラーデンブルグが統一場理論の軍事的利用を念頭に置いて、海軍に持ち込んだアイデアを元にした軍事的実験だったとの説もある。その説から見ると、むしろ、テスラはアインシュタインら物理学者たちが算出したデータと理論を元に、その計画に必要な機能を持つ電気装置の設計・開発と、実験現場の指揮を任されていたようである。(テスラ個人の実績から判断して、その役目の方が相応しいと思われる。)

当初の目的はドイツ軍の開発した磁気感応式の機雷や魚雷などに対する対策として電磁場の使用が検討されたことから始まったという。1940年にアインシュタインによって企画書が作成され、参加していた物理学者のロバート・ハリントン・ケントが共振の法則で実験に必要な強度の電磁場を作り出すというアイデアを出したところで方向性が決まり、光を折り曲げるのに必要な電磁効果、力場によって引き起こされる電離現象が光の屈折効果にどのような影響を与えるのかに加えて、それに関わる可視光の共鳴振動現象についても検討され、アスコスティコ湾基地やテイラー・モデル実験池などで基礎実験も行われていたという。

そうして必要な計算結果と基礎データをもとに電磁場発生装置の構想がまとめられ、その要目を受理したテスラによって、実際の実験に必要な機能を持つ装置の設計と製作・設置の指揮が行われたようである。しかし、1943年6月、ドック内で行われた予備実験によって、参加者の人体に深刻な影響が及ぶことを察知したテスラによって、実験の進捗が停滞させられたことに不満を抱いた海軍将校の命令でテスラは実験計画から外されてしまう。

その後、この実験はジョン・フォン・ノイマンに引き継がれ、同年、進水式を終えた駆逐艦「エルドリッジ」で、7月から予備実験が再開され、場所を移しながら実験を継続した結果、責任者となったノイマンにもテスラの危惧が現実的なものであることが明らかとなったものの、実験計画は正規の乗員全員を乗せた初の本格実験を行なう段階へ進む事となる。

実験と結果[編集]

1943年(日付は10月28日と言われているが、証言の辻褄から判断して7月20日から8月20日の間だとも言われており、詳細は不明なままである)ペンシルベニア州フィラデルフィアの海上(実験の規模から見て予備実験も行われたはずであり、その場所はニューアーク造船所内と思われる)に浮かぶ「エルドリッジ」を使って、大規模な実験が秘密裏に行われた。

当時は第二次世界大戦の真っ只中であり、実験目的は当時、アインシュタインが提唱していた最新の物理理論である”統一場理論”の原理に沿って、「デガウサー(消磁機)と呼ばれる脈動式の磁場を発生させる特殊なテスラコイル装置」を使い、「機雷などのドイツ製兵器に搭載される磁気感応センサー、」もしくはレーダーなどの高周波電磁波に対して不可視化する」というものであった。 テスラコイルの高周波によってレーダー波を無効化する為の装置としてエルドリッジの船内には多くの電気実験機器が搭載されており、そのスイッチを入れると脈動性の共振電場によって強力な磁場が船を包み込むように形成され、駆逐艦がレーダーから認められなくなった(その時にレーダー波がエルドリッジへ向けて照射された事を意味する)。まさにその時、実験は成功したかのように見えたが、不可思議な現象が起こる。実験の開始と共に海面から緑色の光が湧き出し、次第にエルドリッジを覆っていったのである。次の瞬間、艦は浮き上がり発光体は幾重にも艦を包み、見る見る姿はぼやけて完全に目の前から消えてしまった。

「実験開始直後に、駆逐艦はレーダーから姿を消す」、ここまでは実験参加者達の予定通りであった。しかし直後にエルドリッジは「レーダーから」どころか物理的に姿を消してしまい、しかも2,500km以上も離れたノーフォークにまで瞬間移動してしまっていたのである。それから数分後、またもや発光体に包まれ艦はもとの場所に瞬間移動した。

再び戻ってきたエルドリッジだが、乗員は次のような惨状に陥っていた。

  • 体が突然燃え上がった
  • 衣服だけが船体に焼き付けられた
  • 甲板に体が溶け込んだ
  • 発火した計器から火が移り、火だるまになった
  • 突然凍り付いた(冷凍化)
  • 半身だけ透明になった
  • 壁の中に吸い込まれた
  • 体が物体にのめり込んだ

また、生き残った乗組員も精神に異常をきたし、エルドリッジの内部は、まさに地獄絵図の如くであった。唯一、影響を受けなかったのは、鉄の隔壁に守られた機械室にいた、一部のエンジニアたちだけだった。

こうして実験自体は成功したが、「行方不明・死亡16人、発狂者6人」という、取り返しのつかない結果になった。このことに恐れおののいた海軍上層部は、この極秘実験を隠蔽したといわれている。

密告の発端とその顛末[編集]

そもそも、この「実験が行われた」という密告は、まず、1955年と1956年にモーリス・ケッチャム・ジェサップ英語版(天文学の分野で博士号を持つ作家)の元に、カルロス・マイケル・アレンデと名乗る人物から届いた奇怪な内容の手紙に端を発する。

最初の手紙には、アインシュタインの統一場理論が実質的に完成していたにもかかわらず、その悪用を恐れたアインシュタイン自身によって未完成のままにされた事と、モーリスの著作であった「UFOの真相」の中の記述(古代人が反重力を知っていたらしいとの言及)に対しての、極めて詳細かつ肯定的な意見が書かれていた。

翌年1月に来た2通目の手紙(なぜかカール・M・アレンの名前で出されていた)には重力制御に関わる技術的構想をもとに行われた対レーダー透明化実験に関する情報と、実験の参加者たちが経験したという奇怪な現象や”後遺症”に関する記述が書き込まれていた。

そしてその数日後の3通目は2通目の補足的な奇怪な内容が書き込まれていた。

そしてその5か月後に4通目の手紙が来た。そこでは実験に関するさらに詳細な情報に加えて、海軍がその実験に関する科学情報やデータをもとに地球製UFOの開発に着手しているだろうという意見が書き込まれていた。

全体を通してみると、それらの手紙は未完成で終わったとされるアインシュタインの「統一場理論」は、実は技術的な応用ができる程度には完成しており、それに則って進められたという「レインボー・プロジェクト」の内容が克明に綴られ、件のカギを握る「統一場理論」の科学情報をもとに海軍が地球製UFOの開発に手を染めているという内容であったという。最初は興味を抱いたモーリスもあまりの破天荒な内容に戸惑いを覚えたまま、日々の忙しさの中で無視することとし、いつしか忘れていった。

だが、1955年の夏頃、アメリカ海軍研究所(ONR)に差出人不明の本(それもモーリスの著作「UFOの真相」)が送られてきたことで事態は急転する。

送られた本の中を調べ、その中の数多くの注釈に興味を抱いたフーバー中佐の呼び出しを受けて、ONRに出頭したモーリスはその本の中に書かれた奇怪かつ、豊富な知識に裏打ちされた注釈に当惑し、フィラデルフィア実験に関するくだりを読んだ時に、アレンデからの手紙を思い出し、”注釈者の一人からのものと思われる手紙”が手元にある事をフーバー中佐に告げ、都合三回出頭し、ヴァーロー社を通じて注釈をも含む特別版を作成することとなり、その一部を受け取った。モーリスは特別版の注釈を調べなおし、再注釈までほどこしたという。

以後のモーリスはアレンデの行方を調査し、その行方が分からずじまいになったと知ると、生まれ故郷に戻って、調査に没頭していたと言われている。その調査がどのような経過と進展をたどったのかは不明だが、彼の調査活動を危険と見なす何者かがいたらしく、1958年には、友人の博物学者のアイヴァン・サンダーソンに、奇怪な何者かから調査資料の引き渡しを執拗に迫られており、それを断り続けていることを語っていたという。

そして、一通りの調査を終えたと思われる1959年の4月20日に海洋学者のマンソン・ヴァレンタイン博士と出会い、「フィラデルフィア計画について大雑把な結論の下書きを用意したから一緒に検討してほしい」と申し入れ、承諾したヴァレンタイン博士と夕食を共にすると約束したにもかかわらず、同日の午後6時30分頃、”謎の自殺”を遂げたとされている。

しかし、フロリダ州デード・カウンティ検視官の報告によると、死亡時のモーリス(薬物治療を受けて体力が低下していた時期であった)は、致死量以上ものアルコールを飲んだ状態であり、とても公園までの数マイルの距離を車で移動してから、排気ガスをホースで車内にひきこみ、一酸化炭素中毒で死亡という手の込んだ自殺の仕方が出来そうもない状態であった為、他殺の疑いは濃厚と言える。(ちなみにヴァレンタイン博士も、”発見者”が故意に見殺しにしたと思しき状況から他殺の線を疑っていた。)

一方、アメリカ海軍は総力をあげてアレンデという人物を捜したが、失敗に終わったという[2]。しかし、後にアレンデが名乗り出たものの、当初実験の存在を否定するもそれを撤回するなど支離滅裂な発言を繰り返したため、アレンデの虚言という可能性が高いと見る向きは多い。(だが、逆に考えると軍事機密の漏洩で追われる身となったアレンデが追跡の手を緩めたいとの思惑から詐話師を装ったのではないか?との指摘もある。)

しかし、ヴァレンタイン博士の証言によれば「モーリスのフィラデルフィア計画に対する調査はかなり徹底しており、デガウサーと呼ばれる海軍開発の磁場発生装置(ある共鳴振動数の脈動によってドック内の船の上と周囲に巨大な磁場を生成する装置)を用いて行われた。と信じていた。さらにこの問題で海軍の将校や科学者とも何度も会議を持った」との事であり、「モーリス自身は実験中に起こった現象の科学的根拠はアインシュタインの統一場理論の中にあるはずだと考えていた」という。さらに「モーリスがその件に絡んで海軍当局からフィラデルフィア実験に似た研究計画への参加を迫られ、拒んでいた」とも証言している。

このヴァレンタイン博士の証言が与えた影響は大きく、海軍に説明を求める問い合わせが殺到したほどで、海軍はそのもみ消し工作に200万ドルを費やしたという。

後日、実験の存在を疑う人々から、「マンハッタン計画に対する欺瞞作戦」とも言われているが、当時、海軍が実用化間もないレーダーを敵が使用した場合に備えての対レーダーステルスを実験するというのは軍事論理的にはありえる話であり、酷似した実験で思いもかけないアクシデントが起こり、多くの犠牲が出た責任追及をおそれると同時に、そのアクシデントの中に巨大な軍事的可能性を孕んだ物理現象があった為、後日の兵器開発の機密保持性を高めるためにその実験そのものが隠蔽されたと指摘する向きもある。

現在でもこの非現実的な軍事実験は、多くのマニアを惹きつけている。

アメリカ海軍による見解とそれに対する異論[編集]

エルドリッジ(DE173)は実在の駆逐艦(指揮官は海軍予備役のチャールズ・R・ハミルトン大尉)である。アメリカ海軍歴史センター、および海軍研究所(ONR)の調査によれば、エルドリッジは8月27日にニューアークで就役して以来、1943年中には一度もフィラデルフィアに寄港していない。この期間を含めたエルドリッジの戦時日報はマイクロフィルムに保存されており、誰でもそのコピーの閲覧を請求できる。また、ノーフォークで、テレポートしてきたエルドリッジを目撃したとされるリバティー船のアンドリュー・フルセス(フュアルセスと書かれた本もあるがここではフルセスに統一する)は、記録によると10月25日にはノーフォークを出港しており、以降1943年中は地中海にあったと言われている。また、同船に乗り組んでいた米海軍予備士官ウィリアム・S・ドッジ少尉は、彼も他の乗組員もノーフォーク在泊中に特に変わったものは見ていないと断定する手紙を寄せている。(もっとも、彼が軍人である以上、最先端の軍事的実験を目撃していた場合、部外者へ漏らしても良いわけがないので、その手紙を実験を否定する論拠とするのは不適切である。)

ところが、後日の調査でエルドリッジの就役日(1943年8月27日)から1943年12月1日までの期間の航海日誌が紛失している上、フルセス号の全航海日誌までが「行政命令による処分」により入手不可能である事が判明しており、もし、海軍側に実験に関わっていた可能性のある船の動静を隠蔽する意図があったとした場合、海軍の公式発表を鵜呑みにできない状況である事が分かる。

なお、フルセスを借り受けていたマトソン・ナヴィゲーション社の記録によれば、問題の時期にカール・M・アレンという、カルロス・マイケル・アレンデと思しき人物が甲板員として(1943年8月16日の朝から1944年1月20日頃まで)在籍していたことが判明している。

さらに公式の記録が疑わしい事を証拠立てる記録が見つかっている。1943年12月14日に艦隊規則に従ってエルドリッジ艦長のハミルトン大尉から提出された、「水上艦船による対潜水艦戦闘」の報告書の中にある北大西洋の戦闘記録と「機関士日誌」である。

まず戦闘記録の内容は公式に海軍が発表した記録(1943年9月初めから12月末まで、バミューダ島近傍で試験航海を行っていた)を完全に否定しており、(11月12日に)船団UGS22の船を送り届けた帰りの航海のエルドリッジが、船団UGS23を護衛しながら西進中の1943年11月20日の午後1時30分に、敵潜水艦へ7発の爆雷を投下していたと報告されており、その作戦遂行位置は記載された経緯度から判断して北アフリカのカサブランカの沖合であった。もちろんバミューダーからあまりにも離れた距離である。

機関士日誌に記録された同艦の位置も戦闘記録の内容を裏付けており、これではエルドリッジに関する海軍の公式発表の信頼性は、”極めて低い”と言わざるを得ない。

これらの記録から判明した事実は、エルドリッジ号は11月2日付でブルックリンから出港し、(10月25日の出航直後にハリケーンによって隊列を乱されて)船団から落伍していたGUS22船団所属の船を狩り集めていた。(なお、その船団の最後列にフルセス号もいた。)

このように常識的な範囲の軍務記録すら隠されていたことから判断して、当時のエルドリッジに関する情報が相当な範囲で隠蔽されている疑惑がある。

加えて、実験とエルドリッジ号の関係について注意すべきことがある。当時、戦時中のアメリカでは、軍事的計画用の実験船を確保するのは容易ではなかったという事実である。

当時は強大なドイツ帝国との戦線を維持するために膨大な輸送船団が動員され、それを護衛する駆逐艦は方々で必要とされており、建造された艦は就役すれば即座に戦争計画の中に組み込まれて、(どんなダメージがもたらされるかわからない)軍事的実験の為に貸与してもらうというのは不可能な情勢だった。

そこで艦船局に掛け合って進水から就役までの短期間内に船を流用するという方法が採用されていた。(この計画の実験艦に関しては、ウィリアム・S・パーソンズ大佐が掛け合ったという。)

もしフィラデルフィア実験にエルドリッジが駆り出されていたとしたら、同種の方法で実験に貸与されていた可能性が高く、実験の実施時期も7月25日の進水式(アメリカ海軍の記録)から8月27日の就役前までのわずか一ヶ月ということになり、予定的にはかなり厳しいものとなる。そしてその点について、奇妙な記録が見つかっている。

公式ではエルドリッジは1951年にアメリカ海軍から除籍され、ギリシャ海軍に払い下げられて駆逐艦レオン英語版と改称、1992年には除籍、1999年に解体のため売却されているが、アメリカ側の記録で7月25日のエルドリッジ号の進水が、ギリシャ海軍側の記録では6月25日となっており、一ヶ月ものずれがある。

そして、7月末から8月冒頭頃(1943年の最初のハリケーン直後)のバミューダに停泊していた艦の艦長によれば、エルドリッジが信号機も、挨拶もなしに入港し、すぐに出航するという隠密行動を取っていたとの証言がある。

さらにジャック・ヴァレは、元海軍の乗組員で、当時、フィラデルフィアの現場に居合わせたというエドワード・ダッジョンという人物を探し出し、消磁実験が行われたのは1943年の6月と7月のフィラデルフィアだったとの証言を引き出している。

ダッジョン自身の証言では、彼が乗っていたのはエングストロム(DE-50)で、1943年当時、他には問題のエルドリッジとドブラー(DE-48)、それにドネフ(DE-49)の計4隻の艦艇が共に行動していたとの事である。(なお、公式記録を見た限りではエングストロム、ドブラー、ドネフの進水式もエルドリッジとほぼ同じ1942年7月24日となっている。加えて、ダッジョン自身はあくまで一兵士であり、極秘実験の全容を知る立場では無く、実験に参加していたとしても自分の見たものをどれだけ理解していたかは不明である。)

そこから類推すると、実験は少なくとも6月末からから8月上旬前後の時期に行われていた事になり、アメリカ海軍の発表する進水日前に秘匿性の高い(予備)実験に参加していたと考えた場合、アメリカ側の発表する記録が事実と違う理由も(機密保護の観点から)説明がつき、さらにギリシャ側の記録が正確で、6月に進水したエルドリッジが、進水までの二か月もの間に実験に駆り出されていたならば、ダッジョンの証言とも辻褄は合うのである。

記録ではエルドリッジは8月17日(タイミングから見て予備実験後)にニューアークを出て、8月18日にブルックリンに到着して8月27日の就役を待っていたという。フルセスは8月16日にノーフォークを離れてUGS22の船団と共に一旦北上してから東へ進路を変えてアフリカへ向かっていた。

行動から見てフルセスは17日の朝にブルックリンへ向かうべくデラウェア湾から出てきたエルドリッジと遭遇する機会はあったので、その前日よりフルセスに乗船していたと思しきアレンデがそこで実験の最終段階となるものを見た可能性はある。

さらに重要なのがエルドリッジ自身の排水量の変化である。アメリカで進水時の記録と比較すると、ギリシャ海軍に引き渡された時点では660トンも軽くなっており、その間に膨大な機材が取り外されていた(もしくは進水時点で大量の機材がエルドリッジに搭載されていた)ことがわかる。エルドリッジの基準排水量が1200トン程度である事を考えると大変な重量であり、これについての説明は未だになされていない。(アメリカ海軍の中小規模艦艇に対する設計思想から判断して、取り外された機材が魚雷発射管や大砲の類だった可能性は低い。)


一方、ノーフォークを管轄する第5海軍管区の将兵の中には、海軍工廠で行われていた様々な実験がこの都市伝説の元となったのではないかと考えている者もいる。また現在に至るまで信じられている説としては、「消磁」に関する実験が誤解されたのではないか、という説がある。この消磁とは、艦艇が持つ磁気が地磁気を乱すのを探知して爆発する「磁気機雷」から船体を守るため、艦船に電線を巻き付け電流を流し、電磁石の原理で艦艇が持つ磁気を打ち消す作業のことである。消磁をきちんと行えば、磁気機雷から艦艇は「見えなく」なる。ただし、人間の目やレーダー、ソナーなどには通常通り映る(詳しくは「船体消磁」の項参照)。

別の説としては、1950年代に駆逐艦ティンマーマン英語版(Timmerman)で行われた、通常の400Hzの発電機ではなく、コイルを小型化できる高周波数(1,000Hz)の発電機を搭載する実験が、この都市伝説の元となったというものもある。この実験では高周波発電機から放電現象などが起こったものの、乗組員に実験による影響はなかった。

なお、モーリスの運命に深くかかわった本は1956年に、複数の筆跡からなる様々な手書きの注釈が書き込んである、モーリス・ジェサップが出版したUFOに関する本(「UFOの真相」のペーパーバック版)の事であり、それは海軍研究所にマニラ封筒で郵送されてきたという。

個人的に興味を持った研究所の研究員で、海兵隊航空計画将校のダリル・L・リッター少佐から本を受け取った同じONR内の特別計画将校だったジョージ・W・フーバー中佐がこの本をジェサップに見せたところ、ジェサップはこの本の高度な知識に裏打ちされた特徴的な筆跡のコメントと、フィラデルフィア実験について触れた部分のくだりから、それを書きこんだ人物の一人と、以前フィラデルフィア計画について手紙を彼のところに送ってきた人物は同一人物だろうと推断したという。

関連ドキュメンタリー作品[編集]

関連映画[編集]

都市伝説としての同実験をモチーフに、サスペンスやアクション、ラブストーリー等の要素を取り入れたSF映画。
実験によって時空の狭間に停止してしまった駆逐艦エルドリッジから脱出した乗員デビッドとジム。艦から飛び降りた2名は40年後(1984年)のネバダ砂漠にタイムスリップしてしまった。だがエルドリッジに積まれた磁場装置が時空の狭間で稼働したままになっていることで地球の時空が崩壊しつつあり、デビッドは地球の危機を救うため艦に向かう・・というストーリー。

脚注[編集]

  1. ^ 実際のレーダーの作動原理とは異なっており、それは当時から判明していたことである。
  2. ^ Research Report - File No.0415フィラデルフィアの怪実験を追え!特命リサーチ200X公式サイト

関連項目[編集]

外部リンク[編集]