ビアンコーネ福島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ビアンコーネ福島
原語表記 ビアンコーネ福島
クラブカラー  
創設年 1999年
所属リーグ 福島県社会人サッカーリーグ
所属ディビジョン 3部
ホームタウン 福島県郡山市
代表者 藤倉昌幸
監督 中川正樹
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
ビアンコーネ福島スポーツクラブ
略称 ビアンコーネ
国籍 日本の旗 日本
格付 特定非営利活動法人
専門分野 教育系 (スポーツ)
設立日 2007年03月12日 (法人認証日)
代表者 藤倉昌幸
活動地域 福島県
主な事業 サッカーを中心としたスポーツ振興
郵便番号 963-8834
事務所 福島県郡山市図景1-11-6
外部リンク http://viancone.org/
テンプレートを表示

ビアンコーネ福島(ビアンコーネふくしま、Viancone)は、福島県郡山市をホームタウンとするサッカークラブである。

概要[編集]

1998年に福島県にある福島県立郡山北工業高等学校サッカー部OBを中心に「ノーザンピークス郡山」を結成。結成当初のチーム名「ノーザンピークス」は郡山北工業高校の校風にある「北嶺」という言葉に由来する。2003年には第83回天皇杯本大会にも出場(1回戦で横浜FCに1-8で敗れる)した。

2006年4月18日、将来のJリーグ入りを目指すクラブとして株式会社郡山フットボールクラブ(代表取締役:佐藤暁)と提携。最速で2009年のJ2入りを目指していた。また、Jリーグ入りを目指すためにチーム名を公募(ノーザンピークスの名称は商標権が取られているためグッズ販売に支障がある)し、2007年よりチーム名をビアンコーネ福島に変更した。名称は白虎隊の「白」を表すイタリア語「ビアンコ」をもじった造語で、応募総数132通の中から選ばれた。同時に福島FCの流れをくむジュニアチーム「F.C.Godere!」と合併[1]NPO法人ビアンコーネ福島スポーツクラブを設立する。

2008年、株式会社郡山フットボールクラブが経営破綻し、クラブ運営から撤退。トップチームは郡山北工OB会を運営母体としたアマチュアクラブに転換[2]、同年2月7日に新体制が発表された。

歴史[編集]

戦績[編集]

年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 備考
2001 福島県1部 2位
2002 優勝
2003 東北2部南 3位 14 10 4 2 4 19 18 1
2004 優勝 24 10 8 0 2 29 13 16
2005 3位 19 10 6 1 3 36 25 11
2006 3位 27 12 9 0 3 44 15 29
2007 優勝 40 14 13 1 0 89 8 81 入替戦勝利
2008 東北1部 7位 9 14 3 0 11 17 39 -22 入替戦敗退
2009 東北2部南 3位 22 14 7 1 6 29 23 6
2010 7位 14 14 4 2 8 21 31 -10
2011 福島県1部 3位 9 5 3 0 2 7 7 0
2012 3位 17 10 5 2 3 20 17 3
2013 3位 15 10 4 3 3 20 14 11
2014 4位 7 10 5 2 3 23 14 9
2015 4位 16 10 5 1 4 12 9 3
2016 2位 18 10 5 3 2 10 7 3
2017 6位 2 10 0 2 8 6 30 -24
2018 福島県2部 4位 14 10 4 2 4 16 20 -4
2019 福島県3部西 3位 9 8 2 3 3 16 16 0
2020 優勝 12 4 4 0 0 9 2 7
2021 優勝 9 4 3 0 1 24 4 20
2022 福島県2部 3位 16 10 5 1 4 24 14 10
2023 福島県3部 4位 20 12 6 2 4 26 18 8

天皇杯[編集]

  • 出場1回
年月日 時期 会場 スコア 対戦相手 観客
83 2003年11月30日 1回戦 Jヴィレッジ 1-8 横浜FC (J2) 1,712

タイトル[編集]

リーグ戦[編集]

オフィシャルスポンサー[編集]

協賛企業[編集]

  • エフコム (郡山市) (情報サービス業) ホームページの製作・運用に協力
  • 内藤工業所・エヌケーテック (いずれも郡山市)

歴代所属選手[編集]

脚注[編集]

  1. ^ クラブプロフィール”. web.archive.org (2007年10月16日). 2022年2月4日閲覧。
  2. ^ About us”. NPO法人ビアンコーネ福島スポーツクラブ (2016年10月14日). 2022年2月4日閲覧。

外部リンク[編集]