ビッグ・ジョー・ターナー

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ビッグ・ジョー・ターナー
Big Joe Turner
Big Joe in Hamburg 1973.jpg
基本情報
出生名 Joseph Vernon Turner
別名 ボス・オブ・ザ・ブルース
生誕 (1911-05-18) 1911年5月18日
アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティ
死没 (1985-11-24) 1985年11月24日(74歳没)
ジャンル ジャンプ・ブルース
ロックンロール
活動期間 1920年代 - 1980年代
レーベル アトランティック・レコード
ナショナル・レコード
ヴォカリオン・レコード
共同作業者 ピート・ジョンソン
カウント・ベイシー

ビッグ・ジョー・ターナー(Big Joe Turner、1911年5月18日 - 1985年11月24日)は、アメリカのブルース・シンガー。身長182cm、体重136キロという巨漢を活かして叫ぶ様に歌う、シャウト・ブルースというジャンルのブルースを作り上げた一人でもある。

彼の代表作、「シェイク・ラトル・アンド・ロール」はロックンロールの定番曲としてビル・ヘイリーを始め多数のアーティストにカバーされた。

来歴[編集]

デビュー前[編集]

ミズーリ州カンザスシティ生まれ。4歳の時に父親が電車事故で亡くなる。教会の聖歌隊に所属し、音楽に興味を持ち始める。

14歳の時に学校を中退し、カンザスシティのクラブで歌手として働き始める。やがて彼は「歌うバーテンダー」として知られ始める。ブギウギ・ピアノの名手、ピート・ジョンソンと出会い、タッグを組む。

1938年、二人の活動に注目したジョン・ハモンドが、ターナーとジョンソンをニューヨークに呼び、「フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング (From Spirituals to Swing)」に出演させた。そこで彼らは「ロール・エム・ピート」を演奏し、大きな反響を生んだ。

プロの道へ[編集]

1939年にはヴォカリオン・レコードと契約し、「チェリー・レッド」や「ウィー・ベイビー・ブルース」等を録音する。また、ビリー・ホリデイも出ていたニューヨークの「カフェ・ソサエティ」の常連出演者になる等、プロの道を歩み始める。

1940年デッカ・レコードに移籍、「パイニー・ブラウン・ブルース」を録音する。ジョンソンとだけでなく、ウィリー・'ザ・ライオン'・スミスやフレディ・スラックス・トリオとも一緒にレコーディングした。

1945年に、ナショナル・レコードに移籍。「マイ・ギャルズ・ア・ジョッキー」「アラウンド・ザ・クロック」等を録音。また、アラディン・レコードから「ワイノニー・ハリス」とカップリングで「バトル・オブ・ザ・ブルース」が発売された。

アトランティック・レコードとの出会い[編集]

1951年、カウント・ベイシー・オーケストラとアポロ・シアターで演奏している所をネスヒ、アーメット両名のアーティガン兄弟に注目され、アトランティック・レコードと契約を結ぶ。そこで彼は数々のヒット[1]を飛ばす。

ヴァン・'ピアノ・マン'・ウォールズ・アンド・ヒズ・オーケストラとタッグを組み、アトランティックでのデビュー・シングル、「チェインズ・オブ・ラヴ」をリリース。R&Bチャートの2位というスマッシュ・ヒットを記録する。

1954年、チャールズ・カルホーン作の「シェイク・ラトル・アンド・ロール」がR&Bチャートの1位を記録する。黒人だけでなく、10代の白人にも受け入れられる大ヒットとなった。すぐさまビル・ヘイリーがカバーし[2]7位を記録する。

デビュー当時からスウィングしてブルースを歌うスタイルは一貫して変えていない。そしてそれはアトランティックにおいても同じだった。その後も「フリップ・フロップ・アンド・フライ」「ハイド・アンド・シーク」等をヒットさせている。1956年発売の「コリーニ・コリーナ」では、ポップチャートの41位を記録する。

しかし、1958年発売の「ジャンプ・フォー・ジョイ」を境に、ターナーはヒットが出せなくなる。

その後[編集]

ターナーは、アトランティックでの絶頂期を終えた後、1960年から1970年代までジャズ歌手に転向する。1966年、当時活動の拠点をアメリカ以外の国に移していたヘイリーが、ターナーをメキシコでスターにするために手助けもしている。

1983年、ターナーはブルースの殿堂入りを果たす。その2年後の1985年11月24日、心臓発作で死去する。74歳だった。

その2年後、ロックの殿堂のパフォーマー部門に認定される。

シングル・ディスコグラフィー[編集]

アトランティック・レコード在籍時のみ記す。

発売年 A面 B面 ポップ・チャート[3] R&Bチャート[4]
1951年 Chains Of Love After My Laughter Came Tears - 2位
1951年 The Chill Is On Bump, Miss Suzie - 3位
1952年 Sweet Sixteen I'll Never Stop Loving You - 3位
1952年 Don't You Cry Poor Lover's Blues - 5位
1953年 Honey Hush Crawdad Hole - 1位
1954年 TV Mama Oke-She-Moke-She-Pop - 6位
1954年 Shake, Rattle And Roll You Know I Love You - 1位
1954年 Well, All Right Married Woman - 9位
1955年 Flip, Flop And Fly Ti-Ri-Lee - 2位
1955年 Hide And Seek Midnight Cannonball - 3位
1956年 The Chicken And The Hawk Morning, Noon And Night[5] - 7位
1956年 Corrine, Corrina Boogie Woogie Country Girl 41位 2位
1956年 Lipstick, Powder And Paint Rock A While[6] - 8位
1957年 Midnight Special Feeling Happy - -
1957年 Red Sails In The Sunset After A While - -
1957年 Love Roller Coaster A World Of Trouble - 12位
1957年 I Need A Girl Trouble In Mind - -
1957年 Teenage Letter Wee Baby Blues - -
1958年 (I'm Gonna) Jump For Joy Blues In The Night - 15位
1959年 Got You On My Mind Love, Oh, Careless Love - -
1959年 Honey Hush (re-recording) Tomorrow Night 53位 -
1960年 Chains Of Love (re-recording) My Little Honeydripper[7] - -
1960年 My Reason For Living Sweet Sue - -

脚注[編集]

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  1. ^ ポップ・チャートでのヒットは数える程しか無いが、R&Bチャートでは常に上位にチャートインし、ヒットシンガーの仲間入りを果たしている。
  2. ^ ただし、原曲の内容がとても如何わしい物であるため、ヘイリーのヴァージョンは内容を薄めている。ヘイリー以後にカバーしたアーティストのヴァージョンは、ヘイリーの方を参考にしている。
  3. ^ http://www.musicvf.com/Joe+Turner.art
  4. ^ http://www.musicvf.com/Joe+Turner.art
  5. ^ B面でもあるこの曲も8位を記録している。
  6. ^ B面でありながら12位を記録。
  7. ^ B面でもあるこの曲も、ポップ・チャート102位を記録。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]