ファランヘ党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
スペインの旗 スペイン政党
ファランヘ党
Falange Española Tradicionalista
Yoke and Arrows.svg
くびきと矢
総統 フランシスコ・フランコ
成立年月日 1933年10月29日
解散年月日 1977年[1]
解散理由 民主化により消滅[1]
本部所在地 スペインの旗 スペインマドリード
政治的思想・立場 ファランジズム
国家主義[2]
国家サンディカリスム
ファシズム[1][3][4]
国家至上主義[4]
機関紙 Patria Sindicalista
シンボル Bandera FE JONS.svg
党旗
テンプレートを表示

ファランヘ党スペイン語: Falange Española Tradicionalista[3])は、1930年代以降の複数の政治運動や政党の名称で、最も有名なのはスペインファシスト政党である。

「ファランヘ」(スペイン語: Falange)とは古代の陣形ファランクス(phalanx)のことで、団結の象徴である(フーリエの「ファランジュ」とも同源)。ファランヘ党の思想や運動はファランジズム(Falangism)とも呼ばれる。

1933年に誕生して現在まで続く政党を「旧ファランヘ党」、1937年にフランシスコ・フランコ王党派と合体させた政党を「新ファランヘ党」(国民運動)とも呼ぶ。

概要[編集]

スペインの「旧ファランヘ党」は、1933年プリモ・デ・リベラの息子であるホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラによって創設された。翌年、国家サンディカリスム政党の「攻撃的国家サンディカリスト同盟」(Juntas de Ofensiva Nacional-Sindicalista、JONS)と合併し勢力を伸ばしたが、党員の大部分は21歳以下の学生だった。1936年人民戦線政府によって党幹部が逮捕された。同年、5月にスペイン内戦が始まると反乱軍側に協力し、このためホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラは獄中で処刑された。

1937年、フランシスコ・フランコは王党派とファランヘ党を合体させ、「新ファランヘ党」の党首に就任した。1939年の党大会でスペインで唯一の政党となることが決議され、1975年のフランコの死まで形式的には独裁制を支えたが、やがて政権はフランコの個人独裁政権へと移行し、旧ファランヘ党のメンバーは1950年代から政権から完全に外され、非主流派となった。

スペインが民主化されると、主流派である新ファランヘは中道政党「民主中道連合」と保守政党国民同盟」を結成した。非主流派である旧ファランヘは現在でも全国組織として活動し、ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラの思想を信奉し、フランコは評価していない。

思想[編集]

ファランジズムは、当初は一定の側面でイタリアのファシズムに似ていた。それはボリシェヴィズムや他の形態の社会主義を嫌悪し、民主主義を軽蔑した。しかしファランヘの国家サンディカリスムは、統合主義アクション・フランセーズの影響を受け、ファシストのコーポラティズムの理念とは大きく異なる政治理念であった。それは1931年3月14日にスペインで Ramiro Ledesma Ramos が、彼の定期刊行物の La Conquista del Estado でマニフェストを発行し、最初に策定された。国家サンディカリスムは、ナショナリズムと、修正サンディカリズムによる支配的な労働組合の the Confederación Nacional del Trabajo (CNT)のアナルコ・サンディカリスムの間の相違の橋渡しとなることを試みた。他方ではファランヘは、ファシズムから複数の要素を借用した統合主義の傾向を持ったカトリックを抱き込んだ。

脚注[編集]

[ヘルプ]

参考文献[編集]

  • スタンリ-G・ペイン/小箕俊介訳『ファランヘ党 スペイン・ファシズムの歴史』 れんが書房新社、1982年8月。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]