ヒルデ・ブルック
ヒルデ・ブルック Hilde Bruch |
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生誕 | ヒルデ・ブルック Hilde Bruch 1904年3月11日 ![]() |
死没 | 1984年12月15日(80歳没)![]() |
居住 | ![]() ![]() ![]() |
国籍 | ![]() |
研究分野 | 内科学 精神医学 精神分析学 精神療法 |
研究機関 | フライブルク大学 キール大学 ライプツィヒ大学 ジョンズ・ホプキンス大学 コロンビア大学 ベイラー医科大学 |
出身校 | フライブルク大学 |
主な業績 | 摂食障害、拒食症の研究 |
影響を 受けた人物 |
アドルフ・マイヤー フリーダ・フロム=ライヒマン ハリー・スタック・サリヴァン セオドア・リッツ |
主な受賞歴 | ベイラー医科大学学長賞 (1978年) ウィリアム・A・ショーンフェルド賞(1978年) ゴールデン・ドクター(1978年) マウント・エアリー・ゴールドメダル賞(1979年) ノーラン・D・C・ルイス賞(1980年) アメリカ精神医学会設立者賞(1981年) アグネス・パーセル・マクギャヴィン賞(1981年) ジョセフ・B・ゴールドバーガー賞(1981年) |
プロジェクト:人物伝 |
ヒルデ・ブルック、ヒルデ・ブルッフ(英: Hilde Bruch、ドイツ語: Hilde Bruch、イディッシュ語: הילדע ברוך、ヘブライ語: הילדה ברוך、1904年3月11日 – 1984年12月15日)は、ドイツ生まれのアメリカ合衆国の医学者、精神科医、精神分析家。元ベイラー医科大学精神科教授。摂食障害と病的肥満に関する先駆的研究で知られる[1]。
1973年、彼女は画期的研究成果である『摂食障害—肥満、拒食症、その中にいる人』を出版した。本書は数十年間に渡る拒食症などの摂食障害の観察と治療を基礎にしている。1978年には一般読者を対象として摂食障害の要旨を記した『思春期やせ症の謎—ゴールデンケージ』を出版した[2]。他の著作は『あなたの子どもをこわがるな』(1952)、『過体重の重要性』(1957。日本語訳未公刊)[3]、『心理療法を学ぶ』(1974) などがある[4]。終の著作となった『やせ症との対話』(1988) は彼女の死後に出版された。
目次
人物[編集]
幼年時代[編集]
ヒルデ・ブルックはオランダとの国境にほど近いライン川下流にあるドイツ・デュルケン(Dülken)の小村に生まれた。彼女はユダヤ人であるヒルシュ・ブルッフ(Hirsch Bruch, イディッシュ語: הירש ברוך, 1865 Brüggen – 1920 Dülken)及びアデーレ・ラート(Adele Rath, イディッシュ語: אַדעלע ראַט, 1876 Kempen (リンブルフ語: Kempe) – 1943 New York)のもとに7人兄弟の3番目の子として生まれ、他に4人の兄弟と2人の姉妹がいた。ブルックは叔父から女性が一人で生きていくことの困難さと意味、そして医学への勧めを受けてフライブルク大学で医学を学び、1929年に医学博士課程を修了した。
自由を求めて[編集]
卒業後ブルックはキール大学で生理学的研究の訓練を受け、その後ライプツィヒ大学で小児科医としての専門的訓練を受けた。1932年にはデュッセルドルフにほど近いラーティンゲンの私立小児科病院へと移って勤務した。しかし、当時台頭してきたナチスの影響によりユダヤ人コミュニティの状態は悪化の一途を辿っており、1933年イギリスへと渡った。ブルックはロンドンの児童クリニックに一年間勤めたのち、1934年アメリカ・ニューヨークへと移住し、コロンビア長老教会の小児病院に職を得た。その地でラスティン・マッキントッシュ教授に才能を認められ、小児内分泌クリニックの開設を命じられている。
ブルックは当地での研究において、それまで器質的な下垂体の機能不全と考えられていた特異な児童肥満と性腺未発達を示すフレーリッヒ症候群について、家族関係と心理学的要因に関する論文を発表した。これは精神障害や生理的障害と家族の関係を指摘した初期の重要な研究の一つとなった[5]。
精神分析家として[編集]
ブルックはそれまでの遺伝的・生理的な見方に固執せず、情緒的・家族的要因が疾患の形成に大きく作用していることに早くから気がついた一人だった。自らの考えに従い、1941年ボルチモアにあるジョンズ・ホプキンス大学で精神医学の専門的訓練を受けた[6]。ブルックは当時の精神医学のリーダーの一人であったアドルフ・マイヤー教授の指導を受けている。大学には児童精神医学者のレオ・カナーも所属しており、児童の研究の仕事を共に行った。また、フリーダ・フロム=ライヒマンからは精神分析の訓練を受けた。
ワシントン・ボルティモア精神分析研究所には他にもハリー・スタック・サリヴァン、ルイス・ヒル、セオドア・リッツらの傑出した精神科医が所属していた。アドルフ・マイヤーを含め、彼らは統合失調症患者の分析を真剣に行う数少ない人達であり、こうした患者の分析経験から、ブルックは神経症患者からは得られない、人間の根源的部分に関わる深い洞察を得ることとなった。また、この経験から難しい患者を治療するために求められる並外れた忍耐力も培われた。ブルックは1943年にニューヨークへと戻り、精神分析の個人開業をした。この頃からコロンビア大学に併設されているニューヨーク州立精神医学研究所において20年間精神分析を教えた[6]。1954年には臨床准教授、1959年には臨床教授に任命されている。ブルックは摂食障害の家族背景を研究し続けたが、両親を責めるのではなく、理解しようと努め続けた。
摂食障害治療への情熱[編集]
コロンビア大学引退後、1964年にブルックはヒューストンにあるベイラー医科大学精神科教授に就任した。1973年にブルックは『摂食障害—肥満、拒食症、その中にいる人』を出版した。本書は数十年間に渡る摂食障害患者の観察と治療を基礎にしている。1978年には一般読者を対象として摂食障害の要旨を記した『思春期やせ症の謎—ゴールデンケージ』を出版した[7]。ブルックの他の著作には『あなたの子どもをおそれるな』(1952)、『過体重の重要性』(1957。日本語訳未公刊)[1]、『心理療法を学ぶ—インテンシブ・サイコセラピーの基本原則』(1974) などがある[8]。
以前は稀だった拒食症の増加に伴う医療現場の困惑とは裏腹に、ブルックは長年の経験から患者のパーソナリティと発達上の問題を深く理解している数少ない治療者だった。そのため治療関係を築き、意味ある作業を行うことができる人物として知られるようになり、数多くの発表を含め、ほどなくしてこの領域の権威者として世界中から患者が訪れるようになった。
人格の病理[編集]
『やせ症との対話』(1988) は、病を押してブルックがテープに吹き込みでのこした終の著作となった。体力の限界をおして本書を遺したのは、当時増加していた行動療法や家族療法だけで患者を治療する傾向に対して警鐘を鳴らす意図があったとされる[9]。そのような手段で得られた治癒は、患者が苦しんでいる深い情緒的問題をほとんど取り上げないため、治療を終えても苦しみ続ける患者がいることをブルックは数多く観察していた[9]。ブルックは本書において、患者へのさりげない語りかけの言葉の中で、摂食障害の本質について極めて重要な以下の指摘をしている[10]。
これは奇妙な病気だと思いませんか。食欲とか食物とか体重に関連する病気のように言われていますが、実はそうではないのです。対人関係で自分が人からどう見られているかという自尊心の病気なのです。
— ヒルデ・ブルック『やせ症との対話』、星和書店、1993年、70頁。[11]
拒食症患者は底知れぬ自尊心の欠如を抱えており、両親の極めて侵入的な世話を長年にわたって受け続けている。患者のほとんどは、両親を喜ばせることと両親の期待に応えることを命題として生きてきた人々であり、その体験の蓄積からくる葛藤が症状となって患者を支配し、食事制限を行うようになる。こうした重い人格的な問題を注意深く取り上げ続ける必要性をブルックは伝えている[9]。
時代と摂食障害[編集]
極端な痩せ症に関する報告は古くからなされてきた。ロンドンの開業医であったリチャード・モートンは、1689年に「神経性消耗病」として痩せ症少女について報告した。ロンドンの内科医であるウィリアム・ガルは、1873年痩せ症を「神経性無食欲症(アノレキシア・ネルヴォーザ)」と名付けて報告した。同年パリ大学教授のシャルル・ラセーグは「ヒステリー性無食欲症」として、痩せ症患者の精緻な症状記載を行った。その後1914年にドイツのシモンズの報告によって、神経性無食欲症は下垂体の障害に由来するという器質説が広まったが、1939年イギリスのシーハンの広範な解剖の報告によって否定された。そうした器質論的な研究を経て、心理学的研究が開始されるのは1940年代のブルックの発表まで待たなければならなかった。摂食障害の心理学的研究と治療に本格的に取り組んだのはブルックがはじまりであり、摂食障害の医学史は彼女からはじまったといわれる[12]。
児童肥満の研究から摂食障害の心理学的治療へと至ったブルックの研究は、内科学と精神医学に多大な影響を及ぼした。その業績に対しブルックには数多くの賞が贈られており、米国医師会のジョセフ・B・ゴールドバーガー賞を精神科医としてはじめて受賞した。また母校のフライブルク大学からは、非常に稀なゴールデン・ドクター(M.D.)の特別学位を贈られている[13]。摂食障害の病理を見つめ、専門家だけでなく一般にも広くその知識を伝え続けてきたブルックの著作は、色褪せる事なく今なお広く読み継がれている。
受賞歴[編集]
- 1978年 - ベイラー医科大学学長賞(臨床業務における価値ある貢献)
- 1978年 - ウィリアム・A・ショーンフェルド賞(精神医学への貢献:アメリカ青年精神医学会)
- 1978年 - ゴールデン・ドクター(医学部特別学位:フライブルク大学)
- 1979年 - マウント・エアリー・ゴールドメダル賞(精神医学における卓越性と優秀性)
- 1980年 - ノーラン・D・C・ルイス賞(精神医学への貢献)
- 1981年 - アメリカ精神医学会設立者賞
- 1981年 - アグネス・パーセル・マクギャヴィン賞(アメリカ精神医学会)
- 1981年 - ジョセフ・B・ゴールドバーガー賞(臨床栄養:アメリカ医師会)
著書[編集]
- 日本語訳
- ヒルデ・ブルッフ、富田展子訳 『あなたの子どもをこわがるな-途方にくれる親たちへ』 日本評論新社、1955年。、Don't Be Afraid of Your Child
- ヒルデ・ブルック、鑪幹八郎、一丸藤太郎訳 『心理療法を学ぶ—インテンシブ・サイコセラピーの基本原則』 誠信書房、1978年(原著1974年)。ISBN 9784414402278。、Learning Psychotherapy
- ヒルデ・ブルック、岡部祥平、溝口純二訳 『思春期やせ症の謎—ゴールデンケージ』 星和書店、1979年(原著1978年)。ISBN 9784791100354。、The golden cage
- ヒルデ・ブルック、ダニタ・クウゼウスキー、メラニー・シュー編集、岡部祥平、溝口純二訳 『やせ症との対話—ブルック博士、思春期やせ症患者と語る』 星和書店、1993年(原著1988年)。ISBN 9784791102501。、Conversations with anorexics.
脚注[編集]
- ^ a b The Jewish Women's Archive - Hilde Bruch publishes "The Importance of Overweight"
- ^ Harvard University Press - The Golden Cage The Enigma of Anorexia Nervosa
- ^ Hilde Bruch publishes "The Importance of Overweight," The Jewish Women's Archive
- ^ Harvard University Press - Learning Psychotherapy
- ^ The Jewish Women’s Archive - Hilde Bruch 1904–1984
- ^ a b ヒルデ・ブルック (1978) p. 186.
- ^ Harvard University Press - The Golden Cage The Enigma of Anorexia Nervosa
- ^ Harvard University Press - Learning Psychotherapy
- ^ a b c ヒルデ・ブルック (1993) pp. xi - xii .
- ^ 市橋秀夫 (2006) p. 138.
- ^ ヒルデ・ブルック (1993) p. 70.
- ^ 下坂幸三 (1999) pp. 31 - 48.
- ^ ヒルデ・ブルック (1993) p. xiv .
参考文献[編集]
- 上島国利(監)市橋秀夫(編) 『精神科臨床ニューアプローチ 5 パーソナリティ障害・摂食障害』 メジカルビュー社、2006年。ISBN 9784758302302。
- 下坂幸三 『拒食と過食の心理—治療者のまなざし』 岩波書店、1999年。ISBN 9784000225021。
- ヒルデ・ブルック(著)鑪幹八郎、一丸藤太郎(訳) 『心理療法を学ぶ—インテンシブ・サイコセラピーの基本原則』 誠信書房、1978年(原著1974年)。ISBN 9784414402278。
- ヒルデ・ブルック(著)ダニタ・クウゼウスキー、メラニー・シュー(編)岡部祥平、溝口純二(訳) 『やせ症との対話—ブルック博士、思春期やせ症患者と語る』 星和書店、1993年(原著1988年)。ISBN 9784791102501。