フアナ・デ・ポルトゥガル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
フアナ・デ・ポルトゥガル
Juana de Portugal
カスティーリャ王妃
D. Joana de Portugal, Rainha de Castela - The Portuguese Genealogy (Genealogia dos Reis de Portugal).png
在位 1455年5月21日 - 1474年12月11日
別称号 レオン王妃
ポルトガル王女

出生 1439年3月20日
PortugueseFlag1385.svg ポルトガル王国アルマダ
死去 (1475-12-12) 1475年12月12日(36歳没)
Flag of Castile.svg カスティーリャ王国マドリード
埋葬 Flag of Castile.svg カスティーリャ王国マドリード、サン・フランシスコ・エル・グランデ教会
配偶者 カスティーリャエンリケ4世
子女 フアナ
私生児:ペドロ、アンドレ
家名 アヴィス家
父親 ポルトガルドゥアルテ1世
母親 レオノール・デ・アラゴン
宗教 ローマ・カトリック
テンプレートを表示

フアナ・デ・ポルトゥガル(Juana de Portugal)またはフアナ・デ・アビス・イ・アラゴン(Juana de Avis y Aragón, 1439年3月20日 - 1475年12月12日)は、カスティーリャエンリケ4世の2番目の妃。父はポルトガルドゥアルテ1世、母は王妃レオノール・デ・アラゴンで、父の死後に生まれた末子である。ポルトガル名はジョアナ(Joana)。兄にアフォンソ5世、姉に神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の皇后レオノールがおり、またエンリケ4世とは互いに母方の従兄妹に当たる。

生涯[編集]

エンリケ4世は即位以前の1440年に、自身にもフアナにも従姉に当たる、アラゴンフアン2世ナバラ女王ブランカ1世の娘ブランカと結婚していたが、一切性交渉を行わないまま、1453年にローマ教皇ニコラウス5世の承認を得た上で離婚した。

即位後の1455年にエンリケ4世は新たな妃としてフアナを迎えた。1462年に王女フアナが生まれた。しかしこの娘は王妃フアナが愛人の初代アルブルケルケ公ベルトラン・デ・ラ・クエバとの間にもうけたのではないかと疑われ、「ベルトランの娘」を意味するフアナ・ラ・ベルトラネーハのあだ名で呼ばれるようになった。

フアナは他にも多くの愛人を作り、夫エンリケ4世は彼女を宮廷から追放した。カスティーリャ王ペドロ1世の曾孫であるペドロ・デ・カスティーリャ・イ・フォンセカとの間に彼女は2人の私生児をもうけた。そのためエンリケ4世はフアナを離縁し、その後フアナはセゴビア修道院に入った。

フアナは1475年にマドリードで死去した。