ピート・インカビリア

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ピート・インカビリア
Pete Incaviglia
1986年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ペブルビーチ[1]
生年月日 (1964-04-02) 1964年4月2日(60歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1985年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB / 1986年4月8日
NPB / 1995年4月1日
最終出場 MLB / 1998年9月27日
NPB / 1995年8月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

ピーター・ジョセフ・インカビリアPeter Joseph "Pete" Incaviglia , 1964年4月2日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

オクラホマ州立大学時代はアメリカ大学野球史上最高の長距離打者の1人として活躍した。NCAAの通算本塁打100本・シーズン本塁打48本・シーズン143打点の新記録を樹立し、これは2013年現在でも破られていない記録である。2007年アメリカ大学野球殿堂入りを果たした。

現役時代[編集]

1985年MLBドラフト1巡目(全体8位)で、モントリオール・エクスポズから指名されるも、マイナーでのプレーを拒否し、又、寒いカナダでのプレーに難色を示し、入団を拒否する構えであったが、秋になって南部のテキサス・レンジャーズ(監督はボビー・バレンタイン)への移籍を前提にエクスポズと契約。早速2選手との交換でレンジャーズへ移籍、翌1986年の開幕戦で、マイナーリーグの経験なしに4番打者として起用された。

ルーキーイヤーから30本塁打を打ち、新人王こそ33本塁打を放ったホセ・カンセコアスレチックス)に譲ったが、期待に違わぬ活躍を見せた。レンジャーズでは5年連続20本塁打以上を記録。以来、一度もマイナーリーグ降格を経験しないまま1991年デトロイト・タイガース1992年ヒューストン・アストロズ1993年フィラデルフィア・フィリーズと渡り歩いた。

なお、エクスポズと契約してただちに移籍した一件を受け、MLBでは「ドラフトで獲得した選手は契約して1年が経過するまではトレードに出せない」という規則が追加された(2015年に「ドラフト同年のワールドシリーズ終了まで」に緩和された)。これは俗にピート・インカビリア・ルールと呼ばれているが、日本でもすでに荒川事件を受けて同様の規則が制定されていた(その後「1年目シーズン開幕前の移籍禁止」に緩和されたが、これが江川事件の際に利用されることとなった)。

1995年千葉ロッテマリーンズの監督に就任したバレンタインに誘われテスト入団[2]背番号22。同時にロッテ入りしたフリオ・フランコとともに打線の軸として期待された。しかし日本の野球になじめず打率1割台と低迷、三振が多く活躍できなかった。日米のストライクゾーンの違い、環境の違い、投手の攻め方の差にカルチャーショックを受けたのが原因だった。シーズン中には二軍落ちを経験。マイナー経験のないエリートメジャーリーガーが日本で初の二軍暮らしを経験することとなった。

不本意な成績で1年限りでロッテを退団したが、翌1996年に古巣フィリーズにマイナー契約で復帰。自身初のマイナー生活を経てメジャー復帰し16本塁打を放つ。その後、ボルチモア・オリオールズニューヨーク・ヤンキースなどでプレーした。

1999年リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)で、2000年以降は独立リーグでプレーし、2002年に現役を引退[3]

現役引退後[編集]

2007年12月20日にMLBが発表した資料の中に、選手時代薬物を使用した選手として名前が出ていた。但し、ロッテに在籍していた時に使用していたかは不明。

2008年から2010年まで、独立リーグのアメリカン・アソシエーションに加盟しているグランドプレーリー・エアーホッグス英語版で監督を務め、その後も独立リーグの監督を歴任。

2021年からは、この年からフロンティアリーグに加盟したトリシティ・バレーキャッツ英語版の監督に就任[4]2023年まで3シーズン務めた。

2024年からは、アメリカン・アソシエーションクリバーン・レイルローダーズ英語版の監督を務める[5]

トラブル[編集]

気性が荒く、死球や審判の判定に激昂する場面が見られ、1995年の対近鉄戦ではストライク、ボールの判定を巡って桃井審判に暴言を吐き退場、同年の8月22日の近鉄戦(日本生命球場)では入来智から頭部付近に死球後、マウンドに走っていき、入来に暴行を働く乱闘騒ぎを起こして退場と2回退場処分を受けている。また退場処分は受けていないが、同年6月28日の西武戦では平野謙が満塁でライト前へ落ちる飛球を放ち、スタートの遅れた三塁走者インカビリアがホーム突入(本塁フォースアウトでライトゴロ)時に捕手の伊東勤に手を伸ばして落球させて二塁走者を生還させたことで伊東が激昂、インカビリアも応戦したことから両チーム乱闘に発展する騒ぎを起こしている(結局、守備妨害で得点なし)。これらのシーンは同年のプロ野球珍プレー・好プレー大賞で取り上げられた。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1986 TEX 153 606 540 82 135 21 2 30 250 88 3 2 0 7 55 2 4 185 9 .250 .320 .463 .783
1987 139 563 509 85 138 26 4 27 253 80 9 3 0 5 48 1 1 168 8 .271 .332 .497 .829
1988 116 467 418 59 104 19 3 22 195 54 6 4 0 3 39 3 7 153 6 .249 .321 .467 .788
1989 133 495 453 48 107 27 4 21 205 81 5 7 0 4 32 0 6 136 12 .236 .293 .453 .745
1990 153 587 529 59 123 27 0 24 222 85 3 4 0 4 45 5 9 146 18 .233 .302 .420 .721
1991 DET 97 377 337 38 72 12 1 11 119 38 1 3 1 2 36 0 1 92 6 .214 .290 .353 .643
1992 HOU 113 379 349 31 93 22 1 11 150 44 2 2 0 2 25 2 3 99 6 .266 .319 .430 .749
1993 PHI 116 402 368 60 101 16 3 24 195 89 1 1 0 7 21 1 6 82 9 .274 .318 .530 .848
1994 80 263 244 28 56 10 1 13 107 32 1 0 0 2 16 3 1 71 3 .230 .278 .439 .716
1995 ロッテ 71 270 243 25 44 5 0 10 79 31 1 2 0 0 23 0 4 74 10 .181 .263 .325 .588
1996 PHI 99 302 269 33 63 7 2 16 122 42 2 0 0 0 30 2 3 82 6 .234 .318 .454 .771
BAL 12 35 33 4 10 2 0 2 18 8 0 0 0 1 0 0 1 7 0 .303 .314 .545 .860
'96計 111 337 302 37 73 9 2 18 140 50 2 0 0 1 30 2 4 89 6 .242 .318 .464 .781
1997 48 153 138 18 34 4 0 5 53 12 0 0 0 1 11 2 3 43 1 .246 .314 .384 .698
NYY 5 16 16 1 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .250 .250 .250 .500
'97計 53 169 154 19 38 4 0 5 57 12 0 0 0 1 11 2 3 46 1 .247 .308 .370 .678
1998 DET 7 15 14 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .071 .133 .071 .205
HOU 13 17 16 0 2 1 0 0 3 2 0 0 0 0 1 0 0 4 1 .125 .176 .188 .364
'98計 20 32 30 0 3 1 0 0 4 2 0 0 0 0 2 0 0 10 1 .100 .156 .133 .290
MLB:12年 1284 4677 4233 546 1043 194 21 206 1897 655 33 26 1 38 360 21 45 1277 85 .246 .310 .448 .758
NPB:1年 71 270 243 25 44 5 0 10 79 31 1 2 0 0 23 0 4 74 10 .181 .263 .325 .588
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 5(1986年)
  • 29(1986年 - 1991年)
  • 8(1991年)
  • 28(1992年)
  • 22(1993年 - 1995年)
  • 55(1996年)
  • 9(1996年)
  • 52(1997年)
  • 26(1997年)
  • 29(1997年)
  • 20(1998年)
  • 27(1998年)
  • 22(1998年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、72ページ
  2. ^ 【球談徒然】広岡GMエリート入団させメジャー野手への「羨望」払拭
  3. ^ https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=incavi001pet
  4. ^ ValleyCats Announce Pete Incaviglia as Field Manager”. MiLB.com (2021年1月28日). 2021年5月12日閲覧。
  5. ^ PETE INCAVIGLIA NAMED MANAGER OF CLEBURNE RAILROADERS”. Cleburne Railroaders (2023年12月8日). 2024年3月8日閲覧。

外部リンク[編集]