ヒュー・ホッパー

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ヒュー・ホッパー
Hugh Hopper
Hh peavey 01.jpg
ヒュー・ホッパー(2007年
基本情報
出生名 Hugh Colin Hopper
生誕 1945年4月29日
イングランドの旗 イングランド ウィスタブル・ケント
死没 2009年6月7日(満64歳没)
ジャンル ジャズ
フュージョン
実験音楽
プログレッシブ・ロック
職業 音楽家作曲家
担当楽器 ベース
活動期間 1963年 - 2009年
共同作業者 ワイルド・フラワーズ
ソフト・マシーン
ロバート・ワイアット
公式サイト www.hugh-hopper.com

ヒュー・ホッパー(Hugh Hopper、本名:Hugh Colin Hopper、 1945年4月29日 - 2009年6月7日) は、イギリスカンタベリー出身のミュージシャン。 元ソフト・マシーンベーシストとして知られる。

経歴[編集]

初期の活動[編集]

1963年、デヴィッド・アレン・トリオのベーシストとして音楽キャリアをスタート(ドラマーはロバート・ワイアット)。この頃からホッパーは、フリージャズリズム・アンド・ブルースの間を行ったり来たりするような音楽性を嗜好した。

1964年、兄のブライアン・ホッパー、ロバート・ワイアット、ケヴィン・エアーズ、リチャード・シンクレアと、ポップ・ミュージックのグループ、ワイルド・フラワーズを結成。しかしながらレコード等でその音源は発表されなかった(30年後に編集盤が発表された)。ワイルド・フラワーズはカンタベリー・シーンの創始者と認められており、2つの最も重要なグループ、ソフト・マシーンとキャラヴァンを産むこととなった。

ソフト・マシーン時代(1968年~1973年)[編集]

最初はソフト・マシーンではローディーを担当していたが、1968年にケヴィン・エアーズが脱退、後任として2枚目のアルバム『Volume Two』の制作からバンドに参加・加入する。ファズをきかせた攻撃的なベースサウンドと豊かな作曲力でバンドの黄金期を支えた。1972年にはソロとしてアルバム「1984」を発表。ソフト・マシーンは1973年、アルバム『six』発表後に脱退。

ソフト・マシーン脱退以降[編集]

以降、ソロ活動をはじめ、ソフト・ヒープソフト・ワークス(後のソフト・マシーン・レガシィ)などのバンドで活動した。1995年、クレイマーらとともに来日公演を行っているが、その際の告知のチラシなどに記載された名義はGONGであった。事前にアナウンスされたデビッド・アレンが出国出来なかったため来日せず、「これをGONGと呼ぶのはどうか?」という声もあったものの、ライブでヒュー・ホッパーがソフト・マシーン時代の曲を見事に披露してファンを唸らせ、不満を封殺した。

2008年6月に白血病と診断され、2009年にクリスティーン・ジャネットと結婚式を挙げるが、それから2日後の6月7日に亡くなった[1]

脚注[編集]

  1. ^ Hugh Hopper | AllMusic - Artist Biography by Dave Lynch

外部リンク[編集]