ピエール・ガマラ

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ピエール・ガマラ
Pierre Gamarra 1953, Paris.jpg
パリ, 1953年
誕生 ピエール・アルベール・ガマラ
1919年7月10日
フランストゥールーズ
死没 (2009-05-20) 2009年5月20日(満89歳没)
フランスアルジャントゥイユ
職業 作家
国籍 フランスの旗 フランス
ジャンル 小説寓話随筆、劇作品、伝記
代表作 火の家(1948)、学校の先生(1955)、私のかばん
主な受賞歴 新人賞、シャルル・ヴェイロン賞、SGDLグランド賞
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ピエール・ガマラ: Pierre Gamarra, 1919年7月10日 - 2009年5月20日)は、フランス作家トゥールーズ生まれ。アルジャントゥイユで逝去。

生涯[編集]

バスクラングドックの血を引く。ピエール・ガマラは、教員ジャーナリストとしての活動の傍ら、小説家詩人批評家として作品を残した。同時に、エッセー戯曲の著者でもある。青少年向けの物語や戯曲、は、学校で盛んに教材として用いられている。 トゥールーズドイツから解放された後、ガマラは本屋「ラ・ルネサンス」という一画にある、創作に対する古代の抵抗というレジスタンスグループに加入した[1]。ガマラは、1944年に加入したフランス共産党の闘士との抵抗的な関わりを続けた。1945年から1950年まで、ガマラは日刊紙「南西部の愛国者」[2]の記者であった[3]

彼は1948年ローザンヌにおいて、小説「火の家」で国際シャルル・ヴェイロン賞を受賞した。選考委員会には、ヴェルコール[4]、ルイ・ギリュー、アンドレ・シャンソンがいた。

1951年、彼は「ヨーロッパ」の文学雑誌の作成責任者になるよう、ジャン・カスー、アンドレ・シャンソン、アラゴンに頼まれた。1974年、彼はピエール・アブラハムの後を継いで責任者に就任した。彼は労働総同盟による週刊の文芸批評誌「労働者の生活」を執筆した。

ピエール・ガマラ,トゥールーズ, 1945年

そのうえ彼は、フランス作家会の副会長になった。フランス作家会は、ジャン・ブロ議長と、タルヌ=エ=ガロンヌ県にある科学・文学研究・芸術の学校の名誉教員で構成されていた。

ピエール・ガマラは子供向けのフランス散文およびの作者の中でも特に秀でている。特に彼の寓話とポエム(かの「私のランドセル」を含む)は、フランスの小学生たちによく知られており、教師やフランス国語の教科書によく用いられている。その理由は、彼の独特な覚えやすい童謡風スタイルにある。常に自分のポエムを通して子供たちに言葉で遊ぶ楽しさを伝えようとしたのはピエール・ガマラの偉業である。

彼の児童文学作品には小説もあった。1955年に世に出て以来、彼の殆どの作品を出版したラ・ファランドール出版社発行の「お守り」や、「カルパスのバラ」などを発表した。彼の若者向けの小説「ブールレットのメンバー」や「キャプテンの春」は、「千の物語」コレクションで発表され、すぐに熱心な読者を獲得した。読者らは、恋愛や冒険が混ざりこんだ現実に根ざした彼の物語を高く評価した。

加えて、ほとんどの小説作品全体を通して、ピエール・ガマラは色彩の表現方法や、「ゴンクール賞の暗殺者と春の首領」のような緊迫感ある雰囲気の作り方を身につけていった。1955年には、彼の小説作品のなかで最も有名であり、南ラングドックの世俗教師シモン・セルメの伝記である「校長」が著されることとなる。彼はまた、トゥールーズを舞台とした小説3部作「トゥールーズの謎」「黄金と血」「72本のひまわり」の作者でもある。
1973年、彼の小説「真夜中の雄鶏」がエドワール・ロジェローによってテレビ番組向けに脚色された。フランス3で3話に渡って放送されたその番組は、ナジャク付近でのひと夏を巡る話であり、クロード・ブロッセが主役を演じた。
ピエール・ガマラは1985年、文学協会から「パリンプセストの流れ」に対して大賞を贈られた。
2001年に、ステファン・リーチがトリオ・ポリコードで演奏したミュージカルと共に、俳優のマイケル・ロンズデールは、スペインをテーマとするガマラが作詩したポエムを朗読した。
モントーバン市にある学校、その他、アルジャントゥイユ市やアンドレスト[5]市の図書館にピエール・ガマラの名前がつけられた。

人々は彼をこのように言った「フランス語のオック語の作家」だと。彼の作品は非常に数が多い。半世紀以上の間、彼は更に、雑誌「ヨーロッパ」において、自分で作った、「書く機械」というある文学的コラムを書き続けた。そこで彼はフランス語と、外国語の出版物の書評をし、それらはあまり「文学的に有名でない国」の文学の発見と理解の本質に関して正確だった。それはその雑誌「ヨーロッパ」によってはっきりと定義された。

作品一覧[編集]

演劇[編集]
1956年、慶応大学の先生と学生が「幸福を売る店」(ピエール・ガマラ)を上演。
  • 『幸福を売る店(笑劇一幕)』1956年、初演は東京で行われた。
共同作品への関与[編集]
  • 『オレンジのねこがいっぱい』長編作品、1968年にドイツと日本のみで刊行。
  • 『La Hache』[6] ショートストーリー 、(編集 : 山田あきさだ、横山まさや) 建帛社出版社, 1961年
ピエール・ガマラとの会談[編集]
  • 2006年12月27日、東北大学フランス文学研究室の雑誌に掲載。

脚注[編集]

  1. ^ ミシェル・マグラン in La Dépêche du Midi, 2007年11月15日
  2. ^ Le Patriote du sud-ouest
  3. ^ 参照:ピエール・ガマラ略歴, in Dictionnaire biographique Mouvement ouvrier Mouvement social de 1940 à mai 1968 vol. 5, ベルナルド・エパン著。
  4. ^ 『海の沈黙・星への歩み』小説の著作者
  5. ^ オート=ピレネー県
  6. ^ 斧。