ヒラリー・ベン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
イギリスの旗 イギリスの政治家
ヒラリー・ベン
Hilary Benn
Hilary Benn, September 2008.jpg
生年月日 (1953-11-26) 1953年11月26日(63歳)
出生地 イギリスの旗 イギリスロンドンハマースミス
出身校 サセックス大学
配偶者 (1) ロザリンド・ルーティ
(2) サリー・クリスティーナ・クラーク
親族 ジョン・ベン英語版(曽祖父)
ウィリアム・ベン英語版(祖父)
トニー・ベン(父)
エミリー・ベン(姪)
公式サイト Hilary Benn MP
選挙区 リーズ中央選挙区
当選回数 3回
在任期間 1999年5月9日 -

イギリスの旗 環境・食料・農村大臣
内閣 ブラウン内閣
ブラウン第1次改造内閣
ブラウン第2次改造内閣
ブラウン第3次改造内閣
在任期間 2007年6月28日 - 2010年5月11日

イギリスの旗 国際開発大臣
内閣 第2次ブレア内閣
第3次ブレア内閣
第3次ブレア改造内閣
在任期間 2003年10月6日 - 2007年6月27日
テンプレートを表示

ヒラリー・ジェイムズ・ウェッジウッド・ベン: Hilary James Wedgwood Benn1953年11月26日)は、イギリス労働党の政治家。ゴードン・ブラウン政権で環境・食料・農村大臣を務めた。イギリスでは有名な政治家、トニー・ベンの次男にあたり、彼と区別するために小ベンBenn the Younger)と呼ばれることもある。

経歴[編集]

若年期[編集]

1953年ロンドンハマースミスで生まれる。ヒラリーは、父トニーと母キャロラインの次男で、ベン家の政治家としては4世にあたる。父トニー・ベン英語版は閣僚経験もある労働党左派の政治家として有名であり、母キャロラインは教育者であった。

Norland Place SchoolWestminster Under SchoolHolland Park Schoolに通った後、サセックス大学に進学。ここでソ連東欧に関する研究を行った。在学中の1973年にロザリンド・ルーティと結婚するが、彼女は1979年、26歳にしてで亡くなってしまう。その後1982年には、サリー・クリスティーナ・クラークと再婚している。

卒業後、労働組合ASTMSのリサーチャーとなり、MSFの政策担当者も務めていた。

政界への進出[編集]

1979年イーリング・ロンドン特別区の区議会議員に選ばれ、1986年から1990年までは副代表を務めた。 1983年1987年の総選挙の際には、労働党の庶民院議員候補としてイーリング北選挙区から出馬しているが、どちらも保守党の候補ハリー・グリーンウェイ英語版の前に敗北を喫する。

労働党が与党となった1997年、教育・雇用大臣となったデイヴィッド・ブランケット英語版の政策アドバイザーとなる[1]1999年にリーズ中央選挙区選出の現職議員が死亡すると、ベンはすぐ予備選挙の候補者に選出された。彼はこの選挙でようやく初の当選を果たすが、得票差はわずか約2000票という、危うい勝利でもあった。また、彼はこの選挙区の事務所を、労働党の欧州議会議員リチャード・コーベット英語版と共同で使用している。

2001年の総選挙後、国際開発大臣英語版クレア・ショート英語版のもとで政務次官に任命される。2002年内務省で囚人・保護監察者を担当する閣外大臣に異動。2003年5月には、再び閣外大臣として国際開発省英語版の担当となる。10月に同省大臣のヴァレリー・アモス英語版枢密院議長英語版に就任すると、彼はそのまま国際開発大臣に昇進した。

副党首選挙とブラウン政権[編集]

トニー・ブレア労働党政権においてその働きが認められ、徐々に政府・党内においてその存在感を発揮する様になる。次第に次期副党首の有力候補としてベンの名も挙がりはじめ[2]、YouGov社が行った労働党党員間の事前調査では、次期副党首にふさわしい人物として教育相アラン・ジョンソン18%、環境相デイヴィッド・ミリバンド17%、法務次官ハリエット・ハーマン10%、党幹事長ヘーゼル・ブリアーズ7%を抑え、27%がベンの名を挙げてトップとなった[3]。しかし、ジョン・プレスコットの辞任に伴い行われた実際の副党首選挙では、ノミネートに必要な45名以上の推薦人の獲得に苦戦し、当選は果たせなかった[4][5]。概して一般党員からの得票は多く獲得したものの、6人中4位の結果に終わり、新副党首にはハリエット・ハーマンが就任する。なお、父親のトニー・ベンも1981年の副党首選挙英語版に出馬した経験があり、僅差で敗れている。

2007年6月28日ブラウン内閣が発足すると、ベンは新たに環境・食料・農村大臣に就任した。三度の内閣改造でいずれも留任し、ゴードン・ブラウン首相の辞任まで務めた。

パーソナリティ[編集]

父親がイギリスでは非常に有名な政治家であるため、必然的に親子で比較されることが多い。ヒラリーは父親と話し方や立ち振る舞いが非常に似ていることで知られ、父親同様に禁酒主義者・菜食主義者でもある。ヒラリーは父親がそうなる以前からの菜食主義者で、父トニーがベジタリアンとなったのは、ヒラリーの影響である[1]

一方、党内急進左派として名を馳せた父とは違い、政策的には中道で、「ニューレイバー」の信望者でもある。彼自身は、自分のことを「ベン姓ではあるが、ベン派ではない」と説明している[6]

ベン家はヒラリーを含め過去4代にわたり政治家を輩出し続けてきた名門で、彼の姪にあたるエミリー・ベン英語版はわずか17歳にして次期総選挙の労働党候補として認定されたことで世間の注目を集めた。2010年6月までに予定されている次期総選挙で当選を果たせば、彼女は最年少議員記録を更新することになる。

マイケル、ジェイムズ、ジョナサン、キャロラインの4人の子供がおり、一家でチスウィックに住居を構えている。

脚注[編集]

  1. ^ a b Ashley, Jackie (2006年11月9日). “'I'm not a natural rebel'”. The Guardian (Guardian News & Media). http://www.guardian.co.uk/politics/2006/nov/09/labour.hilarybenn 2008年10月11日閲覧。 
  2. ^ Blears 8/1 For Deputy Labour Leader”. CasinoTimes.co.uk. Casino Times (2007年2月17日). 2008年10月11日閲覧。
  3. ^ Wells, Anthony (2006年9月8日). “YouGov polls on the Labour leadership”. UK Polling Report. Anthony Wells. 2008年10月11日閲覧。
  4. ^ Benn short of backers”. BBC News Online (2007年5月16日). 2007年5月17日閲覧。
  5. ^ Deputy hopefuls make their case”. BBC News Online (2007年5月17日). 2007年5月17日閲覧。
  6. ^ “Profile: Hilary Benn”. BBC News. (2007年6月24日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3023827.stm 2008年10月11日閲覧。 

外部リンク[編集]

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代:
デレク・ファチェット
リーズ中央選挙区選出
1999 -
次代:
現職
公職
先代:
ヴァレリー・アモス
国際開発大臣
2003–2007
次代:
ダグラス・アレクサンダー
先代:
デイヴィッド・ミリバンド
環境・食料・農村大臣
2007 - 2010
次代:
キャロライン・スペルマン英語版