ピサ大聖堂
ピサ大聖堂 Piazza del Duomo, Pisa (イタリア語) | |
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基本情報 | |
所在地 |
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座標 | 北緯43度43分23秒 東経10度23分47.10秒 / 北緯43.72306度 東経10.3964167度座標: 北緯43度43分23秒 東経10度23分47.10秒 / 北緯43.72306度 東経10.3964167度 |
宗教 | カトリック教会 |
県 | ピサ県 |
州 | トスカーナ州 |
教会的現況 | 公開 |
ウェブサイト | http://www.opapisa.it/en/home-page.html |
建設 | |
建築家 | ブスケット(Buschetto 設計、指導)、ライナールド(Rainaldo) |
形式 | 司教座聖堂(大聖堂) |
様式 | ロマネスク建築 |
着工 | 1063-1118年, 1261-72年 |
完成 | 1272年 |
資材 | レンガ、石、大理石 |
ピサ大聖堂(ぴさだいせいどう)は、イタリア・トスカーナ州、ピサに位置する「ピサのドゥオモ広場」に建てられた、ロマネスク時代を代表する建築物の一つである。ドゥオモ広場はピサのアルノ川の河畔に位置する広場で、1987年にユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されている[1]。広場には大聖堂の他に、洗礼堂や墓所回廊、そして傾きで有名な鐘塔(通称:ピサの斜塔)があり、これら複数の建築物が集合体として全体的に統一された外観を呈していることから、通称「奇跡の広場」(Campo dei Miracoli)とも呼ばれている[2]。
大聖堂の建設作業には多くの芸術家と建築家が携わり、1063年から1118年および1261年から1272年と2回に分けて長期にわたり建設された。大聖堂の建築には様々な建築技術や装飾手法が施されており、大聖堂を象徴する十字架型平面形は、合理主義の傑作とも言われている[3]。
歴史[編集]
11世紀、イタリア中部のトスカーナ地方が市民による自治都市の時代になると、当時交通の要所に位置した公益共和国の都市であるピサは、ルッカ、フィレンツェとともに繁栄し、トスカーナ地方で勢力を誇った[4]。同時に、この時代の各地にはキリスト教信仰の中心地が確立し、その富と権勢の大きさを表す手段としてピサ大聖堂が作られるようになった[5]。
大聖堂は1064年、都市国家であるピサがイスラム軍と地中海貿易の覇権をアラブ勢力と争い大勝した「パレルモ沖海戦」を記念して起工された[6]。ギリシア人ブスケット(Buscheto)の設計、指導の下に着工が行われ、12世紀にライナールド(Rainaldo)がファサードを完成させた。大聖堂の建設にかかった期間は1064年から1118年と約半世紀にもわたるとされる。それから34年後の1152年には洗礼堂が、さらにその19年後の1173年には鐘塔が、大聖堂の周りに建設され始めた。それぞれの建築物は14世紀後半に完成され、現在のドゥオモ広場が生まれた[7]。
特徴[編集]
建築様式:ロマネスク建築[編集]
ロマネスク建築といいつつ、当時のイタリアの建築物はローマ時代の建築様式を取り入れたりもしている。イタリアには、ローマ時代の建築の廃墟があちこちに残っており、そこから建築資材と様式上のヒントを得ていた。またビザンティン文化の影響を受けて中世の建築様式のきっかけをも生み出し、様々な時代の建築様式が融合しているといえる[5]。
建築[編集]
- バシリカ式(十字架型平面形)
- ドーム(中央の塔)
- レンガと石で造られたドームは、フィレンツェの洗礼堂と同時期の1090年に建立された。十字架の交差部分は、当初、上まで外側に囲まれた塔であったが、現在は外壁がなく、石造のドームがむき出しになっている。これはフィレンツェに代表される14世紀トスカーナ地方の教会様式を取り入れたものである。ドームを取り巻くアーケードは、1383年に完成したものである[8]。

- 洗礼堂
- 洗礼堂は白大理石で造られ、直径約35m、高さは54.85mである。1152年にディオティサルヴィの設計によって建設が始まった。完成までに200年かかったとされる。建物の下部は列柱とアーチによるロマネスク様式が採用され、上部は尖塔を有するゴシック様式となっているが、これは建築中にニコラ・ピサーノとジョヴァンニ・ピサーノの親子によってゴシック様式が取り入れられた為である。長い反響音を持つことで知られており、職員による声楽デモンストレーションが1時間に2回行われている。
建築技術[編集]
- 石造ヴォールト
- 列柱廊
- アーチと柱

装飾[編集]
- 大理石パネル
- アーケード
- 外側アーケードのアーチと柱は、ロマネスク様式の古典的ファサードとして発達した、装飾的な手法である。
- 大理石の帯
- 妻壁
- 身廊
- 身廊の両脇には、宗教的な絵画や像が飾られ、聖人に捧げる祭室などが設けられている側廊が付属する。このような配置は、石造ヴォールトと身廊の壁を支える列柱によって可能となった[8]。
- 後陣
脚注[編集]
- ^ “デジタル大辞泉の解説”. コトバンク. 2018年9月30日閲覧。
- ^ a b c 『建築と都市の美学 イタリアⅢ優美 ロマネスク・ゴシック(初版)』 23頁
- ^ a b c 『空から見る驚異の歴史シリーズ 世界の大聖堂・寺院・モスク』 10頁
- ^ 『チチェローネⅠ 建築編 〜イタリア美術作品享受の案内〜』 112頁、
『建築と都市の美学 イタリアⅢ優美 ロマネスク・ゴシック(初版)』 22頁 - ^ a b c d e f g h i 『世界名建築物の謎 世界中から選ばれた50の名建築物をひとつひとつ解読』 24頁
- ^ 『空から見る驚異のシリーズ 世界の大聖堂・寺院・モスク』 10頁
- ^ 『建築と都市の美術 イタリアⅢ優美 ロマネスク・ゴシック(初版)』 23頁
- ^ a b 『世界名建築物の謎 世界中から選ばれた50の名建築物をひとつひとつ解読』 25頁
- ^ 『カラー版 イタリア・ロマネスクへの旅』 98頁
関連項目[編集]
参考文献[編集]
- 『建築と都市の美学 イタリアIII 優美 ロマネスク・ゴシック(初版)』 建築資料研究社、大槻武志編、陣内秀信監修、写真・喜多章、2000.12
- 『空から見る驚異の歴史シリーズ 世界の大聖堂・寺院・モスク』 アンリ=スティルラン(Henri Strierlin)、森山隆訳、創元社、2006.12
- 『チチェローネI 建築編 〜イタリア美術作品享受の案内〜』 ヤーコプ・ブルクハルト、瀧内槙雄訳、中央公論美術出版、2004.12
- 『世界名建築物の謎 世界中から選ばれた50の名建築物をひとつひとつ解読』 ニール・スティーヴンスン、海後礼子訳、ゆまに書房(東京)、2002.03
- 『カラー版 イタリア・ロマネスクへの旅』 池田健二、中央公論新社〈中公新書〉、2009.4