ビリケン

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第二代ビリケン像、通天閣 5階 展望台にあった(1979~2012)
いまは三代目となっている

ビリケン (Billiken) は、尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像。

日本では大阪通天閣 5階(展望台)にあるビリケン像が有名で、「ビリケンさん」の愛称で親しまれ、特に足を掻いてあげるとご利益があるとされている。

概要[編集]

元々は1908年アメリカ合衆国の芸術家フローレンス・プレッツ(Florence Pretz)(詳細不詳)が制作した像で、彼女が夢の中で見た神秘的な人物の姿がモデルになっているという。これが「幸福の神様」として世界中に流行した。

通説では、名前の由来は、当時のアメリカ合衆国大統領ウィリアム・タフトの愛称である[注釈 1]とされるが、近年の研究では、カナダの詩人ブリス・カーマン英語版による1896年の詩集"More Songs from Vagabondia"所収の"Mr. Moon: A Song Of The Little People"の登場人物から、プリッツが名付けたと考えられている[1][2][3]

当時にあっては、顔だちはアジア人、足を突き出しての座り方はアフリカ人がモデルとされ、「足の裏をかいて笑えば願いがかなう」とされた[4]

現在、アメリカではセントルイス大学マスコットになっており、大学に属するすべてのスポーツチームが "ビリケンズ" を名乗っている[注釈 2]

日本には1909年明治42年)頃に伝わり、1911年(明治44年)に大阪の繊維会社・神田屋田村商店(現:田村駒株式会社)が商標登録を行い、販売促進用品や商品キャラクターとして使用した[注釈 3]

ビリケンは、田村商店の商標という枠を超えて人気を博した。当時の雑誌などに掲載された広告では、「世界的福神」として紹介され、5寸5分の石膏製のビリケン像に一体1円85銭という値付けがされていた[5]

【初代ビリケン像】 1912年大正元年)、大阪の新世界に遊園地・ルナパークがオープン。ルナパークの「ビリケン堂」に当時流行していたビリケン像が置かれて、名物となった。しかし、1923年(大正11年)にルナパークが閉鎖され、それ以降ビリケン像は行方不明となってしまっている。

神戸市松尾稲荷神社のビリケン像

しかし、ビリケンは日本全国に広まり、商家や花街では縁起物として流行した。

神戸市兵庫区の松尾稲荷神社には、大正初期に作られたビリケン像が祀られている。このビリケン像は木製で、右手に打ち出の小槌、左手に宝珠の珠を持って米俵の上に腰掛けており、従来の大黒天と混淆した和洋折衷の像で、当時は「ジャパンビリケン」と呼ばれ人気を博した。現在、松尾稲荷神社では本来の招福の御利益に加え、病気平癒、学業向上の御利益で信仰を集めている。

「ビリケン宰相」といわれた寺内正毅

また、大正期にあっては、 第18代内閣総理大臣の寺内正毅が、尖ったはげ頭をしていてしかも目が吊り上がっていたため、ビリケンにそっくりだといわれた。護憲運動がさかんであった当時にあって、寺内内閣は政党員からの入閣がない超然内閣であったが、マスメディアはこれを「非立憲(ヒリッケン)内閣」と称した。寺内はこのことよりしばしば「ビリケン宰相」と揶揄されたが、寺内自身は、この愛称を気に入っていたらしく、ビリケン像を3体も購入していたといわれている[6]

このように、日本においてビリケンは近畿地方を中心に、戦前・戦後を通じて福をよぶ縁起物として愛された。

【第二代目ビリケン像】 1979年、通天閣に「通天閣ふれあい広場」をつくる際、かつて新世界の名物であったビリケン像を復活させることとなった。このとき1949年(昭和24年)に田村駒株式会社が制作していたビリケン像が通天閣に貸し出され、盛大な催しが開かれた[4]。また、この像をモデルにして伊丹市在住の安藤新平の木彫によって戦前のビリケン像が復元され、以来通天閣の名物となった。これが2代目ビリケン像と呼ばれるもので、高さ55センチメートル、幅36センチメートル、奥行き41センチメートルの大きさである[7]。ビリケンはこうして通天閣の公式キャラクターの座を占めるようになった。なお、「第二代目」として愛されてきたビリケン像は、三代目への代替わり直前である2012年3月には、32年間なでられ続けたその足裏が4センチメートルほど窪んでいた[7]

1996年には阪本順治監督の映画『ビリケン』が公開されている[注釈 4]。通天閣を舞台とした人情劇である本作は「新世界三部作」の3作目とされている。

【第三代目ビリケン像】 2012年(平成24)5月、通天閣100周年のリニューアルにあわせビリケン像が新調された。これがビリケン像の3代目である。この像はクスノキの一木彫りで、2代目よりも一まわり大きい。また、3代目ビリケンの像内には金のビリケン(「ビリ金さん」)が納められ、腹ごもりの像となっている[4][7]

なお、第二代ビリケン像は引退したあと、通天閣初のオフィシャルバンドである「イーゼル芸術工房|通天交響楽団(イーゼル芸術工房)」のメンバーとなり、その拠点である大阪府柏原市にバンドメンバーとともに「居住」し、全国各地にバンドマンとして赴いて「元気と希望とラッキーを届ける活動」を行っている。

2014年7月から9月までTBS系列で放映されたアニメ「普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。」で、千葉県流山市利根運河沿い(作中では架空の町、流川市の流川運河)にあるビリケン像が、福の神として紹介されている。

日本各地のビリケン像[編集]

(現存しないもの)

  • 大正か昭和の頃(年代不詳)に大分県別府市の「ビリケンホテル」(ダンスホール兼業、場所不明)の前に安置されたが、1944年(昭和19年)に「ビリケンホテル」は閉店となり、それ以降ビリケン像はいまもって行方不明となっている。

(現存するもの)

  • 千葉県流山市、利根運河の土手。1913年(大正2年)、当時の利根運河社長・森田繁男が作ってここに安置。 詳細記事
  • 神戸市兵庫区、松尾稲荷神社境内。大正初期(年代不詳)に神戸市元町にあった洋食店(店名不明)の前に置かれたが、のちに松尾稲荷神社境内に移されて奉納され、現在に至る。大黒天風のデザインの特徴がある。(上記参照)
  • 大阪市浪速区、新世界の串カツ店「壱番」の店頭。 写真
  • 大阪府池田市栄本町、ポケットパーク内。 2008年(平成20年)、池田市が市制70周年を記念して建てた。池田市(当時は摂津国池田村)は初代田村駒治郎(1866〜1931)の出身地だという由緒がある(上記参照)。
  • 神戸市中央区、三ノ宮
  • 小田急箱根湯本駅のプラットホーム。

ビリケンにちなむもの[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ ウィリアムの愛称「ビリー」に、「小さい」を意味する接尾語「-ken」を加えたものが「ビリケン」の由来とされてきた。
  2. ^ セントルイス大学は、米国ミズーリ州セントルイスに所在するイエズス会系の私立大学である。
  3. ^ 田村駒の創業者・田村駒治郎はビリケンを会社の福の神として崇め、商品の向上発展と得意先の商売繁盛を祈念して「ビリケン」を使用。田村駒株式会社では現在も大阪本社、東京支社それぞれにビリケン像が安置されている。ビリケンさんの歴史
  4. ^ 杉本哲太が「びりけん」役、マドンナ役は山口智子であった。泉谷しげるもマッサージ師役で出演している。ビリケンさんの歴史

出典[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]