ピエール・タージョン

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ピエール・タージョン

フェイスオフに立つタージョンとマリオ・ルミュー
生誕 1969年12月28日(44歳)
カナダケベック州
身長
体重
6 ft 1 in (1.85 m)
199 lb (90 kg; 14 st 3 lb)
ポジション センター
シュート 左利き
NHLチーム バッファロー・セイバーズ
ニューヨーク・アイランダーズ
モントリオール・カナディアンズ
セントルイス・ブルース
ダラス・スターズ
コロラド・アバランチ
NHLドラフト 全体1位指名(1987年)
バッファロー・セイバーズ
現役期間 1987年 – 2007年

ピエール・タージョン(Pierre Turgeon 1969年12月28日 - )は、カナダケベック州出身の元NHL選手。ポジションはセンター。弟も元NHL選手のシルヴァン・タージョン

経歴[編集]

バッファロー・セイバーズ[編集]

1987年のNHLドラフトで、バッファロー・セイバーズに全体1位で指名されたタージョンは、早くからチームに影響を及ぼした。

ルーキーシーズンの1987-1988シーズン、タージョンはいきなり76試合に出場、14ゴール、28アシスト、とまずまずの成績を記録。セイバーズの3年ぶりのプレーオフ進出に貢献した。以後、プレーオフには1990-1991シーズンまで4年連続で出場する。

1988-1989シーズン、タージョンは大きく成長を遂げ、34ゴール、54アシストを記録。早くもファンの支持を獲得した。

1989-1990シーズン、タージョンは更に成績を伸ばし、40ゴール、66アシストを叩き出し、同年のオールスターに初選出。名実ともにスターとなった。

1990-1991シーズン、32ゴール、47アシストと、少し成績を落としたものの、それでもタージョンはセイバーズにとってなくてはならない重要な戦力であった。

しかし、1991-1992シーズン開幕直後、タージョンは、ブノア・ホーグウーヴェ・クルップデイブ・マクレーンとともに、パット・ラフォンティーヌランディ・ウッドランディ・ヒラーとのトレードで、ニューヨーク・アイランダーズに移籍した。

ニューヨーク・アイランダーズ[編集]

アイランダーズでも移籍直後から活躍し、1991-1992シーズンには69試合で38ゴール、49アシストを記録。

翌1992-1993シーズン、タージョンはキャリアハイとなる58ゴール、74アシストを記録。チームをプレーオフカンファレンスチャンピオンシップ決勝に導く原動力となった。

プレーオフファーストラウンド、ワシントン・キャピタルズとの第6戦は、ある事件で有名である。

ナッソー・コロシアムで行われた第6戦、シリーズを決定づけるゴールを決めたタージョンは、リンクの上で喜びを爆発させた。 しかし、それを見たキャピタルズのデール・ハンターに背後からボディーチェック(体当たりのこと。原則としてパックを持っていない選手にはしてはいけない)を受け、肩を負傷してしまった。

この負傷がもとでタージョンは次のピッツバーグ・ペンギンズとのシリーズを欠場。ハンターもNHL記録となる21試合の出場停止処分を受けた。

ペンギンズはスタンレー・カップを2連覇し、3連覇を狙う強豪であったが、アイランダーズはこれを撃破。モントリオール・カナディアンズとのカンファレンス・チャンピオンシップに駒を進めた。

カナディアンス戦でタージョンは復帰したものの、5試合の激戦(2試合は延長線までもつれ込んだ)の末、アイランダーズは敗退。アイランダーズを撃破したカナディアンズはその後、スタンレー・カップを手にした。

1994-1995シーズン途中、チーム再建の一環として、タージョンはウラジミール・マラーホフとともに、カーク・ミュラーマチュー・ダンデノクレイグ・ダービーとのトレードで、プレーオフで敗れたモントリオール・カナディアンズに移籍した。

モントリオール・カナディアンズ[編集]

1995年12月、カナディアンズのキャプテン、マイク・キーンコロラド・アバランチに放出され、後任のキャプテンとしてタージョンが指名された。

キャプテン就任1年目の1995-1996シーズン、タージョンは36ゴール、58アシストの好成績を記録し、オールスターに選出された。

しかし、1996-1997シーズン、タージョンはロリー・フィッツパトリッククレイグ・コンロイとともに、マレー・バロンシェイン・コーソンとのトレードで、セントルイス・ブルースに移籍した。

セントルイス・ブルース[編集]

ブルースでタージョンは5シーズンを過ごし、安定した成績を残し続けた。 5シーズンの間にタージョンは、ブレット・ハルクリス・プロンガーアル・マクルニスホッケーの殿堂入りを果たしているグラント・フューアなど、多の名選手とプレーした。

キャリア晩年[編集]

2000-2001シーズン終了後にFAとなったタージョンは、2001年の12月にダラス・スターズに入団。多少成績を落としたものの安定して出場を続けた。

2004年から2005年のNHLロックアウトでNHLのシーズン自体が中止になった2004-2005シーズンの間、タージョンは休息を取り、2005-2006シーズンにはコロラド・アバランチに入団。

2005年の11月8日にはNHL史上34人目となる500ゴールを達成。

2006-2007シーズンはキャリア最低となる17試合、3ゴール4アシストに終わり、シーズン終了後の2007年9月5日、引退を表明。現役を引退した。

引退後[編集]

妻と4人の子供とともにデンバーの近郊で暮らし、現在はホッケースクールの講師として働いている。

2010年12月、妻を交通事故で亡くした。

エピソード[編集]

  • セイバーズの株主で、馬主でもあるジョージ・W・ストローブリッジ・ジュニアは、タージョンの名誉をたたえ、自分の持ち馬の一頭にタージョン(Tergeon)と名付けた。

馬のタージョンはフランスでいくつかの条件戦に勝っただけで、大成には至らなかった が、引退後に種牡馬となり、多くの優秀な産駒を輩出している

  • 少年時代は野球もプレーしており、1982年にはリトルリーグのワールドシリーズのカナダ代表に選出されている。

主な記録とタイトル[編集]

外部リンク[編集]