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ピエール・ブール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ピエール・ブール(Pierre Boulle, 1912年2月21日 - 1994年1月30日)は、フランスの小説家。全名はピエール=フランソワ=マリー=ルイ・ブール(Pierre-François-Marie-Louis Boulle)。

プロフィール

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アヴィニョンで生まれる。エンジニアとして、1936年から1939年まで英領マラヤにあるゴム園の監督者として働いた。

1939年に第二次世界大戦は始まるとフランス領インドシナ(仏印)のサイゴンでフランス軍に志願。しかし、ナチス・ドイツのフランス本国占領を受けてフランスが降伏。この間ブールは装甲車小隊の指揮官としてタイ国境に派遣される。1941年に入るとシンガポールに逃れてドイツとの抗戦を訴える自由フランスに加わっている。

現地でイギリス軍の基地で勤務し、連絡将校(少尉)となった。特別訓練を受けたのち、ピーター・ジョン・ルールという偽名で、イギリスの偽造旅券を携えてドイツの同盟国であった日本に対抗するため、橋の爆破、反乱扇動等の仏領インドシナでの任務に赴いた。しかし1942年、到着早々、ヴィシー政権側に付いていた仏印軍に捕えられる。その後反逆容疑で裁かれ、終身労働刑を言い渡された。しかし2年後、サイゴンからの脱出に成功。カルカッタでイギリスの特殊作戦執行部(SOE)の一部隊であるフォース136に合流した。

戦後、レジオンドヌール勲章、軍功章およびレジスタンスのメダルを受章した。戦後しばらくの間はマレーシアで農園の仕事を続けたが、その後パリに戻り、獄中日誌や小説を書き始めた。代表作で映画化もされた『戦場にかける橋』は仏印での経験を基に書かれたといわれている。

1994年1月30日、パリで死去した。81歳没。

主な作品

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脚注

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  1. ↑ 「世界文學『クワイ河の橋』ピエール・プール」『新潮』、新潮社、1954年、141頁、NDLJP:10231673、2025年5月15日閲覧。「九月號(9月号)/ 世界文學(pp. 141–143)/ 世界文學ピエール·ブール佛「クワイ河の橋」日本軍の捕虜になつたイギリス部隊…」
  2. ↑ ピエール・ブール 著、三輪秀彦 訳「あとがき」『報道写真家』(初版)早川書房、1969年7月31日(原著1967年)、198–199頁。NDLJP:12577407。「(訳者)あとがき(pp. 197–)」
  3. 1 2 「ブール Boulle, Pierre」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』ブリタニカ・ジャパン。コトバンクより2025年6月11日閲覧。
  4. ↑ 「E=mc2」『デジタル大辞泉プラス』小学館。コトバンクより2025年7月24日閲覧。
  5. ↑ ピエール・ブール 著、御油丹人 訳『月への挑戦』(初版)二見書房、1966年3月12日(原著1964年)。doi:10.11501/1698244。「(表紙)『月への挑戦』 | (p. 1 タイトル)『カナシマ博士の月の庭園』 | (p. 3 解説)本書『カナシマ博士の月の庭園』も、…」
  6. ↑ ピエール・ブール 著、御油丹人 訳『カナシマ博士の月の庭園』(初版)二見書房、1965年(原著1964年)。
  7. ↑ 「月への挑戦」『デジタル大辞泉プラス』小学館。コトバンクより2025年7月1日閲覧。
  8. ↑ ピエール・ブール 著、三輪秀彦 訳「あとがき」『報道写真家』(初版)早川書房、1969年7月31日(原著1967年)、198頁。NDLJP:12577407。「(訳者)あとがき(pp. 197–)」
  9. ↑ ピエール・ブール 著、三輪秀彦 訳『報道写真家』(初版)早川書房、1969年7月31日(原著1967年)。NDLJP:12577407。
  10. ↑ ピエール・ブール 著、岡村孝一 訳『ジャングルの耳』(初版)早川書房〈Hayakawa Novels〉、1977年7月31日(原著1972年)。doi:10.11501/12577521。2026年4月9日閲覧。

参考文献

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  • Lucille Frackman Becker “Pierre Boulle” (1996年)

外部リンク

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