ピエロー (プロレスラー)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はムニョス第二姓(母方の)はサンチェスです。
ピエロー
Pierroth
プロフィール
リングネーム ピエロー[1]
コマンダンテ・ピエロー[1]
ポデル・メキシカ[1]
ポデル・ボリクア[1]
ポデル・インディオ[1]
トロ・ブランコ[1]
ドクトル・ケント[1]
本名 アーサー・ムニョス・サンチェス[1]
身長 180cm[1]
体重 105kg[1]
誕生日 ????????
出身地 メキシコの旗メキシコ[1]
トレーナー ディアブロ・ベラスコ[1]
エル・イホ・デル・グラディエーター[1]
デビュー 1994年[2]
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アーサー・ムニョス・サンチェス英語: Arthur Muñoz Sánchez)は、メキシコ男性プロレスラー覆面レスラー)。

現在はCMLLにて、ピエロー英語: Pierroth)のリングネームで活動中。

息子ルーシュミスティコ (2代目)ドラゴン・リー (2代目)がいる。

来歴[編集]

プロレスラーになるため、ディアブロ・ベラスコが主宰するディアブロ・ベラスコ・ジムにてトレーニングを開始し、1994年覆面レスラードクトル・ケントDr. Kent)のリングネームでプロレスデビューを果たす。その後、リングネームをトロ・ブランコToro Blanco)と改めて活動し、CMLL参戦時おいては、ポデル・インディオPoder Indio)の名義で活動。

2001年6月、ピエロー・ジュニア率いるロス・ボリクアスLos Boricuas)の一員となり、ポデル・ボリクアPoder Boricua)に改名。9月28日、アニベルサリオ 68にて、エル・マルクス・ジュニア、ヴィオレンシアとのトリオで、ナショナルトリオ王座を保持するミステル・ニエブラ & オリンピコ & サファリ組と対戦したが、敗戦し王座奪取とはならなかった。

2002年1月、ロス・ボリクアスから脱退。これを機にかつてのボリクアスのチームメイト、ヴェネーノ & ヴィオレンシアと抗争を繰り広げる。7月よりポデル・メキシカPoder Mexica)と改名し、同月14日、ドミンゴス・アレナ・メヒコにて、ミステル・メヒコとのタッグで、ヴェネーノ & ヴィオレンシア組とコントラ・マッチで対戦。この試合に敗戦し、メヒコは髪の毛を刈られ、自身は身に着けていたマスクを剥がされて正体を明かした。

その後はリング上から離れ、長らくセミリタイア状態が続いていたが、2013年5月よりリングネームをコマンダンテ・ピエローComandante Pierroth)と改めて、CMLLに復帰を果たし、ピエロシート、ペケーニョ・ヴィオレンシア、ラ・コマンダンテセウシスらと共にコマンドー・カリベーノComando Caribeno)を結成した。その後、チームにミステリオッソ・ジュニア、エル・サグラドを引き入れ、CMLLの前座戦線を賑わせる。

2016年3月18日、オメナへ・ア・ドス・レジェンダスにて、マキシモ・セクシー vs ルーシュの試合で、入場の際にルーシュの替え玉として登場し、そのままルーシュのセコンドにつくという行動に出る。同月25日、アレナ・メヒコ金曜定期戦にて、ルーシュ、ラ・マスカラとのトリオで入場。試合前にマスカラからロス・インゴベルナブレスLos Ingobernables)のTシャツを差し出されると、Tシャツに袖を通して、正式にインゴベルナブレスのメンバーとして加入を果たした。

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Pierroth (CMLL)”. Luchawiki. 2016年8月27日閲覧。
  2. ^ Pierroth”. CAGEMATCH. 2016年8月27日閲覧。